そろそろ、本サイトも幕を下ろす時が来たようだ。所詮は、私は、外野である。日本共産党に期待してきた庶民の一人。これ以上、此度の除名問題に口を挟むのは適当ではないのかも知れない。それに、この間に考えたことは、ほぼ全て言い尽くした。ここら辺りが、潮時だろう。
鈴木氏提言と私の想い
此度の除名問題が起きる前に、鈴木氏の著書に接して、積年の疑問の多くが氷解していった。薄々感じていた民主集中制への疑問、幹部の定年制と任期制がないことへの疑問、民主主義革命後のテーマに関する疑問、生産手段の社会化に関するプロレタリア独裁を想起させる綱領の記述に関する疑問。それらの疑問に対する、自分なりの明瞭な答えを手にすることができた。
ところで、普通に考えれば、党執行部との対立は、路線対立の現れである。が、此度は、主に、党首のあり方とその背景にある民主集中制に対する考え方の対立。共産党の歴史的な退潮原因に対して、組織体質の転換をもって立ち向かうのか否か?という対立である。
私は、氏の《現役党員としては普通とは言えない冒険主義的な決起》に全面的には賛同できなかった。氏が、党との非和解的な対立を招きかねない二要求を掲げて、一歩も引かなったのはなぜか?代議員制と相いれない党首公選と言う名の党員による直接選挙には、まったく道理というものがない。そのことは、党歴60年の古参である鈴木氏ならば、十二分に承知の筈。なのに、無理筋の党首公選を掲げて決起したのか?それは、かかる疑問を完全には払拭できなかったからである。
それでも、基本的に鈴木氏を支持したのは、鈴木氏の提言が、ほぼ私の考えを代弁していたからに他ならない。そして、氏の提言が、《私が期待する方向で日本共産党が変わる》との望みを持たせたからである。
私の他力本願的で身勝手な期待は、物の見事に外れた。鈴木氏の決起が、氏の除名という最悪の結果で終わったことは、実に残念なことである。後は、此度の除名問題が、共産党に名誉となる解決に至ることを願うばかりだ。
日本共産党の未来を信じて
なお、私は、次のような割と楽観的な見通しも持っている。
- 組織原則の民主統一制への進化と反共攻撃との闘い。
- 社会主義に至る諸段階の明確化と反共攻撃との闘い。
- 生産手段の社会化に関する規定と反共攻撃との闘い。
- ポスト資本主義を目指す共同戦線結成と党の役割り。
本サイトが提起した《党再生に向けた4つの論議》の必要性については、日本共産党内で大方は共有されていると推測している。しかし、これまでの不破氏・志位氏の言説及び大会決定との整合性を重視する保守主義が、その表面化を防いでいる。この保守主義が薄らぐには、これから12年程の時を要するだろう。つまり、1970年代入党の党員が退場するにつれて、過去との整合性を重視する力が弱まり、未来への適応性を重視する力が強まる。そして、やがて保守主義と改革主義との均衡が破れていく。
俗な言い方をすれば、「いずれ、時が解決する」との見通しを、多くの党員諸氏が胸に秘めているということだ。「これまでの秩序と約束事を積極的に破る争乱を表面化させるよりも、実態としての組織体質を変えることに軸足を置く」ー党の幹部の多くは、このような政治判断をしているのかも知れない。そして、かなりのベテラン党員諸氏も、同じような思いなのではないだろうか?私は、現在の(表面的には)静かな党内情勢を、そのように見ている。だとすれば、我々は、近い将来に、必ず、《多様性を認め合い、違いに寛容な、ポスト資本主義を目指す共同戦線のセンターとしての日本共産党》を見ることになる。
日本共産党は、かたくなな保守主義と大胆に自己変革して時代に適応していく進化主義を併せ持つゆえに、この反共産党・反社会主義の時代をしぶとーく生き残っているのかも知れない。そんな日本共産党を信じて、本サイトは幕を下ろす。
結び
さて、日本共産党の保守主義と進化主義のほどよい鬩(せめ)ぎ合いに対する信頼を完全に失うと、(エブラハム・クーパー氏の表現を借りれば)反共主義者が集うブラックホールに落ちる危険がある。そこに、一歩足を踏み入れると、底なしの深い闇が待ち受けている。しかし、鈴木氏の目は、党内で日々力を蓄えつつある進化主義をしっかりと捉えていると信じている。次の言葉が、それを示している。
私は、決して、反共主義者にはならない。(鈴木元)
最後に、鈴木元氏の健康と名誉回復を願って結びとする。何としても、我々は、90歳まで生き延びなければ、変わる日本共産党を見ることはできないのだから・・・。
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