2023/05/01

除名問題と党首公選プロパガンダ

「このままでは、日本共産党はダメになる」との強い想いか?

はじめに

 松竹伸幸氏の著書「シン・日本共産党宣言」の副題は、「ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」である。また、同時期に刊行された鈴木元氏の著書「志位和夫委員長への手紙」の帯には、「貴方はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」と書かれている。いずれも、党首公選を訴えることで世間の耳目を集めた。

 松竹氏は、「共産党が本当に変わるためには党首公選制しかない」と言う。鈴木氏は、「党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」と党首公選による世代交代が党の改革をもたらすと言う。共に、現執行部に対して党首公選の実施を迫っている点で軌を一にしている。

 本稿では、先ず、両氏が自著の販促を狙った党首公選プロパガンダ戦術について、その是非を問う。同時に、その主張がもたらした幾つかの拙い影響に関して取り上げる。

 なお、鈴木氏の「貴方はただちに辞任し・・・」は単なるプロパガンダではなく、氏の「このままでは、日本共産党はダメになる」との強い想いの表出でもあることも念頭において、以下を呼んでほしい。

本サイトのスタンス

 本サイトは、鈴木氏が「日本共産党は、ポスト資本主義を目指す共同闘争のセンターを目指すべきだ。そのために、革命の前衛党の旧い鎧を脱ぎ捨て、多様性を認め合い、違いに寛容な政党への自己変革を遂げよ」という提言を行っていることを評価している。また、党中央に対しては、「党首を批判する本の出版は、内容の如何を問わず許さない」という高圧的な姿勢ではなくて、「ならぬ堪忍するが堪忍」という懐の深い対応を求めている。また、「発言の自由と行動の統一」というあるべき組織原則に基づいて、鈴木氏に対する除名処分の再検討を要求している。

 なお、「西欧的社会民主主義への綱領路線の変更を迫った!」とされる同氏への非難は、当を得ていない。素直に氏の著書を読むことで、それらの非難が、単なる言葉尻を捉えた難癖に過ぎないことは判る。全ては、著者の意図を捻じ曲げずに解釈すべきである。

全党員による直接選挙の是非

 本サイトのスタンスを述べた上で、話を本筋に戻す。党首公選の是非については、既に、本サイト立ち上げの冒頭稿「鈴木提言を継承する理由と意義」で次のように述べている。

 全党員による直接選挙による党首選びなんて自民党ですら実施していない。国会議員票と党員票との間には、歴然とした扱いの差がある。党員票は、党所属国会議員と同数の票を各候補ごとにドント式で分配されているに過ぎない。仮に、12万人の党員が投票した場合、党員票の重みは議員票の400分の1。実態としては、国会議員による投票で決まっている。先進7ヵ国の中で、全党員による直接選挙のみで党首を選んでいる政党は皆無である。

>直接選挙による党首選びは、政敵打倒の常套手段!

 これは、「党首選びを利用した、独裁者によるクーデター的な党の乗っ取りを許さない」という意味で世界の常識である。仮に、党員参加型の党首公選を実施する場合にも、党員XXX人当たり1票で各都道府県に基礎票を割り当て、代議員である中央委員の票との合計票でもって選出する形が望ましい。それが、代議員制度と矛盾しない選出方法である。

 上述のように、《党員による完全直接選挙というスタイルの党首公選》には、一分の道理もないし、まったく実現性がないのは明らかである。鈴木氏は、それを承知の上で、敢えて、党中央と対立した構図を作り出して世間の耳目を引く作戦に打って出た。その結果、価値ある提言を置き去りにした感がある。そうでもして、氏が、除名覚悟の冒険をおかした理由(レーニン主義的民主集中制の弊害の告発を最優先した理由)は、日本共産党の今後に対する強い危機感からである。そうであると、信じたい。

  しかし、マスコミ各社も、党員による直接選挙に道理もへちまもないことは、百も承知の筈。それを承知で、(鈴木氏の改革提言内容には目もくれず)松竹・鈴木 vs 日本共産党の構図にのみフォーカスして騒ぎ立てたことは、商業ジャーナリズムの品位の程を示している。

党首公選プロパガンダ戦術の拙い影響

 周知のように、状況は、鈴木氏の価値ある提言から党首公選を巡るバトルにフォーカスを移して今日に至る。もはや、党首公選というプロパガンダという戦術が、(やむを得ない決断だったとしても)拙速すぎたことは明らかである。その拙い影響は、次の二つに要約される。

1、2028年問題の論議を遠ざけた

 2028年には、日本共産党の日刊紙赤旗が発行部数12万部を下回る可能性があるのは冷厳な事実である。このことは、赤旗拡大を中心に据えた党勢拡大運動が空中分解する危険性さえも予告している。党の発展と財政を支えてきた日刊紙赤旗の減紙問題は、日本共産党の将来を左右する問題である。それが、党首公選の是非論議によって後景に押しやられた。

2、綱領と規約の改革論議を遠ざけた

 綱領が、社会主義を目指すフローチャートとしては未完であることは、「躍進する時代を拓くために(3)」の《革命なき社会主義への道》で述べた通りである。また、生産手段の社会化については、なお、慎重な検討が必要なことは、「生産手段掌握論の再検討」で述べた通りである。また、党の組織原則である民主集中制を民主統一制へと発展させる意義については、「規約改正に関する宮本報告」で明らかにした通りである。

 鈴木氏が「不破哲三流の」とか「不破流の」という挑発的な表現を捨てて「未来社会論・共産主義に関する従来の解釈に拘ることなく・・・」、また「共産主義に対する従来の解釈を一旦横において考えることも・・・」などとマイルドに書いていたら、(除名は)まったく避けられた事態である。

 「『ポスト資本主義』について」で述べたように、綱領と規約に関する鈴木氏の有意な提言は、氏の挑発的な表現によって後景に押しやられた。同時に、党中央に、現綱領と規約絶対論を唱和させる拙い結果を招いた。道理なき党首公選要求は、二重の意味で改革論議を遠ざけた。いずれも、性急すぎた党首公選プロパガンダ戦術が招いた拙い結末だと言える。

除名問題の名誉となる解決を

 松竹氏による自爆攻撃は、思惑通りに日本共産党の除名処分という対応を引き起こし、その後、マスコミの「改革を訴えたら除名という日本共産党の異質な体質が露わに」という共産党批判の大合唱という状況を出現させた。

 もちろん、この大合唱は、「日本共産党は、革命政党としての旧い鎧を脱ぎ捨てるべきだ」という記者たちの普段の思いが、松竹氏除名という偶然を媒介にして表面化したという側面も少なからずある。それを察知しないで、党中央が、味噌も糞も一緒くたにして「反共攻撃だ」とマスコミとの対決姿勢を強めたのは、実に不味い対応であった。また。「いきなり外から攻撃したから除名した」と旧態依然の論理を振りかざしたのは、完全な誤りであった。

 松竹氏除名との員数合わせで鈴木元氏が除名されたことで、マスコミの大合唱は最高潮に達した。党には、人の噂も七十五日という対応もある。しかし、求められているのは、そういう消極的な対応ではなくて、能動的に、鈴木氏除名問題を党にとって名誉となる解決を探ることだ。その唯一無二の方向性は、「発言の自由と行動の統一」という時代が求める組織原則に則って除名問題を再検討・再処理することである。

結び

 鈴木元氏には、除名処分を招きかねない党首辞任と党首公選のニ要求を棚上げするという妥協をもって事態を収拾するように進言してきたが、その目的は叶わずに最悪と言える結果を招いた。が、過ぎたことを悔やんでも詮無きことである。今となっては、鈴木氏除名問題が、鈴木氏にとっても、日本共産党にとっても、名誉となる解決に至ることを願うばかりだ。その為には、お互いに面子に拘ることを捨てることが求められている。

 面子は、人生において最も危険なものである。それは、自分自身を見失わせ、他人に対して嫉妬や怒りを抱かせ、自分自身を疑わしいものにしてしまうからである。 - フランクリン・ルーズベルト


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