2023/05/09

民主集中制と共産党の再生-鈴木元

民主集中制をやめよと主張する鈴木元氏

 本稿は、鈴木元氏が、5月2日にFacebook にアップした「レーニン、コミンテルン以来の民主集中制をやめる事を抜きに共産党の再生は無い」と題した記事の紹介である。

 なお、再録するにあたって、(サイトの都合上)タイトルを短くしている。また、見出しの(6)と《結び》は、当方で挿入した。その他は、句点を追加していることを除けば、原文のままである。

はじめに

 先に、私は、志位委員長が全党員参加の党首公選制を述べた松竹・鈴木除名処分をしたことや、選挙で負けても党勢拡大に失敗し後退しても責任を取らない点を批判した。そのコメントの中で、私は志位氏の経歴から来る個人的資質についても書いた。しかし、志位氏でなく他の誰かが委員長に就任すれば、このような事は起こらず、責任者が辞任したり党内選挙によって解任されたりするのだろうか?先に結論を言って申し訳ないが、現行規約の民主集中制を続ける限り、そのような事は起こりえないと考える。

 全党員参加の党首公選制は、特別なことではなく日本共産党と公明党以外の党は採用している。それを拒絶し、提案した松竹氏や鈴木を乱暴に除名処分するのは、一度握った党首の座は絶対離さず事実上の「党首終身制」を貫いているからである。なぜそのようなことが可能なのか、その点について解明する事が必要である。

(1)日本共産党はレーニンが創設したコミンテルン(世界共産党)の日本支部として創設された。

 コミンテルンに加入するには、加入条件として定められた21カ条の承認が必要であった。その中心は、革命論としては「暴力革命」。組織論としてはコミンテルン傘下の「民主集中制」。党名としては共産党などと決められていた。

 戦後日本社会が主権在民、普通選挙を基礎とした国会を国権の最高機関として位置づける中で、日本共産党は「暴力革命」ではなく選挙を通じて国民の多数とともに一歩一歩社会を変えていくという「平和革命論」に発展させ、今日に至っている。しかし、組織運営の原則として民主集中制を貫くことについては変更されなかった。

 1975年、叙述家・立花隆氏は「文藝春秋」に「日本共産党の研究」の連載を開始した。この論文をはじめ立花氏は「暴力革命と民主集中制、共産党という名前は三位一体であり、共産党が民主集中制を放棄しない限り、暴力革命を放棄したのは信用出来ない」という趣旨の論を展開していた。

 これは無理な議論であった。日本共産党は第7回党大会以来「平和革命論」を正式に党大会で決定し追求し、その精緻化を図り、その都度党大会で決定していた。しかし、民主集中制の起源は、専制国家ロシアにおいて少数者による武装蜂起によって、どのようにしてツァリーを倒し権力を握るか、それにふさわしい党の在り方はどうあるべきかと、レーニンが追求した中で編み出した組織論であった。

 レーニンのロシア共産党、そして彼が創設したコミンテルンが貫いた党のあり方は、「職業革命家」を中心とした党、少数は多数に下級は上級に従う党運営、決定は無条件実践などを特色としていた。したがって、現在の日本においては適切ではない党運営であり、脱皮しなければならなかったが、それをしてこなかった。

(2)日本共産党は民主集中制として、党規約第三条において五つの柱を書いている。

 党は・・民主集中制を組織の原則とする。その基本は次のとおりである。

  1.  党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2.  決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。
  3.  すべての指導機関は選挙によって作られる。
  4.  党内に派閥・分派は作らない。
  5.  意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 不破哲三氏は、2001年の第22回党大会における規約改定の報告において、「これが新しい改定案にしめされた民主集中制の五つの柱であります」とした。そして、その後の党規約の説明においても、そのように説明されてきた。

 しかし、この五つの柱は、民主集中制ではない。他の党や団体でも採用されている組織の民主的運営の原則である。ただ第四項の「派閥・分派はつくらない」だけは、自民党などでは認められているが、共産党では認められていない。自民党など党内での派閥を認めている党は、派閥として一定の政治目標を定め公表している。誰が派閥構成員かを明らかにし、定期的に会議を開き、ある場合には定期的に機関紙を発行している。日本共産党において、そのような派閥・分派が構成されたのは1964年に部分核停条約の時に、志賀義雄、鈴木市蔵等による「日本のこえ」ぐらいである。共産党の規約ならびに大会決定においても「何が分派なのか」「なにが派閥か」の規定はなく、実際のところその時の指導部が分派だと言えば分派になり処分の対象となってきた。

 第一、三、五項は書いてあるだけで、実際にはまともに実践されていない。初めて地区党会議等に参加した人が驚くのは、地区党会議において地区委員会から提案された議案に対して異論を述べる人がおらず、満場一致で採択されることである。党の綱領と規約を認めて入っても、出身階層・成育歴・社会的地位・収入に差がある党員の間では、個々の方針・政策に意見の違いがあって当然である。しかしほとんどの会議では異論・反論・批判は出ず満場一致で採択されている。そして、役員選挙では大概の場合、現在の地区委員会が推薦した名簿が唯一で、立候補者はいず、事実上の信任投票(候補者の名前の上に〇×をつける)が行われている。

 そして、「五、意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」は、除名する時に「意見の違いで排除したのではない」ことの言い訳をするための文言であり、実際には第一項の多数決制を実行せず、異論者を排除し満場一致としてきた。その点、自民党は、派閥の存在を認め党内で公然と論争することによって活力を引き出している。

(3)読み取れないところにレーニン流の民主集中制が

 ところで、先の第三条の五つの柱の中には、日本共産党がコミンテルンの支部であった当時から引き継ぎ、他の党と根本的に異なる民主集中制の根幹は明記されていない。それは以下の諸点である。何年間か党に属してきた人は断片的には知っていることである。

  1. 共産党は、給与が党から支給されている常勤活動家(昔の言葉で言えば「職業革命家」)を核とした党組織であり、
  2. 党役員の選挙は実質的には行われず、役員の任期も定年も無く、屋上屋(おくじょうおく)を重ねた組織で下からの意見や批判が生きない組織運営になっている。
  3. 所属組織(支部・地区・県等)が異なる党員は、例え夫婦であっても意見交換は禁じられている。
  4. 党の所属組織から地区・県を通じてしか意見は挙げられず、横断的に意見を組織した場合は分派として処分される。上の組織へ意見を挙げる権利はあるが、挙げられた側には回答する義務は無い。このような状態の下、
  5. 最高決議機関である党大会の代議員の7割りを超える部分が、党から給与が保障されている専従活動家によって占められ、かつ1割の少数意見は9割りの多数派によって代議員には選ばれず、党大会代議員は基本的に100%執行部の方針に賛成する人によって占められる仕組みになっていて、一部例外を除いて満場一致が常態化している。そして地区委員会、県委員会、中央委員会、幹部会、常任幹部会と屋上屋を重ねた組織のために、執行部批判は党運営に反映しない仕組みになっている。
  6. 党運営の核となっている三役(委員長・志位和夫・副委員長・書記局長)は、前党大会の常任幹部会(委員長・志位和夫)が推薦し新しい中央委員会で了承を得る。そのうえで新三役が常任幹部会員・幹部会員を推薦し了承を得るという仕組みを取っている。しかも不破氏や志位氏が最初に書記局長に就任したのは、宮本委員長による後継者指名によってなされた。そして定年制も、任期制もなく事実上「終身幹部」制度が行われ、宮本・不破・志位氏のいずれも30年単位で最高責任者を務めてきた。こうした組織では、いくら選挙に敗れてもいくら党勢が後退しても、本人が自ら辞めないかぎり続くことになる。
  7. こうした点では、中国共産党の組織運営より非民主的である。

 なお、手元に党勢(党員・赤旗読者)の資料があったので、一例として記載しておく。

 |2010年1月|第25回党大会|党員 40.6万人|赤旗読者 1.454.000部|
 |2014年1月|第26回党大会|党員 30.5万人|赤旗読者 1.241.000部|   
 |2017年1月|第27回党大会|党員 30.0万人|赤旗読者 1.130.000部| 
 |2020年1月|第28回党大会|党員 27.0万人|赤旗読者 1.000.000部|
 |2022年9月|党創立 100年|党員 26.0万人|赤旗読者    900.000部|
 |2023年5月|―---――――|党員 25.5万人|赤旗読者  _857.000部|

(4)中国共産党より非民主的な日本共産党

 中国共産党は、毛沢東の個人独裁によって、彼の思いつきによる「大躍進運動」によって4000万人もの餓死者が出たし、「文化大革命」による武装闘争で1000万人の死者を出したことから、中央委員選挙の実質化によって個人独裁を防ぐ、それでも長期権力は腐敗するとの歴史の教訓から、定年制そして任期制を定めた。

 中央委員は党大会で選出されるが、定数(例えば200名)より多い219名の名簿が提出され、全代議員による秘密投票で票数の多い順から200名までが当選し19名は落選する仕組みとして今日に至っている。

 また、習近平氏が二期目になるまでは、定年制(選出時68歳まで)任期制(2期10年)が堅持されていた。ところが、習近平氏が2期目に入ってから定年制と任期制が事実上廃止された。

 この事態に対して、世界の世論は「習近平氏は毛沢東化する危険がある」と論じた。しかし、日本共産党だけは批判しなかった。なぜなら、日本共産党は中央委員の実質的選挙を行っていず、定年制も任期制も実施していないからである。定年制については、委員長を志位氏に譲った不破氏は、93歳になった今も常任幹部会員として全党の理論活動の指導者として座っている。任期制についても、志位氏は、2000年に幹部会委員長に就任して以来23年も委員長にとどまっている。

 中央委員は、全員党中央から給与が支給される専従活動家である。そして、県委員長も全員中央委員であり中央から給与が支給されている。その給与は、県の他の常任委員の1.3倍から1.5倍の額が支給されている。国会議員は、例外(衆議院の赤嶺氏、参議院の山添氏)を除き、比例区で当選した人達である。衆議院では、当選は中央委員会が決めた順位で当選が決まる。トップに位置付けられた人は何もしなくても当選するし、下位に位置付けられた人はどんなに頑張っても当選しない。参議院は、その制度がないので中央が当選させたい人の地域割りを大きくしている。こうした体制の下で、中央委員や県委員長、国会議員が志位指導部を批判しその辞任を求めることはありえない。自らの解任を覚悟しなければ、出来ない仕組みになっている。

 監査委員会ならびに規律委員会(昔の統制委員会を改組したもの)は、本来中央委員会も対象であるが、赤旗編集局と同様に中央委員会(常任幹部会)の任命制となっている。これでは、中央委員会をチェックする機関は無いに等しい。こうして、一度委員長に就任すると年月が経過するにしたがって独裁的傾向が強くなっていく。

(5)トロッキーのレーニン批判

 ところで、ロシア共産党(当時は社会民主党と名乗っていた)の在り方を論議した1903年の第二回党大会において有名なレーニンとマルトフの論争がある。マルトフは、ドイツ社会民主党を模範とした大衆的な党を提起した。それに対してレーニンは、職業革命家による党を説いた。つまり職業革命家を中心とした少数精鋭者による武装蜂起でツアーリ体制を倒そうとしたのである。当時のロシアの事情からはレーニンの提案の方が妥当であったろう。しかし、彼が1919年にコミンテルンを結成するにあたって「少数者による武装蜂起による暴力革命」、「職業革命家による鉄の規律による党運営を行う民主集中制」を絶対的命題とした事は、専制的国家ロシアでは成り立っても、民主主義的政治制度が確立されている先進国には適用できない誤った方針であった。

 この時の論争では、レーニンとマルトフのことしか紹介されてこなかった。この時トロッキーは、党が分裂することを防ぐために両者の調整に入った。これに対してレーニンのボルシェビキは、長くトロッキーのことを日和見主義者メンシェビキとの「調停主義者」と蔑視的レッテルを貼ってきた。トロッキーは、党の分裂を避けるために調整に走り失敗し、その後は長くどちらにも属さないで独自活動をつづけた。なお、この時レーニンの党規約案は過半数の支持を得られず否決された。しかしレーニンたちは自分たちのことをボルシェビキ(多数派)と自称し、マルトフ等のことをメンシェビキ(少数派)と呼んでいた。

 実はこの時、トロッキーは、レーニンの民主集中制については厳しく批判していた。党大会の次の年である1904年に執筆し1905年に出版した本がある。「我々の政治的課題―戦術上および組織上の諸問題」である。スターリン時代のソビエトでは発禁の書となっていた。ゴルバチョフ時代になり出版の自由が大幅に認められ歴史の見直しが始まり、この本も出版された。日本でも「大村書店」から1990年に出版された。ソビエト崩壊直前のことである。私はマルクス主義、ロシア革命の見直し作業を行う中でこの本の存在を知り取り寄せて読んだ。わずか23歳の青年が書いた本であり、ロシアの実情を踏まえた本という点では極めて観念的な論の展開が多く、私は彼が展開している論の全てに賛意を持つものではない。しかし彼が展開した民主集中制についての批判、特に「代行主義」という考えには共感するし、僅か23歳の青年が書いたという点では、天才的ひらめきというか、物事の本質を見抜く鋭い批判精神に驚かされた。

 彼の説いた「代行主義」とは、職業革命家中心の党は、労働者階級の意思を代表するということで労働者(国民)の代行者となり、その党では党を代表する指導機関としての中央委員会が全党を代行する。そして、中央委員会を代表する幹部会が、中央を代行し委員長(書記長)が幹部会を代行する。こうして委員長(書記長)による独裁的運営となっていくと論じたのである。そして実際、職業革命家を核として民主集中制を採用した世界中の共産党において「代表者」は専制的な終身指導者となっていった。例外は無い。レーニンが作った「職業革命家を核とし民主集中制」の党運営が駄目なのである。この仕組みを辞めない限り、日本共産党の再生は無いだろう。

(6)3年連続の敗北を党改革の機会とせよ

 ところで、『志位和夫委員長へ手紙』で紹介したが、日本共産党が採用している民主集中制について、1970年代後期から1980年代前期にかけてマルクス主義的政治学者であった藤井一行氏、田口冨久治氏、加藤哲郎氏等が批判していた。今から40年も前の事である。まさに先駆的なことであった。しかし当時、不破哲三書記局長(当時)等が「赤旗」や『前衛』などで彼らを徹底して批判し社会的に葬った。本当は彼らの意見も聞き、開かれた討論を行って先進国に応じた党のあり方への改革を進めるべきであったが排斥した。その結果、先進国には合わないレーニン型・コミンテルン型の党運営・民主集中制が継続され、党は硬直し衰退への道を歩むことになった。今回の3年連続の選挙での敗北を党改革の機会とし、新たな改革の道を進むべきであろう。

結び

 再度いう。志位氏は、私に謝罪し除名を取り消して名誉を回復し、自身は辞任すべきである。そして、臨時執行部の下で私や松竹氏と党改革の討議を行う場を持つべきだろう。それこそが、共産党が再生する唯一の道だと考える。私の名誉が回復されるなら、党改革へ少しばかりのお手伝いをさせていただく決意はしている。

付記:

 本サイトの党規約第3条に対する評価は、2023/04/02《民主統一制への脱皮を!》及び2013/04/07《規約改正に関する宮本報告》を参照して頂ければ有難い。

 また、鈴木氏の「全党員参加の党首公選制は、特別なことではなく日本共産党と公明党以外の党は採用している」との主張に対する本サイトの見解は、2023/05/01《除名問題と党首公選プロパガンダ》と多少刺激的なタイトルを付けた記事を照して頂ければ有難い。


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