2023/05/06

歴史的な退潮原因と指導部責任論

性急な指導部責任論を乗り越えて前へ!

はじめに

 既存の秩序と約束事を無視して突っ走る冒険主義の危険は、「革命的な党改革と冒険主義」で示した通りである。本稿では、更に、指導部責任論が、ある角度から見れば正しい、しかし、別の角度から見れば性急に過ぎることを明らかにする。そのことで、暴走する論理を乗り越え、歴史的な退潮をもたらした3大原因と闘う道筋に、はっきりとした焦点を当てる。

日本共産党の歴史的な退潮原因

 1980年を境に、国内繊維産業は、衰退の一途を辿った。特に、紳士服の製造業を襲った時代の波は、容赦なく同業種に携わる企業を苦境に追い込んだ。1991年のバブル崩壊から5年が経過した1996年以降、正に、転廃業を迫る嵐が日本中に吹き荒れた。2000年の雑誌「洋装」の休刊は、同業種の壊滅的な惨状を象徴する出来事だった。団塊の世代の高齢化と生活様式の多様化という時代の波には、何人にも抗う術がなかった。

 国内繊維産業衰退の歴史は、時代の逆風に晒された企業の行く末を余すことなく示した。日本共産党の歴史的な退潮傾向は、まったく国内繊維産業の衰退傾向と軌を一にしている。そういう点では、誰彼の責任だと言い争う余地などないほどに深刻な問題である。

 1966年から1976年にかけては、毛沢東による文化大革命の嵐が中国全土に吹き荒れて、社会主義の理想は地に落ちた。1978年、中国は、改革開放に舵を切り、国家による統制的・官僚主義的な計画経済政策の破綻を全世界が知ることになった。こうして、1980年を境に、時代は反社会主義へと舵を切った。それを更に後押ししたのは、1989年の天安門事件とベルリンの壁の崩壊である。そして、1991年のソ連邦の崩壊で反共産党、反社会主義の風は、決定的となった。

 このように多少でも歴史を俯瞰すれば、日本共産党の歴史的な退潮原因は明らかである。それは、一言で言えば、反共産党、反社会主義に傾いた時代の反映である。指導部責任論は、「首をすげ替えれば、問題は解決へと向かう」という幻想を抱かせ、結果的に党内対立を煽っている点で誤りでしかない。

 しかし、40数年に及ぶ後退局面にあって、党の指導部が、鈴木氏が掲げた諸改革に前向きではなく不十分であった点では、その責任は問われるべきである。氏の一年余に渡る上訴が一顧だにされなかったことは、除名覚悟で反旗を翻したことは性急すぎるとしても、鈴木氏に道理をもたらしている。「ある角度から見れば正しい、しかし、別の角度から見れば性急に過ぎる」という理由である。

一斉地方選挙で敗退した原因

 Japan Forbes の2021年7月7日付けの記事は、ピュー・リサーチ・センターが公表した報告書について次のように伝えている。

 「中国政府が国民の自由を尊重していない」という認識の浸透で「中国の好感度は、先進国で過去最悪水準」で、なかでも「日本は88%が否定的」であった

 社会主義を標榜する中国と中国共産党に対する好感度の低さは、同じく共産党を名乗る日本共産党に対する好感度にも否応なく反映されている。2022年のソ連によるウクライナ侵攻、中国における習近平三選による個人崇拝の復活によって、反ソ・反中国・反共産党の風が更に強まった。度々発せられるJアラートは、日本共産党が訴える軍拡反対の声を多少なりともかき消した。そんな中での先の一斉地方選挙。嫌中・嫌露・嫌韓の先鋒隊である日本維新の会が躍進し、日本共産党が敗退したことは、或る意味で当然の結果である。

日本共産党の地方議員数の推移

 なお、一部に、松竹・鈴木除名問題が影響して「一人負けした」との見方があるが、1990年以降の地方議員数の推移をグラフにしてみれば、必ずしも、そうではないことが判る。此度の一斉地方選挙での後退も、従来の退潮傾向の延長線上のそれでしかない。もちろん、この間、4.6%に上昇していた支持率が2.8%ないし1.6%へ急落したことは、松竹・鈴木除名問題の深刻さを表している。地方選挙では限定的だったとしても、衆議院選挙へのかなりな影響は免れないとみるべきだ。

退潮原因を覆い隠す指導部責任論

 本サイトでは、歴史的な退潮原因を次の3つだと指摘してきた。

  1. 党名に対する強い忌避感の存在
  2. 社会主義への強い忌避感の存在
  3. 時代の追い風が吹いていない!

 そして、歴史的な退潮傾向を抜け出すために、3つの課題を提起した。

  1. 怖い政党という印象の払拭
  2. 旧ソ連型の社会主義の否定
  3. 時代の追い風を帆にはらむ

 そして、第一の課題を達成するために、「党名変更に勝る民主統一制への移行」を提案した。第二の課題を達成するために民主主義革命⇒ポスト資本主義革命⇒社会主義的変革という社会主義への段階的移行の明確化生産手段の社会的領有に関する旧い定義からの脱却を提案した。第三の課題を達成するためにポスト資本主義を目指す共同戦線のセンターへの転身を提案した。

 冒険主義的な指導部責任論は、(問題を矮小化することで)日本共産党の歴史的な退潮原因から目を逸らす否定的な役割りを果たしている。そればかりか、退潮傾向から抜け出す3課題への集中をも遠ざけている。結果として、課題達成のための取組みの開始を遅らせる。我々は、性急な指導部責任論に自制を求めつつ前に進まねばならない。

指導部は、革命的な変革の先頭に!

船の進路は、風や波ではなくて帆で決まる

 冒険主義者の指導部責任論批判は、指導部ならではの責務を曖昧にするものではない。当然のことながら、今こそ指導部は、次の諸点についての討議を急ぎ、自己変革を達成しなければならない。
  1. 組織原則の民主統一制への進化と反共攻撃との闘い。
  2. 社会主義に至る諸段階の明確化と反共攻撃との闘い
  3. 生産手段の社会化に関する規定と反共攻撃との闘い。
  4. ポスト資本主義を目指す共同戦線結成と党の役割り
 いずれも、反共産党、反社会主義に傾いた時代にあって、日本共産党が時代の追い風を帆にはらむためには、避けては通れない論議である。上記の諸点を巡る討議は、日々ネット上で展開されている反共産党、反社会主義の主張を打ち破るための完全に有効な武器をもたらす。たとえ、それが争論に発展しようとも、党指導部は、党の革命的な変革の先頭に立って討議を進める責務がある。
The snake which cannot cast its skin has to die.

 「脱皮しない蛇は死ぬ」とは、ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェが残した箴言(しんげん) である。それは、自己変革できない組織は、変化していく時代に適応できなくて滅びるという警告である。ニーチェが言ったように、自分自身を変えることが、党が成長するためには、是非ともに必要である。仮にも、一歩たりとも、変わるための論議を進めないとしたら、鈴木元氏が憂慮する党の自壊が進むことは避けられない。

結び

 はっきりさせるべきは、性急な指導部責任論を批判することは、鈴木提言の価値ある部分を否定するものではないということだ。それはそれ、これはこれである。鈴木氏の冒険主義に自制を求めつつ、まったく正しい氏の指導部責任論に光を当てることは、鈴木提言から真に価値あるエッセンスを抽出するのに欠かせない工程である。


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