2023/03/26

鈴木提言を継承する理由と意義

はじめに


 鈴木氏は、
『志位和夫委員長への手紙』(かもがわ出版)等の著作を出したことで日本共産党を除名された。が、それは、表向きの理由。実際は、《松竹氏除名との員数合わせ》でしかない。本サイトでは、員数合わせという裏の事情については問題にしない。日本共産党が氏を除名した大儀名分の是非を問題にする。なぜなら、氏の除名が党員の発言の自由を否定した不法不当なものであることを明らかにするには、党が掲げた大義名分が誤りであることを論証する必要があるからだ。

 鈴木氏除名の不当性を明らかにし、氏の名誉を回復する戦いは、日本共産党を改革する取り組みそのものである。氏の除名を正当化するあらゆる規約上の誤りと運用上の誤りは、出来る限り早く正されなければならない。なぜなら、改革の遅れは、党の衰退を加速させ、日本の反動化を促進するからだ。

 なお、本稿自体の目的は、鈴木元氏の想いと氏が提起した改革課題を継承する理由と意義を明らかにすることである。一読していただければ有難い。

改革提言が生まれた背景

 鈴木氏は、著書「ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える」で「時代遅れのマルクス主義を乗り越えよ」との論を展開したとされる。この問題の厳密な検証は、後々の課題だ。氏は、「ポスト資本主義」において資本主義的弊害の是正を目指す各階層のセンター(群の中心)として輝きを取り戻す日本共産党を思い描いていた感がある。そして、氏は、この青写真化を通じて、党改革に関するある想いを確信するに至ったようだ。私は、その延長線上に改革提言の書である「志位和夫委員長への手紙」が誕生したと認識している。

 氏は、追って出版した「志位和夫委員長への手紙」では、長らくタブーとされてきた日本共産党の不都合な真実を白日の下に晒した。これに対して、党の指導部は、著書の文言の一つひとつを恣意的に抜き出して悪意をもって脚色し、氏の著書に「日本共産党を否定した書」との烙印を押した。しかし、これは、完全に的外れで間違った評価である。ここら辺りは、氏の著書を実際に読むことで納得してもらえるだろう。論より証拠である。

 鈴木氏が提言に込めた党改革の想いを継承する理由の一つは、それが生まれた理由そのものにある。すなわち、《日本的構造改革路線と形容できる社会主義への道》と《日本共産党に残存するスターリン主義的な前衛党の残滓》との矛盾が、氏の想いを生み出したということだ。そして、この矛盾の止揚は、鈴木氏が提起した改革課題を実現し実践することで達成される。

ゴールはおんなじ

 党創立101年目を迎えた日本共産党は、今や、大きな変貌を果たした。(1)プロレタリア独裁と(2)社会主義革命による変革を否定したことは、党の今後を決定付けた。

 2003年、党は「市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化の過程を経て《社会の相転移》を目指す」と宣言した。これによって、トップダウンによる社会主義建設は完全に否定され、ジョイント・マネージメントによる社会主義への道が拓かれた。

 社会主義を目指す取り組みは、未だスタート地点にすら立っていない。それが本格的に始まるのは、早くても200年後のこと。そこから、始まって《社会の相転移》が起きるのは、更に200年後、300年後のこと。とてつもなく遠い未来の話だ。日本共産党が目指しているのは、実に壮大な人類史的な挑戦である。

 鈴木氏の「ポスト資本主義」にける主張は、主に《社会の相転移》が起きる以前の漸次的進化の過程について運動論的な視点からアプローチした見解の一つである。幾つかの西欧の取組みにヒントを得るべきだとの主張から察すると、構造改革論に近い主張の一種とも言える。

 かって、車椅子の物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、日本講演で次のような主旨のことを言った。

 山を500m登っても、辺りの景色は麓のそれと同じです。1000m地点まで登っても、それに大きな変化は起こりません。やっぱり、見るのは山地帯のそれです。しかし、1500mまで登りきると、景色は一変します。目の前に広がるのは、山地帯とはまったく異なる亜高山帯の植相です。これが、量から質への転化です。漸次的な進化による飛躍、すなわち一歩高いステージへの移行による相転移の出現です

 市場経済を通じて社会主義を目指す道は、ホーキング博士が言った《漸次的な進化による飛躍》を目指すに等しい。鈴木氏が言う方向性は、ただ単に、1500m地点を目指す一つのルート上の取組みにしか過ぎない。鈴木氏が好むと好まざるに関わらず、各種の構造改革的な改良の蓄積による相転移の結果として「搾取の自由」が制限された、国民が主人公となる一歩高い次元の社会へと進みだすステージが出現することは避けられない。(唯物弁証法が正しければ)結果として、行き着く先はおんなじなのである。

 日本共産党が、党として氏の著書を過度に否定するのは、言論の自由を否定すること通じる。また、「ゴールを目指す過程での様々な論の生成を否定しかねない」との危惧を世間に与えるという点でも得策ではない。

日本共産党の属性に求められる変化

 新しい社会主義への道は、日本共産党の属性(プロパティ)に変化することを求めている。鈴木氏の提言に込められた党改革の意思を継承する理由の二つは、氏が提言の中で《あるべき属性の変化について的確に示唆している》ことにある。

(1)時代にそぐわない民主集中制の否定。
(2)政策研究グループ活動の許可・容認。
(3)指導部を選挙で選ぶ条項の完全実施。
(4)代議員制のプロ化による弊害の克服。

などである。

ルール1:綱領の発展に寄与する探求を行う。(寄与)
ルール2:利害に基づく派閥活動は行わない。(原則)
ルール3:党と他グループの面目に配慮する。(配慮)

 上記のようなルールを遵守する限りでの、党員グループによる政策研究活動を許容することは時代の要請である。それは、当然に、意見・主張で結ばれた繋がりを生み出す。しかし、それはいわゆる《ディスカッショングループ》であって、利害で結びついた派閥活動は厳しく制限される。しかし、ルール2を拡大解釈して、党員の政策研究活動に過度の制約を求めたり、意見・主張及び活動スタイルを理由にグループの解散を迫ることは許されない。

 《党と他グループの面目に配慮する》は、《党と他グループに対する攻撃的な非難の禁止》と同義である。互いの面目を潰せば、争いに発展するのは不可避。ルール3は、党及び政策研究グループとの無駄な争いを回避する上で重要な約束事である。なお、同ルールは、党と他のグループに対する批判の自由を奪うものではない。その批判の厳しさは、ケースバイケースである。

 以上のような制約下での《意見の交換をもって認識を深める政策研究グループ活動》の容認もまた、時代の要請である。

 もちろん、政策研究グループの規模について「何人まで」とか、「活動期間は何ヶ月を限度とする」などの諸制約を設けるのは、非現実的であるし適当でもない。だとすれば、これらのグループが党内に一定の影響力を持つ「意見の集合体」に成長することは避けられない。

 勝手に党の諸原則に反した特定の政治行動を起こさない限りで、(党の綱領と政策を批判的に検討する・しないに関わらず)かかる集合体の形成もまた許可・容認されなければならない。これは、日本共産党が、漸次的進化を推進する各階層のセンター(群の中心)として成長・発展していく上での不可欠な改革である。

 これらの改革は、日本共産党をして、選挙によって指導部及び党首を選ぶ段階への前進をもたらす。

時代にそぐわない民主集中制の否定とは?

 時代にそぐわない民主集中制の否定とは?それは、必ずしも民主集中制という文言を規約から追放することではない。しかし、民主集中制の民主化を図る検討を反映して、その呼び名そのものの検討を行う可能性は否定しない。 

 それはさておき、当座の目的は、規約から非民主的な条項を追放し、民主的な条項を復活させたり、新たに付け加えることである。もって、民主集中制は、規約の民主的な改革によって《発言の自由と行動の統一を核とした組織原則》として蘇る。

 この民主集中制の民主化を通じて、日本共産党を戦う国民各階層の共同センター(群の中心)としての確かな地位を与えることが、本サイトの基本的なスタンスである。「革命のフロントから共同センターへ」が、本サイトが掲げるスローガンである。

 綱領や決定に対する発言の自由を認めないのは、明らかに(現時点で採用されている)民主集中制の非民主性の現れ、もしくは恣意的な運用のどちらかである。党綱領の諸原則の範囲内での発言は、討議だけではなく、行動においても、完全に自由でなければならない。もちろん、特定の政治行動における行動の統一は、当然のことである。

代議員制のプロ化による弊害の克服

 なお、鈴木氏は、代議員制のプロ化による弊害の実態を解明し、その克服の方向性について実に示唆に富んだ提言をしている。この提言を党攻撃云々と批判して退けることは、一層の代議員制に対する不信を増幅しかねない。そもそも、プロ化による弊害は、安定と秩序を求めた代議員制とは不可分の問題。日本共産党は、「過度に専従に依存した我が党に特有な代議員制の負の属性を否定せよ!」との氏の提言に真摯に耳を傾ける必要がある。

 かかる属性の変化を通じて、日本共産党は、画一性を排し、多様性を認め合い、違いに寛容な政党への変貌を完成させる。これは、日本共産党の綱領路線の要請である。また、時代の要請でもある。

党首公選について

 もちろん。《各指導部を選挙で選ぶ条項の完全実施》は、党員の直接選挙による党首選び(党首公選)を意味するものではない。

 全党員による直接選挙による党首選びなんて自民党ですら実施していない。国会議員票と党員票との間には、歴然とした扱いの差がある。党員票は、党所属国会議員と同数の票を各候補ごとにドント式で分配されているに過ぎない。仮に、12万人の党員が投票した場合、党員票の重みは議員票の400分の1。実態としては、国会議員による投票で決まっている。先進7ヵ国の中で、全党員による直接選挙のみで党首を選んでいる政党は皆無である。

>直接選挙による党首選びは、政敵打倒の常套手段!

 これは、「党首選びを利用した、独裁者によるクーデター的な党の乗っ取りを許さない」という意味で世界の常識である。仮に、党員参加型の党首公選を実施する場合にも、党員XXX人当たり1票で各都道府県に基礎票を割り当て、代議員である中央委員の票との合計票でもって選出する形が望ましい。それが、代議員制度と矛盾しない選出方法である。

 ともあれ、鈴木氏が提言において、全党員による直接選挙による党首選びを掲げたことによって党中央に提言全体を拒否する絶好の口実を与えた。実に、残念至極である。しかし、その提言の中で提起された幾つかの改革課題は、党首選びの民主的改革も含めて継承されなければならない。

 重ねて言えば、国民各階層との協力協同をもって漸次的進化を目指す新しい社会主義への道は、党にスターリン主義的な組織原則の否定を要求している。新しい道は、日本共産党をして「古い属性を脱ぎ捨てよ!」と要求している。

結び

 鈴木元氏は、著書「志位和夫委員長への手紙」の帯で「貴方はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねて欲しい」と謳った。日本共産党は、ここにフォーカスを当てて、氏の著書に《造反の書》との烙印を押して除名した。このことは、世間に「党首を批判する本の出版は、内容の如何を問わず許さない」-実に高圧的な姿勢との印象を与えた。「ならぬ堪忍するが堪忍」という懐の深い対応であって欲しかった。

 氏の著書が《発言の自由と行動の統一》の組織原則に則った《提言の書》であることの論証は、次回以降のテーマだ。本稿では、「日本共産党を時代が要請する近代政党に変えるべし」との鈴木氏の提言に耳を傾けることの理由と意義について語れていればOKだ。日本共産党の若い党員諸氏には、未来を信じ未来に生きる変革者として、鈴木元氏が提起した改革課題を継承し実現して欲しい。そのことを願って、結びとする。


=== 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます。 ===

多様性を認め合い、違いに寛容を! - にほんブログ村

0 件のコメント: