「共産党が変われば日本の政治は変わる」との論理で、日本共産党に自己否定を迫る主張が散見される。それは、「共産党が反米、反安保、自衛隊違憲論を綱領において否定しな限り、日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障政策を掲げる立憲民主党との真の意味での野党共闘が実現せず、現行の選挙制度の下ではほとんど勝負にならないからだ」という。はっきり言って、「何のために、なぜ」を横に置いた無節操な野党共闘重視論である。
続けて、論者は、「欧州ではコテコテの共産主義からより民主的社会主義政党へと脱皮できた共産党は、今も一定の勢力を保っているが、イデオロギーにこだわり保守的共産主義を標榜し続ける共産党はどこの国でも力を失っている」ともっとも顔で指摘する。しかし、その主張の要は、「これ以上の党勢の後退を避けたければ、立憲民主党Bを目指せ」との主張に過ぎない。
彼らは、何のための野党共闘かをまったく分かっていない。「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配」の破滅的な進行を阻止するために、互いの違いを乗り越えて共同して闘うことこそが真の野党共闘であることは、彼らの理解能力の外にあるようだ。互いの違いを乗り越えるとは、共闘のその先にある互いの目標について寛容であることを意味している。野党共闘は、それぞれが掲げる目標を一致させることをもって成立するものではない。それぞれに違いを認め合ってこその共闘なのである。
このまったく自明な野党共闘の初歩的な知識さえ持ち合わせていない対米従属的な野党共闘推進論は、日本の民主主義的改革と真の独立を目指す共同戦線のセンターである日本共産党に対し本来の針路や航路から外れて進むことを促す偏走の論理でしかない。
本稿の目的は、日本共産党が偏走の論理に組しない為のはっきりとした基準を示すことである。その時々に発する言葉は、述べる者のスタンスと意識を反映する。スタンスの揺れと意識の暴走を抑えるために、未来の党首である宮本哲三氏に語ってもらう。
偏走の論理に組しない3基準
私は、既に、2023/4/13付けの「発言の自由と3つのルール」で、偏走の論理に組しない3つの基準の雛形を示しています。
- 自らの主張を道理に基づいて発信する。
- 党員としての原則的な誤りは犯さない。
- 関係する組織と人々に十分に配慮する。
は、次のように言いかえることができます。
- 当面する目標を実現する為の有意な妥協。
- 守るべき原則を無視した取り引きの禁止。
- 関係する組織と人々に配慮した政治決断。
2023/4/10付けの「松竹氏除名問題と親亀子亀」で、「当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結、さしあたって一致できる目標の範囲での統一戦線を野合連合として一概に否定することは、誤りである」と述べています。基準1は、《当面する目標を実現する為の有意な妥協》であると判断した時は、積極的に野党連合の結成を促し、参加するということです。基準2は、有意な妥協だとしても、守るべき原則を無視した取り引きは、厳しく戒めています。例えば、日米安保を是認するという誓約書にサインするなどの取り引きです。
最初のハードルを跳び越えたら、後は比較的に容易である。
カーニハン・リッチーが言ったように、最初の一枚にサインしたら、その後に避けるべき妥協を重ねることは比較的に容易です。我が党は、跳ぶことを許されない最初のハードルを越えることは決してしないというのが、2つ目の基準です。
さて、最終的には、我が党は、関係する組織と人々に配慮した政治決断をする必要があります。関係する組織と人々に不和と対立とをもたらす種類の決断は、避けなければなりません。
野党共闘の弁証法
我々が目指す共闘は、その結成の条件的不可能性の不可能性を可能性に転化する段階、抽象的な可能性を実在的な可能性に転化する段階、そして最終的には、実在的な可能性を現実性に転化することで姿を現します。
これらの段階を通じて我々の共闘の形式も刷新され、それによって次の段階を目指す発展が促されます。これが、現実性の発展の基本的なあり方です。我々は、このような発展段階を十分に意識して、その時々に適した共闘の形式を見定める必要があります。野党共闘において、いきなり閣内協力などという内容と形式とが悖反(はいはん)する選択をすることがあってはなりません。
共闘の古い形式のなかの優れた要素を保持しながら、新しい内容に適合した新しい共闘の形式が漸次的に形成されてゆくことを考えれば、《当面する目標を実現する為の有意な妥協》の一切を拒否することは、内容と形式の弁証法に背を向ける誤りです。同時に、いきなりの閣内協力もまた、内容と形式の弁証法を無視した誤りです。
ところで、共闘の古い形式を壊すのは、新しい内容によって古い形式が次第に作り改められ、新しい内容に適したものになってゆくからです。つまり、PCACを核としたポスト資本主義社会を目指す共同戦線の取組みによって新しい内容が付け加えられることによってのみ、共闘の形式は発展していきます。共闘の形式は、基本的には、その発展段階に応じた内容によって決まります。《野党共闘の形式は、まったく党首間の話し合いで決まるものではない》ことを申し上げておきます。そして、その内容を刷新していくのは、我々だということです。
最後に、野党共闘の弁証法を忘却し、形式に合わせて内容の変更を迫る《自衛隊活用論と日米安保基軸論》は、共闘の古い形式を壊す戦いを放棄するものです。それは、「形勢を見て有利な側方に追従する日和見主義である」と言明しておきます。
結び
本稿では、主に、野党共闘で最初の一歩を跳ぶことの危険性、野党共闘の内容と形式の対立について述べた。もって、野党共闘の為に「何をなすべきか?」を述べたつもりである。「日和見主義的な道を探るよりも、PCACを核としたポスト資本主義社会を目指す運動を一歩前へ」と言うことだ。本稿が、日本共産党と野党共闘との関係の理解に役立てば幸いである。
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