本稿では、「在宅介護のスタイル設計と実践の方向性」には踏み込まない。なぜなら、在宅介護のスタイルは人それぞれだからだ。ここでは、私自身が悩んだこと、疑問に思ったことをいくつか示すに留める。読者の対象は、主に要介護5レベルの在宅介護関係者である。
1.要介護5と老健の現実
全国の老健(在宅復帰を目指すリハビリ施設)は、今きわめて厳しい経営環境にある。消費税減税は、その経営悪化に追い打ちをかけている。
赤字施設の割合:31〜49%
福祉医療機構(WAM)では31.3%、厚労省の2024年度調査では49.3%が赤字。特に「基本型」ほど赤字割合が高い。
収支差率(利益率):平均マイナス1.1%
厚労省の令和5年度調査で初のマイナス。最新推計でも0.6%前後と、ほぼ限界。
この数字が示すのは、老健は「要介護5の手厚いケア」を構造的に提供できないという現実である。
(1)50人に対して食事介助者ゼロ
最大限の人員配置をしても、食事介助者を置く余裕はない。巡回監視者が1人いるだけで、他のスタッフは準備と事務作業で手一杯。
(2)50人に対して身体リハビリ担当3人
計算上、週20分×2回のリハビリでも時間が足りない。スタッフを倍増しない限り改善しない。しかし経営がそれを許さない。結果として、要介護5はリハビリ対象から外されやすい。
2.老健は、要介護5を置き去りにする
自力で食事ができない、立てない、歩けない要介護5は、どうしても後回しになる。その結果、
- 栄養不足で体力が急速に低下
- 寝たきり化
- 運動機能と認知機能の同時低下
という悪循環が起こる。「寝たきり老人養成所」と揶揄される所以である。強調しておくが、これは老健の責任ではない。日本の老人福祉政策の構造的欠陥である。
3.老健時代にやっておくと有効な2つのリハビリ
在宅介護を始めて痛感したのは、次の2つが残っているかどうかで難易度が大きく変わるということだ。
- 腕の力
- 立つ力
この2つが残っていれば、以下の動作が一気に容易になる。
- 車椅子への移乗
- 食卓までの移動
- トイレまでの移動
- 入浴
すべて「立つ+横移動」の組み合わせである。支えられ立ちができ、介助者の肩や腕をしっかり掴めるかどうかが分岐点になる。
4.ムース食・ソフト食は必須ではない
老健では「在宅介護ではムース食が基本」と指導された。我が家でも5万円分のムース食を準備したが、妻は一切受け付けなかった。無理に食べさせても一日125カロリーが限度。「このままでは死ぬ」と思った7日目、妻は突然、私の夕食を横取りして食べ始めた。生への執念だった。翌日、ムース食はすべて廃棄した。
(1)咀嚼と嚥下は不離一体
「噛めば飲み込む」という反射を信じ、厚さ2mm・20mm角のリンゴ片を用意。これを口に含ませる方法で、1か月ほどで普通食に復帰した。
(2)老健と在宅の決定的な違い
- 老健:自力摂食
- 在宅:他力摂食
在宅では「好きなものを食べさせてもらう」が基本である。メニュー選びの基準はただ一つ。
妻が欲するかどうか。
「家で美味しいものを食べる」-これが在宅介護のスタートであり、運動機能と認知機能の回復を促す。
5.リハビリ計画は白紙でいい
在宅介護開始時に立派なリハビリ計画書は不要。白紙で構わない。大事なのは、トイレ誘導に小さなリハビリを組み込むこと。
(1)組み込みリハビリの例
- 掴まり棒を使ったスクワット
- 乾燥時間を利用した発声練習
- トイレ後に遠回りして戻る
(2)無理はしない
- 最初は3回から
- 増やすのは週5回が限度
- 土日は休ませる
筋肉は休むことで回復する。この「ながらリハビリ」を続けると、長期的に驚くべき効果が出る。
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在宅介護626日。この期間を支えてくれた存在のひとつが、マイクロソフトの人工知能〈Copilot〉である。
トイレでオムツを穿くために立ってくれない妻。その問題をどう捉え、どの段階で、どのように誘導すればよいのか。私の混乱した思考を整理し、いくつかの選択肢を示してくれたのが人工知能だった。人間の経験と、膨大な知識の蓄積とを組み合わせて、在宅介護の現場で起きる「行き詰まり」をほぐしてくれる。私にとって〈Copilot〉は、介護者のそばを静かに歩く“伴走者”のような存在だった。
この稿の清書も、<Copilot〉の助けを借りている。
