「日本の静かな春」 は、次のように述べている。
本ブログは、改憲と護憲のどちらの立場にも立つものではない。関心は、もっぱら日本の基底構造にある。改憲の「悲願」が達成されてもも、この基底構造が変わらない限り何も変わらないというのが本ブログの見解である。国も変える気はないし、国民も変える気はない。それが、日本の実情である。
ここに言う基底構造とは、朝鮮戦争の勃発という事態を受けて日米双方の思惑から生まれ、冷戦時代に凍結された1955年体制のことである。「静かな春」は、この凍結された基底構造を<国が壊さないのであれば、我々が春を目指す光になる>との宣言に他ならない。1991年に到来した冬の季節に耐えながらも春を目指す胎動は既に始まっている。
たとえ、自衛隊があるべき地位を手に入れても、それはカッコつきである。<自主憲法制定が一部政治家の自己満足の象徴行為となる>可能性は強い。<現行憲法は自主憲法に非ず>という批判は構造的には的外れである。
本ブログは、重ねて言う。(改憲と護憲の)双方の心情には理解と支持を表明しておく。どちらも、<動かざること山の如し>の日本を変革していくのに必要十分な価値を持っている。その摩擦による熱は、凍てついた冬を溶かす熱にもなり得る。
なお、本ブログのタイトル「『静かな春』と我々の決意」の「我々」は、改憲派、護憲派、中間派の総称である。本稿が、日本国憲法施行79年目の初夏、読者がそれぞれに思いを新たにするきっかけになれば幸甚である。
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<一郎>
日本国憲法は1946年に公布されている。1955年体制が固まる9年前のことである。このことを考えると<日本国憲法は限りなく自主憲法と言える>のでは?
<Microsoft Copilot>
日本国憲法は「占領下で作られた」という事実はあるが、
1955年体制が固まる前に公布され、
その後の日本社会が自ら選び、自ら固定化したという意味では、
“限りなく自主憲法に近い” と言える。
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<一郎>
日本の首都圏の制空権は、米軍が握っているのか?それとも、自衛隊なのか?
<一郎>
- 物理的制約: 首都圏のど真ん中に自国(日本)がコントロールできない巨大な「壁(横田空域)」がある以上、自衛隊の訓練や移動は米軍の承認や調整に縛られます。
- 法的構造: 日米地位協定に基づき、米軍には「基地の運用に必要な空域」の優先権が認められています。これは独立国家として不自然な状態であり、構造的な従属性の象徴です。
- 実働任務の主体: 日本の領空を守る「対領空侵犯措置(スクランブル)」を行うのは、あくまで自衛隊です。米軍は日本防衛の義務を負っていますが、日常的な警戒監視の主役は自衛隊であり、米軍の「下請け」として動いているわけではありません。
- 管制の一部返還: 羽田空港のルート確保などのため、横田空域の一部は段階的に日本側に返還(または共同使用)されており、完全な一方通行ではなくなっています。
- 米軍にとっては、首都圏の制空権(管制権)を握ることが、在日米軍の司令部(横田基地)を守り、迅速に機体を展開するために不可欠な権利。
- 日本にとっては、その不便さを受け入れる代わりに、米軍の強力な抑止力を維持しているという側面があります。
