2023/05/12

終了宣言!


はじめに

 そろそろ、本サイトも幕を下ろす時が来たようだ。所詮は、私は、外野である。日本共産党に期待してきた庶民の一人。これ以上、此度の除名問題に口を挟むのは適当ではないのかも知れない。それに、この間に考えたことは、ほぼ全て言い尽くした。ここら辺りが、潮時だろう。

鈴木氏提言と私の想い

 此度の除名問題が起きる前に、鈴木氏の著書に接して、積年の疑問の多くが氷解していった。薄々感じていた民主集中制への疑問、幹部の定年制と任期制がないことへの疑問、民主主義革命後のテーマに関する疑問、生産手段の社会化に関するプロレタリア独裁を想起させる綱領の記述に関する疑問。それらの疑問に対する、自分なりの明瞭な答えを手にすることができた。

 ところで、普通に考えれば、党執行部との対立は、路線対立の現れである。が、此度は、主に、党首のあり方とその背景にある民主集中制に対する考え方の対立。共産党の歴史的な退潮原因に対して、組織体質の転換をもって立ち向かうのか否か?という対立である。

 私は、氏の《現役党員としては普通とは言えない冒険主義的な決起》に全面的には賛同できなかった。氏が、党との非和解的な対立を招きかねない二要求を掲げて、一歩も引かなったのはなぜか?代議員制と相いれない党首公選と言う名の党員による直接選挙には、まったく道理というものがない。そのことは、党歴60年の古参である鈴木氏ならば、十二分に承知の筈。なのに、無理筋の党首公選を掲げて決起したのか?それは、かかる疑問を完全には払拭できなかったからである。

 それでも、基本的に鈴木氏を支持したのは、鈴木氏の提言が、ほぼ私の考えを代弁していたからに他ならない。そして、氏の提言が、《私が期待する方向で日本共産党が変わる》との望みを持たせたからである。

 私の他力本願的で身勝手な期待は、物の見事に外れた。鈴木氏の決起が、氏の除名という最悪の結果で終わったことは、実に残念なことである。後は、此度の除名問題が、共産党に名誉となる解決に至ることを願うばかりだ。

日本共産党の未来を信じて

 なお、私は、次のような割と楽観的な見通しも持っている。

  1. 組織原則の民主統一制への進化と反共攻撃との闘い。
  2. 社会主義に至る諸段階の明確化と反共攻撃との闘い
  3. 生産手段の社会化に関する規定と反共攻撃との闘い。
  4. ポスト資本主義を目指す共同戦線結成と党の役割り

 本サイトが提起した《党再生に向けた4つの論議》の必要性については、日本共産党内で大方は共有されていると推測している。しかし、これまでの不破氏・志位氏の言説及び大会決定との整合性を重視する保守主義が、その表面化を防いでいる。この保守主義が薄らぐには、これから12年程の時を要するだろう。つまり、1970年代入党の党員が退場するにつれて、過去との整合性を重視する力が弱まり、未来への適応性を重視する力が強まる。そして、やがて保守主義と改革主義との均衡が破れていく。

 俗な言い方をすれば、「いずれ、時が解決する」との見通しを、多くの党員諸氏が胸に秘めているということだ。「これまでの秩序と約束事を積極的に破る争乱を表面化させるよりも、実態としての組織体質を変えることに軸足を置く」ー党の幹部の多くは、このような政治判断をしているのかも知れない。そして、かなりのベテラン党員諸氏も、同じような思いなのではないだろうか?私は、現在の(表面的には)静かな党内情勢を、そのように見ている。だとすれば、我々は、近い将来に、必ず、《多様性を認め合い、違いに寛容な、ポスト資本主義を目指す共同戦線のセンターとしての日本共産党》を見ることになる。

 日本共産党は、かたくなな保守主義と大胆に自己変革して時代に適応していく進化主義を併せ持つゆえに、この反共産党・反社会主義の時代をしぶとーく生き残っているのかも知れない。そんな日本共産党を信じて、本サイトは幕を下ろす。

結び

 さて、日本共産党の保守主義と進化主義のほどよい鬩(せめ)ぎ合いに対する信頼を完全に失うと、(エブラハム・クーパー氏の表現を借りれば)反共主義者が集うブラックホールに落ちる危険がある。そこに、一歩足を踏み入れると、底なしの深い闇が待ち受けている。しかし、鈴木氏の目は、党内で日々力を蓄えつつある進化主義をしっかりと捉えていると信じている。次の言葉が、それを示している。

私は、決して、反共主義者にはならない。(鈴木元)

 最後に、鈴木元氏の健康と名誉回復を願って結びとする。何としても、我々は、90歳まで生き延びなければ、変わる日本共産党を見ることはできないのだから・・・。


多様性を認め合い、違いに寛容を! - にほんブログ村


2023/05/09

民主集中制と共産党の再生-鈴木元

民主集中制をやめよと主張する鈴木元氏

 本稿は、鈴木元氏が、5月2日にFacebook にアップした「レーニン、コミンテルン以来の民主集中制をやめる事を抜きに共産党の再生は無い」と題した記事の紹介である。

 なお、再録するにあたって、(サイトの都合上)タイトルを短くしている。また、見出しの(6)と《結び》は、当方で挿入した。その他は、句点を追加していることを除けば、原文のままである。

はじめに

 先に、私は、志位委員長が全党員参加の党首公選制を述べた松竹・鈴木除名処分をしたことや、選挙で負けても党勢拡大に失敗し後退しても責任を取らない点を批判した。そのコメントの中で、私は志位氏の経歴から来る個人的資質についても書いた。しかし、志位氏でなく他の誰かが委員長に就任すれば、このような事は起こらず、責任者が辞任したり党内選挙によって解任されたりするのだろうか?先に結論を言って申し訳ないが、現行規約の民主集中制を続ける限り、そのような事は起こりえないと考える。

 全党員参加の党首公選制は、特別なことではなく日本共産党と公明党以外の党は採用している。それを拒絶し、提案した松竹氏や鈴木を乱暴に除名処分するのは、一度握った党首の座は絶対離さず事実上の「党首終身制」を貫いているからである。なぜそのようなことが可能なのか、その点について解明する事が必要である。

(1)日本共産党はレーニンが創設したコミンテルン(世界共産党)の日本支部として創設された。

 コミンテルンに加入するには、加入条件として定められた21カ条の承認が必要であった。その中心は、革命論としては「暴力革命」。組織論としてはコミンテルン傘下の「民主集中制」。党名としては共産党などと決められていた。

 戦後日本社会が主権在民、普通選挙を基礎とした国会を国権の最高機関として位置づける中で、日本共産党は「暴力革命」ではなく選挙を通じて国民の多数とともに一歩一歩社会を変えていくという「平和革命論」に発展させ、今日に至っている。しかし、組織運営の原則として民主集中制を貫くことについては変更されなかった。

 1975年、叙述家・立花隆氏は「文藝春秋」に「日本共産党の研究」の連載を開始した。この論文をはじめ立花氏は「暴力革命と民主集中制、共産党という名前は三位一体であり、共産党が民主集中制を放棄しない限り、暴力革命を放棄したのは信用出来ない」という趣旨の論を展開していた。

 これは無理な議論であった。日本共産党は第7回党大会以来「平和革命論」を正式に党大会で決定し追求し、その精緻化を図り、その都度党大会で決定していた。しかし、民主集中制の起源は、専制国家ロシアにおいて少数者による武装蜂起によって、どのようにしてツァリーを倒し権力を握るか、それにふさわしい党の在り方はどうあるべきかと、レーニンが追求した中で編み出した組織論であった。

 レーニンのロシア共産党、そして彼が創設したコミンテルンが貫いた党のあり方は、「職業革命家」を中心とした党、少数は多数に下級は上級に従う党運営、決定は無条件実践などを特色としていた。したがって、現在の日本においては適切ではない党運営であり、脱皮しなければならなかったが、それをしてこなかった。

(2)日本共産党は民主集中制として、党規約第三条において五つの柱を書いている。

 党は・・民主集中制を組織の原則とする。その基本は次のとおりである。

  1.  党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2.  決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。
  3.  すべての指導機関は選挙によって作られる。
  4.  党内に派閥・分派は作らない。
  5.  意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 不破哲三氏は、2001年の第22回党大会における規約改定の報告において、「これが新しい改定案にしめされた民主集中制の五つの柱であります」とした。そして、その後の党規約の説明においても、そのように説明されてきた。

 しかし、この五つの柱は、民主集中制ではない。他の党や団体でも採用されている組織の民主的運営の原則である。ただ第四項の「派閥・分派はつくらない」だけは、自民党などでは認められているが、共産党では認められていない。自民党など党内での派閥を認めている党は、派閥として一定の政治目標を定め公表している。誰が派閥構成員かを明らかにし、定期的に会議を開き、ある場合には定期的に機関紙を発行している。日本共産党において、そのような派閥・分派が構成されたのは1964年に部分核停条約の時に、志賀義雄、鈴木市蔵等による「日本のこえ」ぐらいである。共産党の規約ならびに大会決定においても「何が分派なのか」「なにが派閥か」の規定はなく、実際のところその時の指導部が分派だと言えば分派になり処分の対象となってきた。

 第一、三、五項は書いてあるだけで、実際にはまともに実践されていない。初めて地区党会議等に参加した人が驚くのは、地区党会議において地区委員会から提案された議案に対して異論を述べる人がおらず、満場一致で採択されることである。党の綱領と規約を認めて入っても、出身階層・成育歴・社会的地位・収入に差がある党員の間では、個々の方針・政策に意見の違いがあって当然である。しかしほとんどの会議では異論・反論・批判は出ず満場一致で採択されている。そして、役員選挙では大概の場合、現在の地区委員会が推薦した名簿が唯一で、立候補者はいず、事実上の信任投票(候補者の名前の上に〇×をつける)が行われている。

 そして、「五、意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」は、除名する時に「意見の違いで排除したのではない」ことの言い訳をするための文言であり、実際には第一項の多数決制を実行せず、異論者を排除し満場一致としてきた。その点、自民党は、派閥の存在を認め党内で公然と論争することによって活力を引き出している。

(3)読み取れないところにレーニン流の民主集中制が

 ところで、先の第三条の五つの柱の中には、日本共産党がコミンテルンの支部であった当時から引き継ぎ、他の党と根本的に異なる民主集中制の根幹は明記されていない。それは以下の諸点である。何年間か党に属してきた人は断片的には知っていることである。

  1. 共産党は、給与が党から支給されている常勤活動家(昔の言葉で言えば「職業革命家」)を核とした党組織であり、
  2. 党役員の選挙は実質的には行われず、役員の任期も定年も無く、屋上屋(おくじょうおく)を重ねた組織で下からの意見や批判が生きない組織運営になっている。
  3. 所属組織(支部・地区・県等)が異なる党員は、例え夫婦であっても意見交換は禁じられている。
  4. 党の所属組織から地区・県を通じてしか意見は挙げられず、横断的に意見を組織した場合は分派として処分される。上の組織へ意見を挙げる権利はあるが、挙げられた側には回答する義務は無い。このような状態の下、
  5. 最高決議機関である党大会の代議員の7割りを超える部分が、党から給与が保障されている専従活動家によって占められ、かつ1割の少数意見は9割りの多数派によって代議員には選ばれず、党大会代議員は基本的に100%執行部の方針に賛成する人によって占められる仕組みになっていて、一部例外を除いて満場一致が常態化している。そして地区委員会、県委員会、中央委員会、幹部会、常任幹部会と屋上屋を重ねた組織のために、執行部批判は党運営に反映しない仕組みになっている。
  6. 党運営の核となっている三役(委員長・志位和夫・副委員長・書記局長)は、前党大会の常任幹部会(委員長・志位和夫)が推薦し新しい中央委員会で了承を得る。そのうえで新三役が常任幹部会員・幹部会員を推薦し了承を得るという仕組みを取っている。しかも不破氏や志位氏が最初に書記局長に就任したのは、宮本委員長による後継者指名によってなされた。そして定年制も、任期制もなく事実上「終身幹部」制度が行われ、宮本・不破・志位氏のいずれも30年単位で最高責任者を務めてきた。こうした組織では、いくら選挙に敗れてもいくら党勢が後退しても、本人が自ら辞めないかぎり続くことになる。
  7. こうした点では、中国共産党の組織運営より非民主的である。

 なお、手元に党勢(党員・赤旗読者)の資料があったので、一例として記載しておく。

 |2010年1月|第25回党大会|党員 40.6万人|赤旗読者 1.454.000部|
 |2014年1月|第26回党大会|党員 30.5万人|赤旗読者 1.241.000部|   
 |2017年1月|第27回党大会|党員 30.0万人|赤旗読者 1.130.000部| 
 |2020年1月|第28回党大会|党員 27.0万人|赤旗読者 1.000.000部|
 |2022年9月|党創立 100年|党員 26.0万人|赤旗読者    900.000部|
 |2023年5月|―---――――|党員 25.5万人|赤旗読者  _857.000部|

(4)中国共産党より非民主的な日本共産党

 中国共産党は、毛沢東の個人独裁によって、彼の思いつきによる「大躍進運動」によって4000万人もの餓死者が出たし、「文化大革命」による武装闘争で1000万人の死者を出したことから、中央委員選挙の実質化によって個人独裁を防ぐ、それでも長期権力は腐敗するとの歴史の教訓から、定年制そして任期制を定めた。

 中央委員は党大会で選出されるが、定数(例えば200名)より多い219名の名簿が提出され、全代議員による秘密投票で票数の多い順から200名までが当選し19名は落選する仕組みとして今日に至っている。

 また、習近平氏が二期目になるまでは、定年制(選出時68歳まで)任期制(2期10年)が堅持されていた。ところが、習近平氏が2期目に入ってから定年制と任期制が事実上廃止された。

 この事態に対して、世界の世論は「習近平氏は毛沢東化する危険がある」と論じた。しかし、日本共産党だけは批判しなかった。なぜなら、日本共産党は中央委員の実質的選挙を行っていず、定年制も任期制も実施していないからである。定年制については、委員長を志位氏に譲った不破氏は、93歳になった今も常任幹部会員として全党の理論活動の指導者として座っている。任期制についても、志位氏は、2000年に幹部会委員長に就任して以来23年も委員長にとどまっている。

 中央委員は、全員党中央から給与が支給される専従活動家である。そして、県委員長も全員中央委員であり中央から給与が支給されている。その給与は、県の他の常任委員の1.3倍から1.5倍の額が支給されている。国会議員は、例外(衆議院の赤嶺氏、参議院の山添氏)を除き、比例区で当選した人達である。衆議院では、当選は中央委員会が決めた順位で当選が決まる。トップに位置付けられた人は何もしなくても当選するし、下位に位置付けられた人はどんなに頑張っても当選しない。参議院は、その制度がないので中央が当選させたい人の地域割りを大きくしている。こうした体制の下で、中央委員や県委員長、国会議員が志位指導部を批判しその辞任を求めることはありえない。自らの解任を覚悟しなければ、出来ない仕組みになっている。

 監査委員会ならびに規律委員会(昔の統制委員会を改組したもの)は、本来中央委員会も対象であるが、赤旗編集局と同様に中央委員会(常任幹部会)の任命制となっている。これでは、中央委員会をチェックする機関は無いに等しい。こうして、一度委員長に就任すると年月が経過するにしたがって独裁的傾向が強くなっていく。

(5)トロッキーのレーニン批判

 ところで、ロシア共産党(当時は社会民主党と名乗っていた)の在り方を論議した1903年の第二回党大会において有名なレーニンとマルトフの論争がある。マルトフは、ドイツ社会民主党を模範とした大衆的な党を提起した。それに対してレーニンは、職業革命家による党を説いた。つまり職業革命家を中心とした少数精鋭者による武装蜂起でツアーリ体制を倒そうとしたのである。当時のロシアの事情からはレーニンの提案の方が妥当であったろう。しかし、彼が1919年にコミンテルンを結成するにあたって「少数者による武装蜂起による暴力革命」、「職業革命家による鉄の規律による党運営を行う民主集中制」を絶対的命題とした事は、専制的国家ロシアでは成り立っても、民主主義的政治制度が確立されている先進国には適用できない誤った方針であった。

 この時の論争では、レーニンとマルトフのことしか紹介されてこなかった。この時トロッキーは、党が分裂することを防ぐために両者の調整に入った。これに対してレーニンのボルシェビキは、長くトロッキーのことを日和見主義者メンシェビキとの「調停主義者」と蔑視的レッテルを貼ってきた。トロッキーは、党の分裂を避けるために調整に走り失敗し、その後は長くどちらにも属さないで独自活動をつづけた。なお、この時レーニンの党規約案は過半数の支持を得られず否決された。しかしレーニンたちは自分たちのことをボルシェビキ(多数派)と自称し、マルトフ等のことをメンシェビキ(少数派)と呼んでいた。

 実はこの時、トロッキーは、レーニンの民主集中制については厳しく批判していた。党大会の次の年である1904年に執筆し1905年に出版した本がある。「我々の政治的課題―戦術上および組織上の諸問題」である。スターリン時代のソビエトでは発禁の書となっていた。ゴルバチョフ時代になり出版の自由が大幅に認められ歴史の見直しが始まり、この本も出版された。日本でも「大村書店」から1990年に出版された。ソビエト崩壊直前のことである。私はマルクス主義、ロシア革命の見直し作業を行う中でこの本の存在を知り取り寄せて読んだ。わずか23歳の青年が書いた本であり、ロシアの実情を踏まえた本という点では極めて観念的な論の展開が多く、私は彼が展開している論の全てに賛意を持つものではない。しかし彼が展開した民主集中制についての批判、特に「代行主義」という考えには共感するし、僅か23歳の青年が書いたという点では、天才的ひらめきというか、物事の本質を見抜く鋭い批判精神に驚かされた。

 彼の説いた「代行主義」とは、職業革命家中心の党は、労働者階級の意思を代表するということで労働者(国民)の代行者となり、その党では党を代表する指導機関としての中央委員会が全党を代行する。そして、中央委員会を代表する幹部会が、中央を代行し委員長(書記長)が幹部会を代行する。こうして委員長(書記長)による独裁的運営となっていくと論じたのである。そして実際、職業革命家を核として民主集中制を採用した世界中の共産党において「代表者」は専制的な終身指導者となっていった。例外は無い。レーニンが作った「職業革命家を核とし民主集中制」の党運営が駄目なのである。この仕組みを辞めない限り、日本共産党の再生は無いだろう。

(6)3年連続の敗北を党改革の機会とせよ

 ところで、『志位和夫委員長へ手紙』で紹介したが、日本共産党が採用している民主集中制について、1970年代後期から1980年代前期にかけてマルクス主義的政治学者であった藤井一行氏、田口冨久治氏、加藤哲郎氏等が批判していた。今から40年も前の事である。まさに先駆的なことであった。しかし当時、不破哲三書記局長(当時)等が「赤旗」や『前衛』などで彼らを徹底して批判し社会的に葬った。本当は彼らの意見も聞き、開かれた討論を行って先進国に応じた党のあり方への改革を進めるべきであったが排斥した。その結果、先進国には合わないレーニン型・コミンテルン型の党運営・民主集中制が継続され、党は硬直し衰退への道を歩むことになった。今回の3年連続の選挙での敗北を党改革の機会とし、新たな改革の道を進むべきであろう。

結び

 再度いう。志位氏は、私に謝罪し除名を取り消して名誉を回復し、自身は辞任すべきである。そして、臨時執行部の下で私や松竹氏と党改革の討議を行う場を持つべきだろう。それこそが、共産党が再生する唯一の道だと考える。私の名誉が回復されるなら、党改革へ少しばかりのお手伝いをさせていただく決意はしている。

付記:

 本サイトの党規約第3条に対する評価は、2023/04/02《民主統一制への脱皮を!》及び2013/04/07《規約改正に関する宮本報告》を参照して頂ければ有難い。

 また、鈴木氏の「全党員参加の党首公選制は、特別なことではなく日本共産党と公明党以外の党は採用している」との主張に対する本サイトの見解は、2023/05/01《除名問題と党首公選プロパガンダ》と多少刺激的なタイトルを付けた記事を照して頂ければ有難い。


多様性を認め合い、違いに寛容を! - にほんブログ村


2023/05/06

歴史的な退潮原因と指導部責任論

性急な指導部責任論を乗り越えて前へ!

はじめに

 既存の秩序と約束事を無視して突っ走る冒険主義の危険は、「革命的な党改革と冒険主義」で示した通りである。本稿では、更に、指導部責任論が、ある角度から見れば正しい、しかし、別の角度から見れば性急に過ぎることを明らかにする。そのことで、暴走する論理を乗り越え、歴史的な退潮をもたらした3大原因と闘う道筋に、はっきりとした焦点を当てる。

日本共産党の歴史的な退潮原因

 1980年を境に、国内繊維産業は、衰退の一途を辿った。特に、紳士服の製造業を襲った時代の波は、容赦なく同業種に携わる企業を苦境に追い込んだ。1991年のバブル崩壊から5年が経過した1996年以降、正に、転廃業を迫る嵐が日本中に吹き荒れた。2000年の雑誌「洋装」の休刊は、同業種の壊滅的な惨状を象徴する出来事だった。団塊の世代の高齢化と生活様式の多様化という時代の波には、何人にも抗う術がなかった。

 国内繊維産業衰退の歴史は、時代の逆風に晒された企業の行く末を余すことなく示した。日本共産党の歴史的な退潮傾向は、まったく国内繊維産業の衰退傾向と軌を一にしている。そういう点では、誰彼の責任だと言い争う余地などないほどに深刻な問題である。

 1966年から1976年にかけては、毛沢東による文化大革命の嵐が中国全土に吹き荒れて、社会主義の理想は地に落ちた。1978年、中国は、改革開放に舵を切り、国家による統制的・官僚主義的な計画経済政策の破綻を全世界が知ることになった。こうして、1980年を境に、時代は反社会主義へと舵を切った。それを更に後押ししたのは、1989年の天安門事件とベルリンの壁の崩壊である。そして、1991年のソ連邦の崩壊で反共産党、反社会主義の風は、決定的となった。

 このように多少でも歴史を俯瞰すれば、日本共産党の歴史的な退潮原因は明らかである。それは、一言で言えば、反共産党、反社会主義に傾いた時代の反映である。指導部責任論は、「首をすげ替えれば、問題は解決へと向かう」という幻想を抱かせ、結果的に党内対立を煽っている点で誤りでしかない。

 しかし、40数年に及ぶ後退局面にあって、党の指導部が、鈴木氏が掲げた諸改革に前向きではなく不十分であった点では、その責任は問われるべきである。氏の一年余に渡る上訴が一顧だにされなかったことは、除名覚悟で反旗を翻したことは性急すぎるとしても、鈴木氏に道理をもたらしている。「ある角度から見れば正しい、しかし、別の角度から見れば性急に過ぎる」という理由である。

一斉地方選挙で敗退した原因

 Japan Forbes の2021年7月7日付けの記事は、ピュー・リサーチ・センターが公表した報告書について次のように伝えている。

 「中国政府が国民の自由を尊重していない」という認識の浸透で「中国の好感度は、先進国で過去最悪水準」で、なかでも「日本は88%が否定的」であった

 社会主義を標榜する中国と中国共産党に対する好感度の低さは、同じく共産党を名乗る日本共産党に対する好感度にも否応なく反映されている。2022年のソ連によるウクライナ侵攻、中国における習近平三選による個人崇拝の復活によって、反ソ・反中国・反共産党の風が更に強まった。度々発せられるJアラートは、日本共産党が訴える軍拡反対の声を多少なりともかき消した。そんな中での先の一斉地方選挙。嫌中・嫌露・嫌韓の先鋒隊である日本維新の会が躍進し、日本共産党が敗退したことは、或る意味で当然の結果である。

日本共産党の地方議員数の推移

 なお、一部に、松竹・鈴木除名問題が影響して「一人負けした」との見方があるが、1990年以降の地方議員数の推移をグラフにしてみれば、必ずしも、そうではないことが判る。此度の一斉地方選挙での後退も、従来の退潮傾向の延長線上のそれでしかない。もちろん、この間、4.6%に上昇していた支持率が2.8%ないし1.6%へ急落したことは、松竹・鈴木除名問題の深刻さを表している。地方選挙では限定的だったとしても、衆議院選挙へのかなりな影響は免れないとみるべきだ。

退潮原因を覆い隠す指導部責任論

 本サイトでは、歴史的な退潮原因を次の3つだと指摘してきた。

  1. 党名に対する強い忌避感の存在
  2. 社会主義への強い忌避感の存在
  3. 時代の追い風が吹いていない!

 そして、歴史的な退潮傾向を抜け出すために、3つの課題を提起した。

  1. 怖い政党という印象の払拭
  2. 旧ソ連型の社会主義の否定
  3. 時代の追い風を帆にはらむ

 そして、第一の課題を達成するために、「党名変更に勝る民主統一制への移行」を提案した。第二の課題を達成するために民主主義革命⇒ポスト資本主義革命⇒社会主義的変革という社会主義への段階的移行の明確化生産手段の社会的領有に関する旧い定義からの脱却を提案した。第三の課題を達成するためにポスト資本主義を目指す共同戦線のセンターへの転身を提案した。

 冒険主義的な指導部責任論は、(問題を矮小化することで)日本共産党の歴史的な退潮原因から目を逸らす否定的な役割りを果たしている。そればかりか、退潮傾向から抜け出す3課題への集中をも遠ざけている。結果として、課題達成のための取組みの開始を遅らせる。我々は、性急な指導部責任論に自制を求めつつ前に進まねばならない。

指導部は、革命的な変革の先頭に!

船の進路は、風や波ではなくて帆で決まる

 冒険主義者の指導部責任論批判は、指導部ならではの責務を曖昧にするものではない。当然のことながら、今こそ指導部は、次の諸点についての討議を急ぎ、自己変革を達成しなければならない。
  1. 組織原則の民主統一制への進化と反共攻撃との闘い。
  2. 社会主義に至る諸段階の明確化と反共攻撃との闘い
  3. 生産手段の社会化に関する規定と反共攻撃との闘い。
  4. ポスト資本主義を目指す共同戦線結成と党の役割り
 いずれも、反共産党、反社会主義に傾いた時代にあって、日本共産党が時代の追い風を帆にはらむためには、避けては通れない論議である。上記の諸点を巡る討議は、日々ネット上で展開されている反共産党、反社会主義の主張を打ち破るための完全に有効な武器をもたらす。たとえ、それが争論に発展しようとも、党指導部は、党の革命的な変革の先頭に立って討議を進める責務がある。
The snake which cannot cast its skin has to die.

 「脱皮しない蛇は死ぬ」とは、ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェが残した箴言(しんげん) である。それは、自己変革できない組織は、変化していく時代に適応できなくて滅びるという警告である。ニーチェが言ったように、自分自身を変えることが、党が成長するためには、是非ともに必要である。仮にも、一歩たりとも、変わるための論議を進めないとしたら、鈴木元氏が憂慮する党の自壊が進むことは避けられない。

結び

 はっきりさせるべきは、性急な指導部責任論を批判することは、鈴木提言の価値ある部分を否定するものではないということだ。それはそれ、これはこれである。鈴木氏の冒険主義に自制を求めつつ、まったく正しい氏の指導部責任論に光を当てることは、鈴木提言から真に価値あるエッセンスを抽出するのに欠かせない工程である。


多様性を認め合い、違いに寛容を! - にほんブログ村

2023/05/04

革命的な党改革と冒険主義

夜明け前の海を波を切り裂いて進む日本共産党丸

はじめに

 日本共産党が、1980年を境に党勢の退潮傾向にあるのは否定し難いことである。本サイトでは、2028年問題として名付けて、革命的な党改革を急ぐべきだと訴えてきた。革命的と呼ぶのは、党の組織原則を民主集中制から民主統一制へと進化させる激動的な、党の体質そのものの質的変化を目指す取組みだからだ。

 革命的な党改革を成功裏に進める為には、既存の秩序や約束事を無視しようとする内なる声と闘う必要がある。なぜなら、「革命的な時期が進化的な時期によって準備されることなしには到来しえないことを見ない者は、冒険主義者」だからである。「『量から質への転化の法則』は、冒険主義が誤りであることを示している。(「弁証法的論理学試論」寺沢恒信)

日刊紙赤旗と2028年問題

2028年、日刊紙赤旗の発行部数は12万部まで激減

 Excelで、1977年から2020年にかけての党員数と機関紙読者数の推移をグラフにして近似曲線(指数近似)を求めると、機関紙読者数は、2028年末までには75万部を割り込む。推定発行部数16万部の日刊紙赤旗は、発行部数が12万部まで落ち込んで採算ライン(推定約18万部)を6万部も下回る見込みだ。毎年、数億円を大きく上回る赤字が予想される。正に、日刊紙は、存続の危機を迎える。

 インターネット上には、反動勢力が流す情報と悪意に満ちたファクト情報が溢れている。そのなかにあって、赤旗記者たちによる《足を使った事実に基づく価値ある記事》を毎日読むことができる日刊紙の存在は貴重だ。「善い記者が良い紙面をつくり、信用される記者が信用される紙面をつくる」を実践するならば、その存続の可能性は皆無ではない。日本共産党には、「インターネットやスマホの普及で、新聞が読まれなくなったからだ」(桃野泰徳)を言い訳にしないで、読まれる紙面作りを第一義にして、Excelの近似曲線を否定して欲しい。

冒険主義の二つの誤り

 (戦術としての)冒険主義の特徴の一つは、既存の秩序に対する反乱を通じて激動的な時期を早めようとすることにある。二つは、既存の約束事を破ることで反乱を暴動へと導くことにある。

既存の秩序と約束事を無視した冒険主義

 既存の秩序に対する反乱の企ては、二重の意味で誤りである。一つは、反乱が、不可避的に進化的な時期の推進者である執行部との対立を招くからである。反乱者は、執行部の勇気ある英断なくして、改革が達成されないことを忘れている。もしくは、まったく執行部を眼中においていないかのどちらかである。仮に、反乱者が、現執行部に代わる誰かを用意していないとすれば、反乱に展望を見出すことは難しい。

 二つ目の誤りは、秩序に対して無秩序で対抗する反乱は、必ずや、既存の約束事を破る諸行為を蓄積させる。その量的な蓄積は、反乱に質的な変化をもたらして反乱を動乱へと転化させる。十分に組織的な準備をしていない動乱は、鎮圧されることで終末を迎える。その結果、既存の秩序の側に、激動の時期より安定した今を選択する声を大きくさせる。

 このように、2028年問題を直視したがゆえに激動的な時期を早めようとする冒険主義は、その意に反して敵を利する結果で終わる。急がば回れは、革命的な党改革にも言えることだ。

 もちろん、冒険主義を事情の如何を問わずに否定することは誤りである。「我、捨て石となっても改革を早めん!」との決起もあり得る。鈴木元氏の行動には、この英雄的な側面があることを忘れてはならない。我々は、氏の冒険を失敗に終わらせてはならない。

回りながら急ぐ二つの宣伝作戦

 さて、何事も批判するだけが能ではない。大事なのは、建設的な提案や解決策を示し、党の旧態依然とした組織体質を変える激動期を引き寄せることだ。本稿では、二つの宣伝作戦を提示する。

  1. 組織原則の民主統一制への進化の意義を宣伝する。
  2. ポスト資本主義行動委員会結成の意義を宣伝する。
発言・出版・討議集団結成の自由と行動の統一を示した民主統一制

 旧態依然とした組織原則を民主統一制へと発展・進化させることは、焦眉の急を要する課題である。何よりも、国民の88%という大多数が抱いている共産党と社会主義に対する強い忌避感を払拭する為には、日本共産党が、古い革命政党の鎧を脱ぐことは避けて通れない自己変革の課題である。自己変革を遂げた日本共産党は、ポスト資本主義運動の共同センターとしての立ち位置を獲得する。

ポスト資本主義運動の共同センターへ

民主主義革命からポスト資本主義革命へを明示した社会主義への道

 日本共産党は、「ルールなき資本主義」から「ルールある資本主義」への移行後の展望を明確に示すことで、トップダウン型の社会主義建設に対する警戒感は払拭される。「ルールある資本主義」へと前進した時代が、社会主義建設が始まる時代であるとする現綱領の誤りは、訂正される。ルールある資本主義の時代は、《市場経済下でのポスト資本主義を目指す漸次的進化の時代だ》ということが明瞭に示される。

 二つの宣伝作戦は、日本共産党が、ポスト資本主義行動委員会の結成に尽力し、ポスト資本主義運動の共同センターとなることで、新しい時代の風を帆にはらんで、再び躍進する時代を拓く宣伝戦そのものである。

 宣伝戦の結果、党改革を求める党員が増えていけば、そこに革命的エネルギーが蓄積されてゆく。いつかは、集権集中制でしかない民主集中制に固執する勢力と民主統一制への進化を願う勢力との均衡が破れる時がくる。均衡が破れることによって、革命状態がはじまる。結果、日本共産党は、古い秩序を自己破壊して新しい秩序を獲得する。急がば回れである。

結び

 鈴木元氏の行動を冒険主義と呼ぶのは、立命館大学時代に、氏が厳しく性急な冒険主義を批判していたからである。「革命的な時期を準備する進化の時代を不屈に闘うことこそが真の戦闘性である。我々の闘いは、勝利に至る過程においては必ず敗北という結果に終わる。だから、進化の時代は、実のところ妥協の連続である。それでも、いつかは均衡が破れる。その日を目指して闘うのみである」ー鈴木氏から、そのように教わった。鈴木氏に、党首辞任と党首公選のニ要求を取り下げてでも妥協するように進言した所以である。

 一番大事なことは、鈴木氏の決起を、単なる冒険主義に終わらせないことである。大事なことは、除名という結果を変えることである。その為には、党内に革命的なエネルギーを蓄積していく闘いを継続することに尽きる。


多様性を認め合い、違いに寛容を! - にほんブログ村

2023/05/01

除名問題と党首公選プロパガンダ

「このままでは、日本共産党はダメになる」との強い想いか?

はじめに

 松竹伸幸氏の著書「シン・日本共産党宣言」の副題は、「ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」である。また、同時期に刊行された鈴木元氏の著書「志位和夫委員長への手紙」の帯には、「貴方はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」と書かれている。いずれも、党首公選を訴えることで世間の耳目を集めた。

 松竹氏は、「共産党が本当に変わるためには党首公選制しかない」と言う。鈴木氏は、「党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」と党首公選による世代交代が党の改革をもたらすと言う。共に、現執行部に対して党首公選の実施を迫っている点で軌を一にしている。

 本稿では、先ず、両氏が自著の販促を狙った党首公選プロパガンダ戦術について、その是非を問う。同時に、その主張がもたらした幾つかの拙い影響に関して取り上げる。

 なお、鈴木氏の「貴方はただちに辞任し・・・」は単なるプロパガンダではなく、氏の「このままでは、日本共産党はダメになる」との強い想いの表出でもあることも念頭において、以下を呼んでほしい。

本サイトのスタンス

 本サイトは、鈴木氏が「日本共産党は、ポスト資本主義を目指す共同闘争のセンターを目指すべきだ。そのために、革命の前衛党の旧い鎧を脱ぎ捨て、多様性を認め合い、違いに寛容な政党への自己変革を遂げよ」という提言を行っていることを評価している。また、党中央に対しては、「党首を批判する本の出版は、内容の如何を問わず許さない」という高圧的な姿勢ではなくて、「ならぬ堪忍するが堪忍」という懐の深い対応を求めている。また、「発言の自由と行動の統一」というあるべき組織原則に基づいて、鈴木氏に対する除名処分の再検討を要求している。

 なお、「西欧的社会民主主義への綱領路線の変更を迫った!」とされる同氏への非難は、当を得ていない。素直に氏の著書を読むことで、それらの非難が、単なる言葉尻を捉えた難癖に過ぎないことは判る。全ては、著者の意図を捻じ曲げずに解釈すべきである。

全党員による直接選挙の是非

 本サイトのスタンスを述べた上で、話を本筋に戻す。党首公選の是非については、既に、本サイト立ち上げの冒頭稿「鈴木提言を継承する理由と意義」で次のように述べている。

 全党員による直接選挙による党首選びなんて自民党ですら実施していない。国会議員票と党員票との間には、歴然とした扱いの差がある。党員票は、党所属国会議員と同数の票を各候補ごとにドント式で分配されているに過ぎない。仮に、12万人の党員が投票した場合、党員票の重みは議員票の400分の1。実態としては、国会議員による投票で決まっている。先進7ヵ国の中で、全党員による直接選挙のみで党首を選んでいる政党は皆無である。

>直接選挙による党首選びは、政敵打倒の常套手段!

 これは、「党首選びを利用した、独裁者によるクーデター的な党の乗っ取りを許さない」という意味で世界の常識である。仮に、党員参加型の党首公選を実施する場合にも、党員XXX人当たり1票で各都道府県に基礎票を割り当て、代議員である中央委員の票との合計票でもって選出する形が望ましい。それが、代議員制度と矛盾しない選出方法である。

 上述のように、《党員による完全直接選挙というスタイルの党首公選》には、一分の道理もないし、まったく実現性がないのは明らかである。鈴木氏は、それを承知の上で、敢えて、党中央と対立した構図を作り出して世間の耳目を引く作戦に打って出た。その結果、価値ある提言を置き去りにした感がある。そうでもして、氏が、除名覚悟の冒険をおかした理由(レーニン主義的民主集中制の弊害の告発を最優先した理由)は、日本共産党の今後に対する強い危機感からである。そうであると、信じたい。

  しかし、マスコミ各社も、党員による直接選挙に道理もへちまもないことは、百も承知の筈。それを承知で、(鈴木氏の改革提言内容には目もくれず)松竹・鈴木 vs 日本共産党の構図にのみフォーカスして騒ぎ立てたことは、商業ジャーナリズムの品位の程を示している。

党首公選プロパガンダ戦術の拙い影響

 周知のように、状況は、鈴木氏の価値ある提言から党首公選を巡るバトルにフォーカスを移して今日に至る。もはや、党首公選というプロパガンダという戦術が、(やむを得ない決断だったとしても)拙速すぎたことは明らかである。その拙い影響は、次の二つに要約される。

1、2028年問題の論議を遠ざけた

 2028年には、日本共産党の日刊紙赤旗が発行部数12万部を下回る可能性があるのは冷厳な事実である。このことは、赤旗拡大を中心に据えた党勢拡大運動が空中分解する危険性さえも予告している。党の発展と財政を支えてきた日刊紙赤旗の減紙問題は、日本共産党の将来を左右する問題である。それが、党首公選の是非論議によって後景に押しやられた。

2、綱領と規約の改革論議を遠ざけた

 綱領が、社会主義を目指すフローチャートとしては未完であることは、「躍進する時代を拓くために(3)」の《革命なき社会主義への道》で述べた通りである。また、生産手段の社会化については、なお、慎重な検討が必要なことは、「生産手段掌握論の再検討」で述べた通りである。また、党の組織原則である民主集中制を民主統一制へと発展させる意義については、「規約改正に関する宮本報告」で明らかにした通りである。

 鈴木氏が「不破哲三流の」とか「不破流の」という挑発的な表現を捨てて「未来社会論・共産主義に関する従来の解釈に拘ることなく・・・」、また「共産主義に対する従来の解釈を一旦横において考えることも・・・」などとマイルドに書いていたら、(除名は)まったく避けられた事態である。

 「『ポスト資本主義』について」で述べたように、綱領と規約に関する鈴木氏の有意な提言は、氏の挑発的な表現によって後景に押しやられた。同時に、党中央に、現綱領と規約絶対論を唱和させる拙い結果を招いた。道理なき党首公選要求は、二重の意味で改革論議を遠ざけた。いずれも、性急すぎた党首公選プロパガンダ戦術が招いた拙い結末だと言える。

除名問題の名誉となる解決を

 松竹氏による自爆攻撃は、思惑通りに日本共産党の除名処分という対応を引き起こし、その後、マスコミの「改革を訴えたら除名という日本共産党の異質な体質が露わに」という共産党批判の大合唱という状況を出現させた。

 もちろん、この大合唱は、「日本共産党は、革命政党としての旧い鎧を脱ぎ捨てるべきだ」という記者たちの普段の思いが、松竹氏除名という偶然を媒介にして表面化したという側面も少なからずある。それを察知しないで、党中央が、味噌も糞も一緒くたにして「反共攻撃だ」とマスコミとの対決姿勢を強めたのは、実に不味い対応であった。また。「いきなり外から攻撃したから除名した」と旧態依然の論理を振りかざしたのは、完全な誤りであった。

 松竹氏除名との員数合わせで鈴木元氏が除名されたことで、マスコミの大合唱は最高潮に達した。党には、人の噂も七十五日という対応もある。しかし、求められているのは、そういう消極的な対応ではなくて、能動的に、鈴木氏除名問題を党にとって名誉となる解決を探ることだ。その唯一無二の方向性は、「発言の自由と行動の統一」という時代が求める組織原則に則って除名問題を再検討・再処理することである。

結び

 鈴木元氏には、除名処分を招きかねない党首辞任と党首公選のニ要求を棚上げするという妥協をもって事態を収拾するように進言してきたが、その目的は叶わずに最悪と言える結果を招いた。が、過ぎたことを悔やんでも詮無きことである。今となっては、鈴木氏除名問題が、鈴木氏にとっても、日本共産党にとっても、名誉となる解決に至ることを願うばかりだ。その為には、お互いに面子に拘ることを捨てることが求められている。

 面子は、人生において最も危険なものである。それは、自分自身を見失わせ、他人に対して嫉妬や怒りを抱かせ、自分自身を疑わしいものにしてしまうからである。 - フランクリン・ルーズベルト


多様性を認め合い、違いに寛容を! - にほんブログ村