2023/05/12

終了宣言!


はじめに

 そろそろ、本サイトも幕を下ろす時が来たようだ。所詮は、私は、外野である。日本共産党に期待してきた庶民の一人。これ以上、此度の除名問題に口を挟むのは適当ではないのかも知れない。それに、この間に考えたことは、ほぼ全て言い尽くした。ここら辺りが、潮時だろう。

鈴木氏提言と私の想い

 此度の除名問題が起きる前に、鈴木氏の著書に接して、積年の疑問の多くが氷解していった。薄々感じていた民主集中制への疑問、幹部の定年制と任期制がないことへの疑問、民主主義革命後のテーマに関する疑問、生産手段の社会化に関するプロレタリア独裁を想起させる綱領の記述に関する疑問。それらの疑問に対する、自分なりの明瞭な答えを手にすることができた。

 ところで、普通に考えれば、党執行部との対立は、路線対立の現れである。が、此度は、主に、党首のあり方とその背景にある民主集中制に対する考え方の対立。共産党の歴史的な退潮原因に対して、組織体質の転換をもって立ち向かうのか否か?という対立である。

 私は、氏の《現役党員としては普通とは言えない冒険主義的な決起》に全面的には賛同できなかった。氏が、党との非和解的な対立を招きかねない二要求を掲げて、一歩も引かなったのはなぜか?代議員制と相いれない党首公選と言う名の党員による直接選挙には、まったく道理というものがない。そのことは、党歴60年の古参である鈴木氏ならば、十二分に承知の筈。なのに、無理筋の党首公選を掲げて決起したのか?それは、かかる疑問を完全には払拭できなかったからである。

 それでも、基本的に鈴木氏を支持したのは、鈴木氏の提言が、ほぼ私の考えを代弁していたからに他ならない。そして、氏の提言が、《私が期待する方向で日本共産党が変わる》との望みを持たせたからである。

 私の他力本願的で身勝手な期待は、物の見事に外れた。鈴木氏の決起が、氏の除名という最悪の結果で終わったことは、実に残念なことである。後は、此度の除名問題が、共産党に名誉となる解決に至ることを願うばかりだ。

日本共産党の未来を信じて

 なお、私は、次のような割と楽観的な見通しも持っている。

  1. 組織原則の民主統一制への進化と反共攻撃との闘い。
  2. 社会主義に至る諸段階の明確化と反共攻撃との闘い
  3. 生産手段の社会化に関する規定と反共攻撃との闘い。
  4. ポスト資本主義を目指す共同戦線結成と党の役割り

 本サイトが提起した《党再生に向けた4つの論議》の必要性については、日本共産党内で大方は共有されていると推測している。しかし、これまでの不破氏・志位氏の言説及び大会決定との整合性を重視する保守主義が、その表面化を防いでいる。この保守主義が薄らぐには、これから12年程の時を要するだろう。つまり、1970年代入党の党員が退場するにつれて、過去との整合性を重視する力が弱まり、未来への適応性を重視する力が強まる。そして、やがて保守主義と改革主義との均衡が破れていく。

 俗な言い方をすれば、「いずれ、時が解決する」との見通しを、多くの党員諸氏が胸に秘めているということだ。「これまでの秩序と約束事を積極的に破る争乱を表面化させるよりも、実態としての組織体質を変えることに軸足を置く」ー党の幹部の多くは、このような政治判断をしているのかも知れない。そして、かなりのベテラン党員諸氏も、同じような思いなのではないだろうか?私は、現在の(表面的には)静かな党内情勢を、そのように見ている。だとすれば、我々は、近い将来に、必ず、《多様性を認め合い、違いに寛容な、ポスト資本主義を目指す共同戦線のセンターとしての日本共産党》を見ることになる。

 日本共産党は、かたくなな保守主義と大胆に自己変革して時代に適応していく進化主義を併せ持つゆえに、この反共産党・反社会主義の時代をしぶとーく生き残っているのかも知れない。そんな日本共産党を信じて、本サイトは幕を下ろす。

結び

 さて、日本共産党の保守主義と進化主義のほどよい鬩(せめ)ぎ合いに対する信頼を完全に失うと、(エブラハム・クーパー氏の表現を借りれば)反共主義者が集うブラックホールに落ちる危険がある。そこに、一歩足を踏み入れると、底なしの深い闇が待ち受けている。しかし、鈴木氏の目は、党内で日々力を蓄えつつある進化主義をしっかりと捉えていると信じている。次の言葉が、それを示している。

私は、決して、反共主義者にはならない。(鈴木元)

 最後に、鈴木元氏の健康と名誉回復を願って結びとする。何としても、我々は、90歳まで生き延びなければ、変わる日本共産党を見ることはできないのだから・・・。


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2023/05/09

民主集中制と共産党の再生-鈴木元

民主集中制をやめよと主張する鈴木元氏

 本稿は、鈴木元氏が、5月2日にFacebook にアップした「レーニン、コミンテルン以来の民主集中制をやめる事を抜きに共産党の再生は無い」と題した記事の紹介である。

 なお、再録するにあたって、(サイトの都合上)タイトルを短くしている。また、見出しの(6)と《結び》は、当方で挿入した。その他は、句点を追加していることを除けば、原文のままである。

はじめに

 先に、私は、志位委員長が全党員参加の党首公選制を述べた松竹・鈴木除名処分をしたことや、選挙で負けても党勢拡大に失敗し後退しても責任を取らない点を批判した。そのコメントの中で、私は志位氏の経歴から来る個人的資質についても書いた。しかし、志位氏でなく他の誰かが委員長に就任すれば、このような事は起こらず、責任者が辞任したり党内選挙によって解任されたりするのだろうか?先に結論を言って申し訳ないが、現行規約の民主集中制を続ける限り、そのような事は起こりえないと考える。

 全党員参加の党首公選制は、特別なことではなく日本共産党と公明党以外の党は採用している。それを拒絶し、提案した松竹氏や鈴木を乱暴に除名処分するのは、一度握った党首の座は絶対離さず事実上の「党首終身制」を貫いているからである。なぜそのようなことが可能なのか、その点について解明する事が必要である。

(1)日本共産党はレーニンが創設したコミンテルン(世界共産党)の日本支部として創設された。

 コミンテルンに加入するには、加入条件として定められた21カ条の承認が必要であった。その中心は、革命論としては「暴力革命」。組織論としてはコミンテルン傘下の「民主集中制」。党名としては共産党などと決められていた。

 戦後日本社会が主権在民、普通選挙を基礎とした国会を国権の最高機関として位置づける中で、日本共産党は「暴力革命」ではなく選挙を通じて国民の多数とともに一歩一歩社会を変えていくという「平和革命論」に発展させ、今日に至っている。しかし、組織運営の原則として民主集中制を貫くことについては変更されなかった。

 1975年、叙述家・立花隆氏は「文藝春秋」に「日本共産党の研究」の連載を開始した。この論文をはじめ立花氏は「暴力革命と民主集中制、共産党という名前は三位一体であり、共産党が民主集中制を放棄しない限り、暴力革命を放棄したのは信用出来ない」という趣旨の論を展開していた。

 これは無理な議論であった。日本共産党は第7回党大会以来「平和革命論」を正式に党大会で決定し追求し、その精緻化を図り、その都度党大会で決定していた。しかし、民主集中制の起源は、専制国家ロシアにおいて少数者による武装蜂起によって、どのようにしてツァリーを倒し権力を握るか、それにふさわしい党の在り方はどうあるべきかと、レーニンが追求した中で編み出した組織論であった。

 レーニンのロシア共産党、そして彼が創設したコミンテルンが貫いた党のあり方は、「職業革命家」を中心とした党、少数は多数に下級は上級に従う党運営、決定は無条件実践などを特色としていた。したがって、現在の日本においては適切ではない党運営であり、脱皮しなければならなかったが、それをしてこなかった。

(2)日本共産党は民主集中制として、党規約第三条において五つの柱を書いている。

 党は・・民主集中制を組織の原則とする。その基本は次のとおりである。

  1.  党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2.  決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。
  3.  すべての指導機関は選挙によって作られる。
  4.  党内に派閥・分派は作らない。
  5.  意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 不破哲三氏は、2001年の第22回党大会における規約改定の報告において、「これが新しい改定案にしめされた民主集中制の五つの柱であります」とした。そして、その後の党規約の説明においても、そのように説明されてきた。

 しかし、この五つの柱は、民主集中制ではない。他の党や団体でも採用されている組織の民主的運営の原則である。ただ第四項の「派閥・分派はつくらない」だけは、自民党などでは認められているが、共産党では認められていない。自民党など党内での派閥を認めている党は、派閥として一定の政治目標を定め公表している。誰が派閥構成員かを明らかにし、定期的に会議を開き、ある場合には定期的に機関紙を発行している。日本共産党において、そのような派閥・分派が構成されたのは1964年に部分核停条約の時に、志賀義雄、鈴木市蔵等による「日本のこえ」ぐらいである。共産党の規約ならびに大会決定においても「何が分派なのか」「なにが派閥か」の規定はなく、実際のところその時の指導部が分派だと言えば分派になり処分の対象となってきた。

 第一、三、五項は書いてあるだけで、実際にはまともに実践されていない。初めて地区党会議等に参加した人が驚くのは、地区党会議において地区委員会から提案された議案に対して異論を述べる人がおらず、満場一致で採択されることである。党の綱領と規約を認めて入っても、出身階層・成育歴・社会的地位・収入に差がある党員の間では、個々の方針・政策に意見の違いがあって当然である。しかしほとんどの会議では異論・反論・批判は出ず満場一致で採択されている。そして、役員選挙では大概の場合、現在の地区委員会が推薦した名簿が唯一で、立候補者はいず、事実上の信任投票(候補者の名前の上に〇×をつける)が行われている。

 そして、「五、意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」は、除名する時に「意見の違いで排除したのではない」ことの言い訳をするための文言であり、実際には第一項の多数決制を実行せず、異論者を排除し満場一致としてきた。その点、自民党は、派閥の存在を認め党内で公然と論争することによって活力を引き出している。

(3)読み取れないところにレーニン流の民主集中制が

 ところで、先の第三条の五つの柱の中には、日本共産党がコミンテルンの支部であった当時から引き継ぎ、他の党と根本的に異なる民主集中制の根幹は明記されていない。それは以下の諸点である。何年間か党に属してきた人は断片的には知っていることである。

  1. 共産党は、給与が党から支給されている常勤活動家(昔の言葉で言えば「職業革命家」)を核とした党組織であり、
  2. 党役員の選挙は実質的には行われず、役員の任期も定年も無く、屋上屋(おくじょうおく)を重ねた組織で下からの意見や批判が生きない組織運営になっている。
  3. 所属組織(支部・地区・県等)が異なる党員は、例え夫婦であっても意見交換は禁じられている。
  4. 党の所属組織から地区・県を通じてしか意見は挙げられず、横断的に意見を組織した場合は分派として処分される。上の組織へ意見を挙げる権利はあるが、挙げられた側には回答する義務は無い。このような状態の下、
  5. 最高決議機関である党大会の代議員の7割りを超える部分が、党から給与が保障されている専従活動家によって占められ、かつ1割の少数意見は9割りの多数派によって代議員には選ばれず、党大会代議員は基本的に100%執行部の方針に賛成する人によって占められる仕組みになっていて、一部例外を除いて満場一致が常態化している。そして地区委員会、県委員会、中央委員会、幹部会、常任幹部会と屋上屋を重ねた組織のために、執行部批判は党運営に反映しない仕組みになっている。
  6. 党運営の核となっている三役(委員長・志位和夫・副委員長・書記局長)は、前党大会の常任幹部会(委員長・志位和夫)が推薦し新しい中央委員会で了承を得る。そのうえで新三役が常任幹部会員・幹部会員を推薦し了承を得るという仕組みを取っている。しかも不破氏や志位氏が最初に書記局長に就任したのは、宮本委員長による後継者指名によってなされた。そして定年制も、任期制もなく事実上「終身幹部」制度が行われ、宮本・不破・志位氏のいずれも30年単位で最高責任者を務めてきた。こうした組織では、いくら選挙に敗れてもいくら党勢が後退しても、本人が自ら辞めないかぎり続くことになる。
  7. こうした点では、中国共産党の組織運営より非民主的である。

 なお、手元に党勢(党員・赤旗読者)の資料があったので、一例として記載しておく。

 |2010年1月|第25回党大会|党員 40.6万人|赤旗読者 1.454.000部|
 |2014年1月|第26回党大会|党員 30.5万人|赤旗読者 1.241.000部|   
 |2017年1月|第27回党大会|党員 30.0万人|赤旗読者 1.130.000部| 
 |2020年1月|第28回党大会|党員 27.0万人|赤旗読者 1.000.000部|
 |2022年9月|党創立 100年|党員 26.0万人|赤旗読者    900.000部|
 |2023年5月|―---――――|党員 25.5万人|赤旗読者  _857.000部|

(4)中国共産党より非民主的な日本共産党

 中国共産党は、毛沢東の個人独裁によって、彼の思いつきによる「大躍進運動」によって4000万人もの餓死者が出たし、「文化大革命」による武装闘争で1000万人の死者を出したことから、中央委員選挙の実質化によって個人独裁を防ぐ、それでも長期権力は腐敗するとの歴史の教訓から、定年制そして任期制を定めた。

 中央委員は党大会で選出されるが、定数(例えば200名)より多い219名の名簿が提出され、全代議員による秘密投票で票数の多い順から200名までが当選し19名は落選する仕組みとして今日に至っている。

 また、習近平氏が二期目になるまでは、定年制(選出時68歳まで)任期制(2期10年)が堅持されていた。ところが、習近平氏が2期目に入ってから定年制と任期制が事実上廃止された。

 この事態に対して、世界の世論は「習近平氏は毛沢東化する危険がある」と論じた。しかし、日本共産党だけは批判しなかった。なぜなら、日本共産党は中央委員の実質的選挙を行っていず、定年制も任期制も実施していないからである。定年制については、委員長を志位氏に譲った不破氏は、93歳になった今も常任幹部会員として全党の理論活動の指導者として座っている。任期制についても、志位氏は、2000年に幹部会委員長に就任して以来23年も委員長にとどまっている。

 中央委員は、全員党中央から給与が支給される専従活動家である。そして、県委員長も全員中央委員であり中央から給与が支給されている。その給与は、県の他の常任委員の1.3倍から1.5倍の額が支給されている。国会議員は、例外(衆議院の赤嶺氏、参議院の山添氏)を除き、比例区で当選した人達である。衆議院では、当選は中央委員会が決めた順位で当選が決まる。トップに位置付けられた人は何もしなくても当選するし、下位に位置付けられた人はどんなに頑張っても当選しない。参議院は、その制度がないので中央が当選させたい人の地域割りを大きくしている。こうした体制の下で、中央委員や県委員長、国会議員が志位指導部を批判しその辞任を求めることはありえない。自らの解任を覚悟しなければ、出来ない仕組みになっている。

 監査委員会ならびに規律委員会(昔の統制委員会を改組したもの)は、本来中央委員会も対象であるが、赤旗編集局と同様に中央委員会(常任幹部会)の任命制となっている。これでは、中央委員会をチェックする機関は無いに等しい。こうして、一度委員長に就任すると年月が経過するにしたがって独裁的傾向が強くなっていく。

(5)トロッキーのレーニン批判

 ところで、ロシア共産党(当時は社会民主党と名乗っていた)の在り方を論議した1903年の第二回党大会において有名なレーニンとマルトフの論争がある。マルトフは、ドイツ社会民主党を模範とした大衆的な党を提起した。それに対してレーニンは、職業革命家による党を説いた。つまり職業革命家を中心とした少数精鋭者による武装蜂起でツアーリ体制を倒そうとしたのである。当時のロシアの事情からはレーニンの提案の方が妥当であったろう。しかし、彼が1919年にコミンテルンを結成するにあたって「少数者による武装蜂起による暴力革命」、「職業革命家による鉄の規律による党運営を行う民主集中制」を絶対的命題とした事は、専制的国家ロシアでは成り立っても、民主主義的政治制度が確立されている先進国には適用できない誤った方針であった。

 この時の論争では、レーニンとマルトフのことしか紹介されてこなかった。この時トロッキーは、党が分裂することを防ぐために両者の調整に入った。これに対してレーニンのボルシェビキは、長くトロッキーのことを日和見主義者メンシェビキとの「調停主義者」と蔑視的レッテルを貼ってきた。トロッキーは、党の分裂を避けるために調整に走り失敗し、その後は長くどちらにも属さないで独自活動をつづけた。なお、この時レーニンの党規約案は過半数の支持を得られず否決された。しかしレーニンたちは自分たちのことをボルシェビキ(多数派)と自称し、マルトフ等のことをメンシェビキ(少数派)と呼んでいた。

 実はこの時、トロッキーは、レーニンの民主集中制については厳しく批判していた。党大会の次の年である1904年に執筆し1905年に出版した本がある。「我々の政治的課題―戦術上および組織上の諸問題」である。スターリン時代のソビエトでは発禁の書となっていた。ゴルバチョフ時代になり出版の自由が大幅に認められ歴史の見直しが始まり、この本も出版された。日本でも「大村書店」から1990年に出版された。ソビエト崩壊直前のことである。私はマルクス主義、ロシア革命の見直し作業を行う中でこの本の存在を知り取り寄せて読んだ。わずか23歳の青年が書いた本であり、ロシアの実情を踏まえた本という点では極めて観念的な論の展開が多く、私は彼が展開している論の全てに賛意を持つものではない。しかし彼が展開した民主集中制についての批判、特に「代行主義」という考えには共感するし、僅か23歳の青年が書いたという点では、天才的ひらめきというか、物事の本質を見抜く鋭い批判精神に驚かされた。

 彼の説いた「代行主義」とは、職業革命家中心の党は、労働者階級の意思を代表するということで労働者(国民)の代行者となり、その党では党を代表する指導機関としての中央委員会が全党を代行する。そして、中央委員会を代表する幹部会が、中央を代行し委員長(書記長)が幹部会を代行する。こうして委員長(書記長)による独裁的運営となっていくと論じたのである。そして実際、職業革命家を核として民主集中制を採用した世界中の共産党において「代表者」は専制的な終身指導者となっていった。例外は無い。レーニンが作った「職業革命家を核とし民主集中制」の党運営が駄目なのである。この仕組みを辞めない限り、日本共産党の再生は無いだろう。

(6)3年連続の敗北を党改革の機会とせよ

 ところで、『志位和夫委員長へ手紙』で紹介したが、日本共産党が採用している民主集中制について、1970年代後期から1980年代前期にかけてマルクス主義的政治学者であった藤井一行氏、田口冨久治氏、加藤哲郎氏等が批判していた。今から40年も前の事である。まさに先駆的なことであった。しかし当時、不破哲三書記局長(当時)等が「赤旗」や『前衛』などで彼らを徹底して批判し社会的に葬った。本当は彼らの意見も聞き、開かれた討論を行って先進国に応じた党のあり方への改革を進めるべきであったが排斥した。その結果、先進国には合わないレーニン型・コミンテルン型の党運営・民主集中制が継続され、党は硬直し衰退への道を歩むことになった。今回の3年連続の選挙での敗北を党改革の機会とし、新たな改革の道を進むべきであろう。

結び

 再度いう。志位氏は、私に謝罪し除名を取り消して名誉を回復し、自身は辞任すべきである。そして、臨時執行部の下で私や松竹氏と党改革の討議を行う場を持つべきだろう。それこそが、共産党が再生する唯一の道だと考える。私の名誉が回復されるなら、党改革へ少しばかりのお手伝いをさせていただく決意はしている。

付記:

 本サイトの党規約第3条に対する評価は、2023/04/02《民主統一制への脱皮を!》及び2013/04/07《規約改正に関する宮本報告》を参照して頂ければ有難い。

 また、鈴木氏の「全党員参加の党首公選制は、特別なことではなく日本共産党と公明党以外の党は採用している」との主張に対する本サイトの見解は、2023/05/01《除名問題と党首公選プロパガンダ》と多少刺激的なタイトルを付けた記事を照して頂ければ有難い。


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2023/05/06

歴史的な退潮原因と指導部責任論

性急な指導部責任論を乗り越えて前へ!

はじめに

 既存の秩序と約束事を無視して突っ走る冒険主義の危険は、「革命的な党改革と冒険主義」で示した通りである。本稿では、更に、指導部責任論が、ある角度から見れば正しい、しかし、別の角度から見れば性急に過ぎることを明らかにする。そのことで、暴走する論理を乗り越え、歴史的な退潮をもたらした3大原因と闘う道筋に、はっきりとした焦点を当てる。

日本共産党の歴史的な退潮原因

 1980年を境に、国内繊維産業は、衰退の一途を辿った。特に、紳士服の製造業を襲った時代の波は、容赦なく同業種に携わる企業を苦境に追い込んだ。1991年のバブル崩壊から5年が経過した1996年以降、正に、転廃業を迫る嵐が日本中に吹き荒れた。2000年の雑誌「洋装」の休刊は、同業種の壊滅的な惨状を象徴する出来事だった。団塊の世代の高齢化と生活様式の多様化という時代の波には、何人にも抗う術がなかった。

 国内繊維産業衰退の歴史は、時代の逆風に晒された企業の行く末を余すことなく示した。日本共産党の歴史的な退潮傾向は、まったく国内繊維産業の衰退傾向と軌を一にしている。そういう点では、誰彼の責任だと言い争う余地などないほどに深刻な問題である。

 1966年から1976年にかけては、毛沢東による文化大革命の嵐が中国全土に吹き荒れて、社会主義の理想は地に落ちた。1978年、中国は、改革開放に舵を切り、国家による統制的・官僚主義的な計画経済政策の破綻を全世界が知ることになった。こうして、1980年を境に、時代は反社会主義へと舵を切った。それを更に後押ししたのは、1989年の天安門事件とベルリンの壁の崩壊である。そして、1991年のソ連邦の崩壊で反共産党、反社会主義の風は、決定的となった。

 このように多少でも歴史を俯瞰すれば、日本共産党の歴史的な退潮原因は明らかである。それは、一言で言えば、反共産党、反社会主義に傾いた時代の反映である。指導部責任論は、「首をすげ替えれば、問題は解決へと向かう」という幻想を抱かせ、結果的に党内対立を煽っている点で誤りでしかない。

 しかし、40数年に及ぶ後退局面にあって、党の指導部が、鈴木氏が掲げた諸改革に前向きではなく不十分であった点では、その責任は問われるべきである。氏の一年余に渡る上訴が一顧だにされなかったことは、除名覚悟で反旗を翻したことは性急すぎるとしても、鈴木氏に道理をもたらしている。「ある角度から見れば正しい、しかし、別の角度から見れば性急に過ぎる」という理由である。

一斉地方選挙で敗退した原因

 Japan Forbes の2021年7月7日付けの記事は、ピュー・リサーチ・センターが公表した報告書について次のように伝えている。

 「中国政府が国民の自由を尊重していない」という認識の浸透で「中国の好感度は、先進国で過去最悪水準」で、なかでも「日本は88%が否定的」であった

 社会主義を標榜する中国と中国共産党に対する好感度の低さは、同じく共産党を名乗る日本共産党に対する好感度にも否応なく反映されている。2022年のソ連によるウクライナ侵攻、中国における習近平三選による個人崇拝の復活によって、反ソ・反中国・反共産党の風が更に強まった。度々発せられるJアラートは、日本共産党が訴える軍拡反対の声を多少なりともかき消した。そんな中での先の一斉地方選挙。嫌中・嫌露・嫌韓の先鋒隊である日本維新の会が躍進し、日本共産党が敗退したことは、或る意味で当然の結果である。

日本共産党の地方議員数の推移

 なお、一部に、松竹・鈴木除名問題が影響して「一人負けした」との見方があるが、1990年以降の地方議員数の推移をグラフにしてみれば、必ずしも、そうではないことが判る。此度の一斉地方選挙での後退も、従来の退潮傾向の延長線上のそれでしかない。もちろん、この間、4.6%に上昇していた支持率が2.8%ないし1.6%へ急落したことは、松竹・鈴木除名問題の深刻さを表している。地方選挙では限定的だったとしても、衆議院選挙へのかなりな影響は免れないとみるべきだ。

退潮原因を覆い隠す指導部責任論

 本サイトでは、歴史的な退潮原因を次の3つだと指摘してきた。

  1. 党名に対する強い忌避感の存在
  2. 社会主義への強い忌避感の存在
  3. 時代の追い風が吹いていない!

 そして、歴史的な退潮傾向を抜け出すために、3つの課題を提起した。

  1. 怖い政党という印象の払拭
  2. 旧ソ連型の社会主義の否定
  3. 時代の追い風を帆にはらむ

 そして、第一の課題を達成するために、「党名変更に勝る民主統一制への移行」を提案した。第二の課題を達成するために民主主義革命⇒ポスト資本主義革命⇒社会主義的変革という社会主義への段階的移行の明確化生産手段の社会的領有に関する旧い定義からの脱却を提案した。第三の課題を達成するためにポスト資本主義を目指す共同戦線のセンターへの転身を提案した。

 冒険主義的な指導部責任論は、(問題を矮小化することで)日本共産党の歴史的な退潮原因から目を逸らす否定的な役割りを果たしている。そればかりか、退潮傾向から抜け出す3課題への集中をも遠ざけている。結果として、課題達成のための取組みの開始を遅らせる。我々は、性急な指導部責任論に自制を求めつつ前に進まねばならない。

指導部は、革命的な変革の先頭に!

船の進路は、風や波ではなくて帆で決まる

 冒険主義者の指導部責任論批判は、指導部ならではの責務を曖昧にするものではない。当然のことながら、今こそ指導部は、次の諸点についての討議を急ぎ、自己変革を達成しなければならない。
  1. 組織原則の民主統一制への進化と反共攻撃との闘い。
  2. 社会主義に至る諸段階の明確化と反共攻撃との闘い
  3. 生産手段の社会化に関する規定と反共攻撃との闘い。
  4. ポスト資本主義を目指す共同戦線結成と党の役割り
 いずれも、反共産党、反社会主義に傾いた時代にあって、日本共産党が時代の追い風を帆にはらむためには、避けては通れない論議である。上記の諸点を巡る討議は、日々ネット上で展開されている反共産党、反社会主義の主張を打ち破るための完全に有効な武器をもたらす。たとえ、それが争論に発展しようとも、党指導部は、党の革命的な変革の先頭に立って討議を進める責務がある。
The snake which cannot cast its skin has to die.

 「脱皮しない蛇は死ぬ」とは、ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェが残した箴言(しんげん) である。それは、自己変革できない組織は、変化していく時代に適応できなくて滅びるという警告である。ニーチェが言ったように、自分自身を変えることが、党が成長するためには、是非ともに必要である。仮にも、一歩たりとも、変わるための論議を進めないとしたら、鈴木元氏が憂慮する党の自壊が進むことは避けられない。

結び

 はっきりさせるべきは、性急な指導部責任論を批判することは、鈴木提言の価値ある部分を否定するものではないということだ。それはそれ、これはこれである。鈴木氏の冒険主義に自制を求めつつ、まったく正しい氏の指導部責任論に光を当てることは、鈴木提言から真に価値あるエッセンスを抽出するのに欠かせない工程である。


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2023/05/04

革命的な党改革と冒険主義

夜明け前の海を波を切り裂いて進む日本共産党丸

はじめに

 日本共産党が、1980年を境に党勢の退潮傾向にあるのは否定し難いことである。本サイトでは、2028年問題として名付けて、革命的な党改革を急ぐべきだと訴えてきた。革命的と呼ぶのは、党の組織原則を民主集中制から民主統一制へと進化させる激動的な、党の体質そのものの質的変化を目指す取組みだからだ。

 革命的な党改革を成功裏に進める為には、既存の秩序や約束事を無視しようとする内なる声と闘う必要がある。なぜなら、「革命的な時期が進化的な時期によって準備されることなしには到来しえないことを見ない者は、冒険主義者」だからである。「『量から質への転化の法則』は、冒険主義が誤りであることを示している。(「弁証法的論理学試論」寺沢恒信)

日刊紙赤旗と2028年問題

2028年、日刊紙赤旗の発行部数は12万部まで激減

 Excelで、1977年から2020年にかけての党員数と機関紙読者数の推移をグラフにして近似曲線(指数近似)を求めると、機関紙読者数は、2028年末までには75万部を割り込む。推定発行部数16万部の日刊紙赤旗は、発行部数が12万部まで落ち込んで採算ライン(推定約18万部)を6万部も下回る見込みだ。毎年、数億円を大きく上回る赤字が予想される。正に、日刊紙は、存続の危機を迎える。

 インターネット上には、反動勢力が流す情報と悪意に満ちたファクト情報が溢れている。そのなかにあって、赤旗記者たちによる《足を使った事実に基づく価値ある記事》を毎日読むことができる日刊紙の存在は貴重だ。「善い記者が良い紙面をつくり、信用される記者が信用される紙面をつくる」を実践するならば、その存続の可能性は皆無ではない。日本共産党には、「インターネットやスマホの普及で、新聞が読まれなくなったからだ」(桃野泰徳)を言い訳にしないで、読まれる紙面作りを第一義にして、Excelの近似曲線を否定して欲しい。

冒険主義の二つの誤り

 (戦術としての)冒険主義の特徴の一つは、既存の秩序に対する反乱を通じて激動的な時期を早めようとすることにある。二つは、既存の約束事を破ることで反乱を暴動へと導くことにある。

既存の秩序と約束事を無視した冒険主義

 既存の秩序に対する反乱の企ては、二重の意味で誤りである。一つは、反乱が、不可避的に進化的な時期の推進者である執行部との対立を招くからである。反乱者は、執行部の勇気ある英断なくして、改革が達成されないことを忘れている。もしくは、まったく執行部を眼中においていないかのどちらかである。仮に、反乱者が、現執行部に代わる誰かを用意していないとすれば、反乱に展望を見出すことは難しい。

 二つ目の誤りは、秩序に対して無秩序で対抗する反乱は、必ずや、既存の約束事を破る諸行為を蓄積させる。その量的な蓄積は、反乱に質的な変化をもたらして反乱を動乱へと転化させる。十分に組織的な準備をしていない動乱は、鎮圧されることで終末を迎える。その結果、既存の秩序の側に、激動の時期より安定した今を選択する声を大きくさせる。

 このように、2028年問題を直視したがゆえに激動的な時期を早めようとする冒険主義は、その意に反して敵を利する結果で終わる。急がば回れは、革命的な党改革にも言えることだ。

 もちろん、冒険主義を事情の如何を問わずに否定することは誤りである。「我、捨て石となっても改革を早めん!」との決起もあり得る。鈴木元氏の行動には、この英雄的な側面があることを忘れてはならない。我々は、氏の冒険を失敗に終わらせてはならない。

回りながら急ぐ二つの宣伝作戦

 さて、何事も批判するだけが能ではない。大事なのは、建設的な提案や解決策を示し、党の旧態依然とした組織体質を変える激動期を引き寄せることだ。本稿では、二つの宣伝作戦を提示する。

  1. 組織原則の民主統一制への進化の意義を宣伝する。
  2. ポスト資本主義行動委員会結成の意義を宣伝する。
発言・出版・討議集団結成の自由と行動の統一を示した民主統一制

 旧態依然とした組織原則を民主統一制へと発展・進化させることは、焦眉の急を要する課題である。何よりも、国民の88%という大多数が抱いている共産党と社会主義に対する強い忌避感を払拭する為には、日本共産党が、古い革命政党の鎧を脱ぐことは避けて通れない自己変革の課題である。自己変革を遂げた日本共産党は、ポスト資本主義運動の共同センターとしての立ち位置を獲得する。

ポスト資本主義運動の共同センターへ

民主主義革命からポスト資本主義革命へを明示した社会主義への道

 日本共産党は、「ルールなき資本主義」から「ルールある資本主義」への移行後の展望を明確に示すことで、トップダウン型の社会主義建設に対する警戒感は払拭される。「ルールある資本主義」へと前進した時代が、社会主義建設が始まる時代であるとする現綱領の誤りは、訂正される。ルールある資本主義の時代は、《市場経済下でのポスト資本主義を目指す漸次的進化の時代だ》ということが明瞭に示される。

 二つの宣伝作戦は、日本共産党が、ポスト資本主義行動委員会の結成に尽力し、ポスト資本主義運動の共同センターとなることで、新しい時代の風を帆にはらんで、再び躍進する時代を拓く宣伝戦そのものである。

 宣伝戦の結果、党改革を求める党員が増えていけば、そこに革命的エネルギーが蓄積されてゆく。いつかは、集権集中制でしかない民主集中制に固執する勢力と民主統一制への進化を願う勢力との均衡が破れる時がくる。均衡が破れることによって、革命状態がはじまる。結果、日本共産党は、古い秩序を自己破壊して新しい秩序を獲得する。急がば回れである。

結び

 鈴木元氏の行動を冒険主義と呼ぶのは、立命館大学時代に、氏が厳しく性急な冒険主義を批判していたからである。「革命的な時期を準備する進化の時代を不屈に闘うことこそが真の戦闘性である。我々の闘いは、勝利に至る過程においては必ず敗北という結果に終わる。だから、進化の時代は、実のところ妥協の連続である。それでも、いつかは均衡が破れる。その日を目指して闘うのみである」ー鈴木氏から、そのように教わった。鈴木氏に、党首辞任と党首公選のニ要求を取り下げてでも妥協するように進言した所以である。

 一番大事なことは、鈴木氏の決起を、単なる冒険主義に終わらせないことである。大事なことは、除名という結果を変えることである。その為には、党内に革命的なエネルギーを蓄積していく闘いを継続することに尽きる。


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2023/05/01

除名問題と党首公選プロパガンダ

「このままでは、日本共産党はダメになる」との強い想いか?

はじめに

 松竹伸幸氏の著書「シン・日本共産党宣言」の副題は、「ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」である。また、同時期に刊行された鈴木元氏の著書「志位和夫委員長への手紙」の帯には、「貴方はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」と書かれている。いずれも、党首公選を訴えることで世間の耳目を集めた。

 松竹氏は、「共産党が本当に変わるためには党首公選制しかない」と言う。鈴木氏は、「党の改革は新しい指導部に委ねてほしい」と党首公選による世代交代が党の改革をもたらすと言う。共に、現執行部に対して党首公選の実施を迫っている点で軌を一にしている。

 本稿では、先ず、両氏が自著の販促を狙った党首公選プロパガンダ戦術について、その是非を問う。同時に、その主張がもたらした幾つかの拙い影響に関して取り上げる。

 なお、鈴木氏の「貴方はただちに辞任し・・・」は単なるプロパガンダではなく、氏の「このままでは、日本共産党はダメになる」との強い想いの表出でもあることも念頭において、以下を呼んでほしい。

本サイトのスタンス

 本サイトは、鈴木氏が「日本共産党は、ポスト資本主義を目指す共同闘争のセンターを目指すべきだ。そのために、革命の前衛党の旧い鎧を脱ぎ捨て、多様性を認め合い、違いに寛容な政党への自己変革を遂げよ」という提言を行っていることを評価している。また、党中央に対しては、「党首を批判する本の出版は、内容の如何を問わず許さない」という高圧的な姿勢ではなくて、「ならぬ堪忍するが堪忍」という懐の深い対応を求めている。また、「発言の自由と行動の統一」というあるべき組織原則に基づいて、鈴木氏に対する除名処分の再検討を要求している。

 なお、「西欧的社会民主主義への綱領路線の変更を迫った!」とされる同氏への非難は、当を得ていない。素直に氏の著書を読むことで、それらの非難が、単なる言葉尻を捉えた難癖に過ぎないことは判る。全ては、著者の意図を捻じ曲げずに解釈すべきである。

全党員による直接選挙の是非

 本サイトのスタンスを述べた上で、話を本筋に戻す。党首公選の是非については、既に、本サイト立ち上げの冒頭稿「鈴木提言を継承する理由と意義」で次のように述べている。

 全党員による直接選挙による党首選びなんて自民党ですら実施していない。国会議員票と党員票との間には、歴然とした扱いの差がある。党員票は、党所属国会議員と同数の票を各候補ごとにドント式で分配されているに過ぎない。仮に、12万人の党員が投票した場合、党員票の重みは議員票の400分の1。実態としては、国会議員による投票で決まっている。先進7ヵ国の中で、全党員による直接選挙のみで党首を選んでいる政党は皆無である。

>直接選挙による党首選びは、政敵打倒の常套手段!

 これは、「党首選びを利用した、独裁者によるクーデター的な党の乗っ取りを許さない」という意味で世界の常識である。仮に、党員参加型の党首公選を実施する場合にも、党員XXX人当たり1票で各都道府県に基礎票を割り当て、代議員である中央委員の票との合計票でもって選出する形が望ましい。それが、代議員制度と矛盾しない選出方法である。

 上述のように、《党員による完全直接選挙というスタイルの党首公選》には、一分の道理もないし、まったく実現性がないのは明らかである。鈴木氏は、それを承知の上で、敢えて、党中央と対立した構図を作り出して世間の耳目を引く作戦に打って出た。その結果、価値ある提言を置き去りにした感がある。そうでもして、氏が、除名覚悟の冒険をおかした理由(レーニン主義的民主集中制の弊害の告発を最優先した理由)は、日本共産党の今後に対する強い危機感からである。そうであると、信じたい。

  しかし、マスコミ各社も、党員による直接選挙に道理もへちまもないことは、百も承知の筈。それを承知で、(鈴木氏の改革提言内容には目もくれず)松竹・鈴木 vs 日本共産党の構図にのみフォーカスして騒ぎ立てたことは、商業ジャーナリズムの品位の程を示している。

党首公選プロパガンダ戦術の拙い影響

 周知のように、状況は、鈴木氏の価値ある提言から党首公選を巡るバトルにフォーカスを移して今日に至る。もはや、党首公選というプロパガンダという戦術が、(やむを得ない決断だったとしても)拙速すぎたことは明らかである。その拙い影響は、次の二つに要約される。

1、2028年問題の論議を遠ざけた

 2028年には、日本共産党の日刊紙赤旗が発行部数12万部を下回る可能性があるのは冷厳な事実である。このことは、赤旗拡大を中心に据えた党勢拡大運動が空中分解する危険性さえも予告している。党の発展と財政を支えてきた日刊紙赤旗の減紙問題は、日本共産党の将来を左右する問題である。それが、党首公選の是非論議によって後景に押しやられた。

2、綱領と規約の改革論議を遠ざけた

 綱領が、社会主義を目指すフローチャートとしては未完であることは、「躍進する時代を拓くために(3)」の《革命なき社会主義への道》で述べた通りである。また、生産手段の社会化については、なお、慎重な検討が必要なことは、「生産手段掌握論の再検討」で述べた通りである。また、党の組織原則である民主集中制を民主統一制へと発展させる意義については、「規約改正に関する宮本報告」で明らかにした通りである。

 鈴木氏が「不破哲三流の」とか「不破流の」という挑発的な表現を捨てて「未来社会論・共産主義に関する従来の解釈に拘ることなく・・・」、また「共産主義に対する従来の解釈を一旦横において考えることも・・・」などとマイルドに書いていたら、(除名は)まったく避けられた事態である。

 「『ポスト資本主義』について」で述べたように、綱領と規約に関する鈴木氏の有意な提言は、氏の挑発的な表現によって後景に押しやられた。同時に、党中央に、現綱領と規約絶対論を唱和させる拙い結果を招いた。道理なき党首公選要求は、二重の意味で改革論議を遠ざけた。いずれも、性急すぎた党首公選プロパガンダ戦術が招いた拙い結末だと言える。

除名問題の名誉となる解決を

 松竹氏による自爆攻撃は、思惑通りに日本共産党の除名処分という対応を引き起こし、その後、マスコミの「改革を訴えたら除名という日本共産党の異質な体質が露わに」という共産党批判の大合唱という状況を出現させた。

 もちろん、この大合唱は、「日本共産党は、革命政党としての旧い鎧を脱ぎ捨てるべきだ」という記者たちの普段の思いが、松竹氏除名という偶然を媒介にして表面化したという側面も少なからずある。それを察知しないで、党中央が、味噌も糞も一緒くたにして「反共攻撃だ」とマスコミとの対決姿勢を強めたのは、実に不味い対応であった。また。「いきなり外から攻撃したから除名した」と旧態依然の論理を振りかざしたのは、完全な誤りであった。

 松竹氏除名との員数合わせで鈴木元氏が除名されたことで、マスコミの大合唱は最高潮に達した。党には、人の噂も七十五日という対応もある。しかし、求められているのは、そういう消極的な対応ではなくて、能動的に、鈴木氏除名問題を党にとって名誉となる解決を探ることだ。その唯一無二の方向性は、「発言の自由と行動の統一」という時代が求める組織原則に則って除名問題を再検討・再処理することである。

結び

 鈴木元氏には、除名処分を招きかねない党首辞任と党首公選のニ要求を棚上げするという妥協をもって事態を収拾するように進言してきたが、その目的は叶わずに最悪と言える結果を招いた。が、過ぎたことを悔やんでも詮無きことである。今となっては、鈴木氏除名問題が、鈴木氏にとっても、日本共産党にとっても、名誉となる解決に至ることを願うばかりだ。その為には、お互いに面子に拘ることを捨てることが求められている。

 面子は、人生において最も危険なものである。それは、自分自身を見失わせ、他人に対して嫉妬や怒りを抱かせ、自分自身を疑わしいものにしてしまうからである。 - フランクリン・ルーズベルト


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2023/04/30

野党共闘と3つの基準

 
はじめに

 「共産党が変われば日本の政治は変わる」との論理で、日本共産党に自己否定を迫る主張が散見される。それは、「共産党が反米、反安保、自衛隊違憲論を綱領において否定しな限り、日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障政策を掲げる立憲民主党との真の意味での野党共闘が実現せず、現行の選挙制度の下ではほとんど勝負にならないからだ」という。はっきり言って、「何のために、なぜ」を横に置いた無節操な野党共闘重視論である。

 続けて、論者は、「欧州ではコテコテの共産主義からより民主的社会主義政党へと脱皮できた共産党は、今も一定の勢力を保っているが、イデオロギーにこだわり保守的共産主義を標榜し続ける共産党はどこの国でも力を失っている」ともっとも顔で指摘する。しかし、その主張の要は、「これ以上の党勢の後退を避けたければ、立憲民主党Bを目指せ」との主張に過ぎない。

 彼らは、何のための野党共闘かをまったく分かっていない。「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配」の破滅的な進行を阻止するために、互いの違いを乗り越えて共同して闘うことこそが真の野党共闘であることは、彼らの理解能力の外にあるようだ。互いの違いを乗り越えるとは、共闘のその先にある互いの目標について寛容であることを意味している。野党共闘は、それぞれが掲げる目標を一致させることをもって成立するものではない。それぞれに違いを認め合ってこその共闘なのである。

 このまったく自明な野党共闘の初歩的な知識さえ持ち合わせていない対米従属的な野党共闘推進論は、日本の民主主義的改革と真の独立を目指す共同戦線のセンターである日本共産党に対し本来の針路や航路から外れて進むことを促す偏走の論理でしかない。

 本稿の目的は、日本共産党が偏走の論理に組しない為のはっきりとした基準を示すことである。その時々に発する言葉は、述べる者のスタンスと意識を反映する。スタンスの揺れと意識の暴走を抑えるために、未来の党首である宮本哲三氏に語ってもらう。

偏走の論理に組しない3基準

 私は、既に、2023/4/13付けの「発言の自由と3つのルール」で、偏走の論理に組しない3つの基準の雛形を示しています。

  1. 自らの主張を道理に基づいて発信する。
  2. 党員としての原則的な誤りは犯さない。
  3. 関係する組織と人々に十分に配慮する。

は、次のように言いかえることができます。

  1. 当面する目標を実現する為の有意な妥協。
  2. 守るべき原則を無視した取り引きの禁止。
  3. 関係する組織と人々に配慮した政治決断

 2023/4/10付けの「松竹氏除名問題と親亀子亀」で、「当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結、さしあたって一致できる目標の範囲での統一戦線を野合連合として一概に否定することは、誤りである」と述べています。基準1は、《当面する目標を実現する為の有意な妥協》であると判断した時は、積極的に野党連合の結成を促し、参加するということです。基準2は、有意な妥協だとしても、守るべき原則を無視した取り引きは、厳しく戒めています。例えば、日米安保を是認するという誓約書にサインするなどの取り引きです。

最初のハードルを跳び越えたら、後は比較的に容易である。

 カーニハン・リッチーが言ったように、最初の一枚にサインしたら、その後に避けるべき妥協を重ねることは比較的に容易です。我が党は、跳ぶことを許されない最初のハードルを越えることは決してしないというのが、2つ目の基準です。

 さて、最終的には、我が党は、関係する組織と人々に配慮した政治決断をする必要があります。関係する組織と人々に不和と対立とをもたらす種類の決断は、避けなければなりません。

野党共闘の弁証法

 我々が目指す共闘は、その結成の条件的不可能性の不可能性を可能性に転化する段階、抽象的な可能性を実在的な可能性に転化する段階、そして最終的には、実在的な可能性を現実性に転化することで姿を現します。

 これらの段階を通じて我々の共闘の形式も刷新され、それによって次の段階を目指す発展が促されます。これが、現実性の発展の基本的なあり方です。我々は、このような発展段階を十分に意識して、その時々に適した共闘の形式を見定める必要があります。野党共闘において、いきなり閣内協力などという内容と形式とが悖反(はいはん)する選択をすることがあってはなりません。

 共闘の古い形式のなかの優れた要素を保持しながら、新しい内容に適合した新しい共闘の形式が漸次的に形成されてゆくことを考えれば、《当面する目標を実現する為の有意な妥協》の一切を拒否することは、内容と形式の弁証法に背を向ける誤りです。同時に、いきなりの閣内協力もまた、内容と形式の弁証法を無視した誤りです。

 ところで、共闘の古い形式を壊すのは、新しい内容によって古い形式が次第に作り改められ、新しい内容に適したものになってゆくからです。つまり、PCACを核としたポスト資本主義社会を目指す共同戦線の取組みによって新しい内容が付け加えられることによってのみ、共闘の形式は発展していきます。共闘の形式は、基本的には、その発展段階に応じた内容によって決まります。《野党共闘の形式は、まったく党首間の話し合いで決まるものではない》ことを申し上げておきます。そして、その内容を刷新していくのは、我々だということです。

 最後に、野党共闘の弁証法を忘却し、形式に合わせて内容の変更を迫る《自衛隊活用論と日米安保基軸論》は、共闘の古い形式を壊す戦いを放棄するものです。それは、「形勢を見て有利な側方に追従する日和見主義である」と言明しておきます。

結び

 本稿では、主に、野党共闘で最初の一歩を跳ぶことの危険性、野党共闘の内容と形式の対立について述べた。もって、野党共闘の為に「何をなすべきか?」を述べたつもりである。「日和見主義的な道を探るよりも、PCACを核としたポスト資本主義社会を目指す運動を一歩前へ」と言うことだ。本稿が、日本共産党と野党共闘との関係の理解に役立てば幸いである。


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2023/04/29

PCACと掲げる二つの旗


 はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 4」のテーマは、「時代の追い風を帆にはらむ」。一気読みするには長文過ぎたので、「ポスト資本主義行動委員会」、「PCACと掲げる二つの旗」の二部に分けて再録する。

PCACと掲げる二つの旗

 次は、軍拡競争No、格差拡大No、環境破壊Noの旗を掲げたポスト資本主義行動委員会(PCAC)と我が党のあるべき関係について述べます。

 我々にとって明瞭なことは、我が党がPCACとの間に適切な関係を築けなければ、我が党が時代の追い風を帆にはらむことは不可能だということです。その為には、次の2つのスタンスを重視して、PCACの結成に参加し、その運動の発展に尽力する必要があります。

  1. 互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス。
  2. 大勢が纏まって一方向を向いている中の一員というスタンス。

 スタンス1を確かなものにするには、我が党の組織原則である民主集中制を民主統一制に発展させる必要があります。この発展は、我が党が、革命の前衛党として纏ってきた旧い鎧を脱ぎ去ることを意味しています。このフロントからセンターへの前進的変化こそ、《互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス》を不動のものにします。「党の組織原則と大衆組織のなかでの行動基準とは違う」などの方便で、旧い鎧に固執していては、PCACとの間に適切な関係を築くことはできません。

 スタンス2を確かなものにするには、ポスト資本主義を目指す運動の綱領上の位置付けをはっきりとさせることです。

 2023年綱領は、民主主義革命の目標を《ルールある資本主義への転換》としています。そして、「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」としています。これは、漸次的変化による社会主義への道は、幾つかの段階を通ることを見落としています。

 我々は、《ルールある資本主義》を達成した後に、更に資本主義的な旧い質を減らし、共同社会的な質を増やすという量的変化の課題に取り組む必要があります。これは、量的な変化ゆえに相当の年月を要する漸次的な進化の取組みとなります。その結果、比較的に短期な質的変化である飛躍の時を迎えます。こうして、社会全体に相転移が起こり、社会主義的変革が課題となる次のステージが始まります。

 本大会が解明した《民主主義革命を達成した後に、ポスト資本主義革命の長い時期を経て、24世紀以降に社会主義的変革の時代を迎える》という社会主義への道は、我が党が《当面は、何をなすべきか?》を教えています。それは、ポスト資本主義を求める人々への限りない連帯の意を表明し、その運動の真っ只中に身を置くことです。

 ポスト資本主義行動委員会(PCAC)は、資本主義に対して社会主義で立ち向かうのではなくて、科学で立ち向かう運動と言っても過言ではありません。そして、その一員として思う存分に力を発揮するにも、我々は、今大会で《民主統一制の旗》と《ポスト資本主義革命の旗》を掲げるものです。正に、Show the flag!です。我が党を船に例えるならば、この二つの旗をマストに掲げてこそ、我が党は、時代の追い風を帆にはらんで再び躍進の時代を迎えることができます。

 ポスト資本主義行動委員会に関する幹部会の方針をお伝えして、今大会に対する私の報告を終わります。

結び

 本稿をアップしようとしたら、ネット上に「日本共産党が変われば、日本の政治が変わる」という記事を見つけた。それは、日本共産党に「安保是認に舵を切って、野党連合政権を目指せ!」というものだった。正に、本サイトとは真逆の主張だ。安保を是認すれば、何処の誰が、戦勝国による軍事的半占領を終わらせるのだ。日本共産党には、対米従属的な野党連合論とはキッパリと距離を置いてほしい。そして、軍拡競争Noの旗を掲げ続けてもらいたい。そのことを、改めて訴えて結びとする。


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2023/04/28

ポスト資本主義行動委員会

PCAC動画より

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 4」のテーマは、「時代の追い風を帆にはらむ」。一気読みするには長文過ぎたので、「ポスト資本主義行動委員会」、「PCACと掲げる二つの旗」の二部に分けて再録する。

ポスト資本主義行動委員会

 我が党の3大退潮原因の3つ目である「時代の追い風が吹いていない!」状況を打破する件について報告します。ポイントは、時代の追い風が吹くのを待つことをせずに、新しい風を帆に受けるために、何をなすべきかです。まず、確認しなければならないのは、新しい風を見える化する為の方針です。今大会では、その具体化として新しい大衆組織の結成を提起します。

 今、目の前で起きている社会現象を分解して、歴史の発展に沿ったものを取り出して、それらの対象に共通するものを結合する手続きを行えば、そこには《ピース アンド コモン》という概念が浮上してきます。ピース(PIECE)とは、英語で「平和」を意味しています。コモン(COMMON)とは、「共に」の意です。結論を急げば、《ピース アンド コモン》の新しい風は、我々に《ポスト資本主義行動委員会(Post-Capitalist Action Committee)》略称PCACの結成を急ぐように求めています。これは、新しい風の物質化、見える化の取組みであって、「時代の追い風を帆にはらむ」ために必要不可欠な工程です。

 我が党は、綱領において、「搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう」ことを明記しています。幹部会は、その目標に接近する第一歩として、ポスト資本主義行動委員会(PCAC)の結成と行動を支援し、新しい風を共有する取組みに着手することを決めました。PCACと共に、次に述べる3つのNoの声を広げていきましょう。

(1)軍拡競争にNo!

 2023年4月26日付けの西日本新聞は、「自民、公明両党は、国内の防衛産業育成を念頭に殺傷能力のある武器輸出を解禁する協議を始めた」と報じています。また、論壇時評では、「岸田内閣による安全保障政策の大転換が、国会よりもアメリカ大統領に報告する手続きは『絶対に許されてはならない』。敵基地攻撃能力の解禁は、軍拡という負のスパイラルを引き起こしてします」と、自民党の総裁を務めた河野洋平氏の強い懸念を紹介しています。また、宏池会会長を務めた古賀誠氏の「戦争がいかに愚かで平和がいかに尊いかは、八十年以上生きてきた中での絶対に忘れられない一番大事なものである」との言葉も紹介しています。

 岸田内閣による大軍拡路線は、日本資本主義が、資本増殖の為なら対米従属をも厭わず、また戦争への加担・参加も辞さないシステムであることを示しています。これに対しては、自民党の重鎮でさえも異を唱えています。今、正に、党派の垣根を越えて、大軍拡に反対し、平和憲法を守ると同時に、資本主義という危険なシステムを乗り越えようとする新しい風が吹いています。

(2)格差拡大にNo!

 フランスの経済学者トマ・ピケティは、著書『21世紀の資本』(2013年)のなかで、膨大なデータを分析した結果、「経済成長を期待して、資本主義を放置すれば、ますます格差が拡大する」と指摘。また、「少子高齢化で国力が弱まれば、国民所得に占める資本所得の比率が上昇し、格差は、さらに拡大する」(富増章成)とも警告しています。

 野村総合研究所は、「2021年の日本の富裕層は149万世帯、その純金融資産総額は364兆円と推計」しています。さらに、「富裕層・超富裕層の世帯数はいずれも、安倍政権の経済政策(アベノミクス)が始まった2013年以降、増加を続けている」と指摘。トマ・ピケティは、正に、アベノミクスの結末を予言していたかのようです。

 「約2.5%の世帯が日本の世帯全体の20%以上の富を保有している」という現実は、日本が紛れもない格差社会であることを示しています。教育格差、所得格差、賃金格差の厳しい現実は、その解消にまったく無能な資本主義を乗り越えようとする風になって吹いています。

(3)環境破壊にNo!

 映画監督で作家の中村佑子氏は、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」を、「環境汚染も気候変動も、災害も不幸も、それを対策する効果ある商品を、消費者により多く買わせようとする。それが資本主義というものが本質的にもつ、飽くなき欲望造成装置の矛盾なのだと、本書は資本主義の空恐ろしさを鷲掴みにする書でもある」と評しています。そして、「日本は明らかにグローバルサウスに負債を押し付けている『帝国的生活様式』の当事者である。将来世代のため、他国のため、地球のために、生活を変革しなければならない側の人間だ」と指摘しています。

 「私たちは一つの手段でそれに近づける技術的な解決策を持ち合わせていない。私たちは社会を根本的に変革する必要がある。…気候や生態系の危機は真空の中で存在しているのではなく、他の危機と直接、結び付いている。ある人は他の人よりも価値があり、それゆえに他の人を盗み、他の人を搾取し、盗む権利があるという考え方に基づく危機だ。根本的な原因を解決せずに、この危機を解決できると考えるのは甘すぎる」とは、スエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリの言葉です。

 今、正に、気候変動による地球規模の危機が、「地球そのものがコモンだ」だという考えを生み出し、資本主義社会の変革を目指す新しい風となって世界中で吹き始めています。

結び

 ポスト資本主義行動委員会は、新しいスタイルの党勢拡大運動を象徴するものとして提起している。その目的は2つ。一つは、軍拡競争反対、格差拡大反対、環境破壊反対の声をバラバラではなくて統合していく受け皿を作っていくこと。二つは、若者世代に、頑張れば手が届く夢を語り合う場を提供することである。この提案が、多少なりとも、日本共産党の躍進の一助になれば幸甚の極みである。


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2023/04/27

躍進する時代を拓くために 4


 はじめに

日本共産党の党勢の推移は国内繊維産業の衰退と軌を一にしている

 本稿の副題は、「時代の追い風を帆にはらむ」である。1970年移行、右肩上がりだった国内繊維産業は、1980年を境に時代の向かい風に晒されて売り上げ数自体は減少の一途を辿った。それを、人件費の抑制と販売単価のアップでカバーして束の間の繁栄を謳歌した。しかし、1991年のバブル経済の崩壊で多くの業者が転廃業の道を歩み始めた。1998年、大阪の工業団地の一角を占めていた同業種120社の工場の99%が消えた。散り散りになった従業員を待っていたのは、非正規雇用という選択だった。この年を境に、正規の社員・従業員が減り、契約社員・派遣社員・パート従業員が増えていったことは、記憶に新しい。

 国内繊維産業を襲った悲劇は、時代の逆風に晒されることが何を意味するのかを物語っている。誤りを怖れずに断言すれば、時代の追い風を帆にはらむことなしに、日本共産党が躍進する時代を拓くことはできないということだ。もちろん、時代の追い風を帆にはらむとは、日本維新の会のように時代の逆流に乗ることではない。逆流の上に吹いている時代の風を見定め、それをはらませる帆を揚げること。一体、時代の風とは?風をはらませる帆とは?本稿では、それを解き明かす。

 例によって宮本哲三氏に語ってもらう。

ポスト資本主義行動委員会

 我が党の3大退潮原因の3つ目である「時代の追い風が吹いていない!」状況を打破する件について報告します。ポイントは、時代の追い風が吹くのを待つことをせずに、新しい風を帆に受けるために、何をなすべきかです。まず、確認しなければならないのは、新しい風を見える化する為の方針です。今大会では、その具体化として新しい大衆組織の結成を提起します。

 今、目の前で起きている社会現象を分解して、歴史の発展に沿ったものを取り出して、それらの対象に共通するものを結合する手続きを行えば、そこには《ピース アンド コモン》という概念が浮上してきます。ピース(PIECE)とは、英語で「平和」を意味しています。コモン(COMMON)とは、「共に」の意です。結論を急げば、《ピース アンド コモン》の新しい風は、我々に《ポスト資本主義行動委員会(Post-Capitalist Action Committee)》略称PCACの結成を急ぐように求めています。これは、新しい風の物質化、見える化の取組みであって、「時代の追い風を帆にはらむ」ために必要不可欠な工程です。

 我が党は、綱領において、「搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう」ことを明記しています。幹部会は、その目標に接近する第一歩として、ポスト資本主義行動委員会(PCAC)の結成と行動を支援し、新しい風を共有する取組みに着手することを決めました。PCACと共に、次に述べる3つのNoの声を広げていきましょう。

(1)軍拡競争にNo!

 2023年4月26日付けの西日本新聞は、「自民、公明両党は、国内の防衛産業育成を念頭に殺傷能力のある武器輸出を解禁する協議を始めた」と報じています。また、論壇時評では、「岸田内閣による安全保障政策の大転換が、国会よりもアメリカ大統領に報告する手続きは『絶対に許されてはならない』。敵基地攻撃能力の解禁は、軍拡という負のスパイラルを引き起こしてします」と、自民党の総裁を務めた河野洋平氏の強い懸念を紹介しています。また、宏池会会長を務めた古賀誠氏の「戦争がいかに愚かで平和がいかに尊いかは、八十年以上生きてきた中での絶対に忘れられない一番大事なものである」との言葉も紹介しています。

 岸田内閣による大軍拡路線は、日本資本主義が、資本増殖の為なら対米従属をも厭わず、また戦争への加担・参加も辞さないシステムであることを示しています。これに対しては、自民党の重鎮でさえも異を唱えています。今、正に、党派の垣根を越えて、大軍拡に反対し、平和憲法を守ると同時に、資本主義という危険なシステムを乗り越えようとする新しい風が吹いています。

(2)格差拡大にNo!

 フランスの経済学者トマ・ピケティは、著書『21世紀の資本』(2013年)のなかで、膨大なデータを分析した結果、「経済成長を期待して、資本主義を放置すれば、ますます格差が拡大する」と指摘。また、「少子高齢化で国力が弱まれば、国民所得に占める資本所得の比率が上昇し、格差は、さらに拡大する」(富増章成)とも警告しています。

 野村総合研究所は、「2021年の日本の富裕層は149万世帯、その純金融資産総額は364兆円と推計」しています。さらに、「富裕層・超富裕層の世帯数はいずれも、安倍政権の経済政策(アベノミクス)が始まった2013年以降、増加を続けている」と指摘。トマ・ピケティは、正に、アベノミクスの結末を予言していたかのようです。

 「約2.5%の世帯が日本の世帯全体の20%以上の富を保有している」という現実は、日本が紛れもない格差社会であることを示しています。教育格差、所得格差、賃金格差の厳しい現実は、その解消にまったく無能な資本主義を乗り越えようとする風になって吹いています。

(3)環境破壊にNo!

 映画監督で作家の中村佑子氏は、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」を、「環境汚染も気候変動も、災害も不幸も、それを対策する効果ある商品を、消費者により多く買わせようとする。それが資本主義というものが本質的にもつ、飽くなき欲望造成装置の矛盾なのだと、本書は資本主義の空恐ろしさを鷲掴みにする書でもある」と評しています。そして、「日本は明らかにグローバルサウスに負債を押し付けている『帝国的生活様式』の当事者である。将来世代のため、他国のため、地球のために、生活を変革しなければならない側の人間だ」と指摘しています。

 「私たちは一つの手段でそれに近づける技術的な解決策を持ち合わせていない。私たちは社会を根本的に変革する必要がある。…気候や生態系の危機は真空の中で存在しているのではなく、他の危機と直接、結び付いている。ある人は他の人よりも価値があり、それゆえに他の人を盗み、他の人を搾取し、盗む権利があるという考え方に基づく危機だ。根本的な原因を解決せずに、この危機を解決できると考えるのは甘すぎる」とは、スエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリの言葉です。

 今、正に、気候変動による地球規模の危機が、「地球そのものがコモンだ」だという考えを生み出し、資本主義社会の変革を目指す新しい風となって世界中で吹き始めています。

PCACと掲げる二つの旗

 次は、軍拡競争No、格差拡大No、環境破壊Noの旗を掲げたポスト資本主義行動委員会(PCAC)と我が党のあるべき関係について述べます。

 我々にとって明瞭なことは、我が党がPCACとの間に適切な関係を築けなければ、我が党が時代の追い風を帆にはらむことは不可能だということです。その為には、次の2つのスタンスを重視して、PCACの結成に参加し、その運動の発展に尽力する必要があります。

  1. 互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス。
  2. 大勢が纏まって一方向を向いている中の一員というスタンス。

 スタンス1を確かなものにするには、我が党の組織原則である民主集中制を民主統一制に発展させる必要があります。この発展は、我が党が、革命の前衛党として纏ってきた旧い鎧を脱ぎ去ることを意味しています。このフロントからセンターへの前進的変化こそ、《互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス》を不動のものにします。「党の組織原則と大衆組織のなかでの行動基準とは違う」などの方便で、旧い鎧に固執していては、PCACとの間に適切な関係を築くことはできません。

 スタンス2を確かなものにするには、ポスト資本主義を目指す運動の綱領上の位置付けをはっきりとさせることです。

 2023年綱領は、民主主義革命の目標を《ルールある資本主義への転換》としています。そして、「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」としています。これは、漸次的変化による社会主義への道は、幾つかの段階を通ることを見落としています。

 我々は、《ルールある資本主義》を達成した後に、更に資本主義的な旧い質を減らし、共同社会的な質を増やすという量的変化の課題に取り組む必要があります。これは、量的な変化ゆえに相当の年月を要する漸次的な進化の取組みとなります。その結果、比較的に短期な質的変化である飛躍の時を迎えます。こうして、社会全体に相転移が起こり、社会主義的変革が課題となる次のステージが始まります。

 本大会が解明した《民主主義革命を達成した後に、ポスト資本主義革命の長い時期を経て、24世紀以降に社会主義的変革の時代を迎える》という社会主義への道は、我が党が《当面は、何をなすべきか?》を教えています。それは、ポスト資本主義を求める人々への限りない連帯の意を表明し、その運動の真っ只中に身を置くことです。

 ポスト資本主義行動委員会(PCAC)は、資本主義に対して社会主義で立ち向かうのではなくて、科学で立ち向かう運動と言っても過言ではありません。そして、その一員として思う存分に力を発揮するにも、我々は、今大会で《民主統一制の旗》と《ポスト資本主義革命の旗》を掲げるものです。正に、Show the flag!です。我が党を船に例えるならば、この二つの旗をマストに掲げてこそ、我が党は、時代の追い風を帆にはらんで再び躍進の時代を迎えることができます。

 ポスト資本主義行動委員会に関する幹部会の方針をお伝えして、今大会に対する私の報告を終わります。

結び

 「時代の追い風を帆にはらむ」を書き始めるとすぐに、私の頭の中を《ポスト資本主義行動委員会(PCAC)という大衆組織を結成する》という夢想が駆け巡った。それは、我々団塊の世代が、1970年代初頭に民主連合政府を夢見たことを思い出させる。 青年は、未来を信じ、未来に生きる。書き終えた今、この時代を生きる若者がポスト資本主義行動委員会に結集し、資本主義を乗り越えた次なる社会への夢を語って欲しい。そして、「夢を現実に」を一歩一歩実現していって欲しい。そういう想いを込めて、本稿をアップする。


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2023/04/24

対米従属的反共攻撃

対米従属的な反共主義の裏には憲法改悪の狙いが隠れている

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録する。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

対米従属的な反共主義と戦ってこそ

 最後に、怖い革命政党という印象を払拭する取り組みは、一朝一夕に達成されるものではなくて期間を要する取組みであることに触れておきます。それは、正しく、対米従属的な反共主義との戦いによってのみ達成されます。

 中国に対する好感度は、世界的にも日本がダントツの最下位で僅かに12%未満にしか過ぎません。これは、中国政府が「国民の自由を尊重していない」という情報に身近に接している隣国ならではの事情によるものです。

 同時に、戦後、我が国が、戦勝国であるアメリカによって「反共の防波堤」として再編されたことが、「日本の政界に、侵略戦争への無反省という他国に例のない性格を刻む」ことになりました。このことが、今日の歴史修正主義の土壌を育くみました。これは、中国や韓国における反日運動もあいまって、「居直りの嫌中・嫌露・嫌韓意識」として自民党右派の岩盤支持層を中心に強く定着し、いわゆる安倍派や(より右寄りでタカ派といわれる)維新の会を勢いづかせるエネルギー源になっています。

 以上のような状況を直視すると、我が党に対する謂れのないイメージを払拭する取組みは、国際勝共連合(統一教会)と結託して進歩勢力を激しく攻撃してきた自民党右派に代表される対米従属的な反共主義勢力との真っ向勝負の戦いです。ゆえに、それは相当の期間を要する取組みになります。小冊子を配布して終わりではないことは明らかです。ですが、そういう取組みによって引き起こされる一つひとつの変化の量的な蓄積こそが国民意識に相転移を引き起こすという弁証法に確信を持って不屈の精神で取り組んでいこうではありませんか。

結び

 民主統一制への移行は、共産党という党名に対する忌避感を払拭する打ち出の小槌ではない。一見、小槌効果で薄まったかのように見えても、日米反動勢力が、日米軍事同盟の侵略的強化という「政策課題を達成するための政治的・思想的手段」としての反共攻撃を強めてくるのは必定。特に、憲法第九条改悪を合理化するために用いることは、火を見るよりも明らか。平和憲法を守ることを望む国民各階層と日本共産党を分断する最強の武器としての反共攻撃は、決して弱まることはない。正に、対米従属的な反共主義と戦ってこそ、共産党という党名に対する忌避感は払拭されていく。党員諸氏の奮闘を期待して結びとする。


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四つの変化を伝える

 


はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録する。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

四つの変化を社会に広く伝える意義

 民主統一制の移行がもたらした変化については、規約改正に関する報告(2023/04/08)で明らかにした通りです。先に述べたように、幹部会は、それを、四つの変化として広報することを確認しました。

変化1

 党員は、選挙期間中に公約と矛盾した言動を自粛する以外は、党綱領や大会決定について自由に論議し批判することできるようになったこと。行動の統一を求められる特別な場合を除いて、普段は、綱領や大会決定と矛盾した発言をすることは、発言の自由であって、決して反党行為として非難されることのない民主統一制へと移行したこと。

変化2

 すべての指導機関が投票による選挙で選ばれるようになったこと。信任投票や拍手によって指導機関が選ばれるという旧い慣習は完全に過去のものとなったこと。

変化3

 党員が、討論を目的とした集団に参加して様々に論議を交わせるようになったこと。複数名の党員が支部の垣根を越えて、XXX研究会などの集団をつくり、集団としての意見を外に向かって公表する自由があること。もって、多様性を尊重し合い、違いに寛容な党として名実ともに新しいスタートを切ったこと。

変化4

 分派の禁止を、私利私欲の実現を目的とした派閥の禁止に限定し、党員によるグループの結成が許される新時代がスタートしたこと。

 この4つの変化は、我が党がきっぱりとスターリン時代の負の遺産である集権集中制と袂を分かったことを疑いの余地なく示しています。この変化こそが、ポスト資本主義の新しい社会を目指す国民各階層のセンター、自由で平等な共同社会を目指すという取組みの中心という我が党の立ち位置を揺ぎないものにします。この点こそが、四つの変化を、マスメディア、統一戦線の仲間及び国民の皆さんに伝える意義です。

 幹部会が決定した民主統一制への移行を広報する3つのポイントに沿った活動を通じて、党も党員も「発言の自由と行動の統一」という新しい組織原則に基づいた民主統一制の諸基準を自らの血と肉にできるでしょう。皆さんの大いなる奮闘に期待します。

結び

 ここに記した4つの変化は、レーニン、スターリン時代の軍事的前衛党としての組織原則を完全に否定した変化である。それは、正に、日本共産党が、革命の前衛党として纏ってきたきた旧い鎧を脱ぎ去ることを意味している。このフロントからセンターへの前進的変化こそ、今、日本共産党に求められている。共産党という党名に対する忌避感の払拭する肝ともいえる自己改革である。是非ともに、できるだけ早い時期に実現されることを願って結びとする。


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2023/04/23

民主統一制の新基準

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録する。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

「民主統一制」と新しい7つの基準

 広報の目的は、民主統一制への移行を宣伝することです。その目標は、《我が党が厳めしい革命政党から、共同社会を目指して共に戦う仲間に名実ともに脱皮した》ことを理解・納得してもらうことです。


 民主統一制の7つの基準は、次の通りです。
  1. 党の大会決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2. 大会決定を実践する方針も、民主的な議論をつくし多数決で決める。
  3. 全党は、方針等を実現する特定の政治行動では行動を統一する。
  4. すべての指導機関は、投票による民主的な選挙によって選出される。
  5. 党員には、党の諸問題を討論する集団をつくり、参加する自由がある。
  6. 党内に、私利私欲の実現を目的とした派閥はつくらない。
  7. 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 この7つの基準こそ、民主集中制を時代に合わせて発展させた民主統一制の概念を具体化したものです。

 ですが、「どこがどう変わって、革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てたのかを俄かに理解するのは難しい」との声が寄せられています。そこで、情報発信を容易にするプレスリリース及び広報冊子を作成し、それを基にしたマスメディア宣伝を展開すると共にSNSを活用した広報活動を展開します。また、しかるべき小冊子も作成して党員の伝える活動をフォローします。

 プレスリリースは、民主統一制の移行によって起きた四つの変化について、「そうなんだ。よーく分かった」と理解と納得を得る伝え方をサポートするに十分なサンプルとなるでしょう。また、党の広報部門に《四つの変化を広報する専属チーム》を配置して、党外の反応を集約し、広報のあり方で改善すべき点があれば素早く共有するできる体制作りを進めていきます。

 「そうなんだ。よーく分かった」は、四つの変化を人々に情報として伝えるに留まらず、人々の既存の知識との矛盾を乗り越えて、いわば脳の記憶領域から納得領域にまで届けるということです。マスメディア宣伝やSNSを活用した広報活動は、もっぱら国民の脳の記憶領域に届ける活動です。その情報を、納得領域にまで届けるのが三つ目の柱です。この記憶領域から納得領域へという二つの活動の結合が、我が党の基本的な広報戦略です。

 この我が党の広報戦略の正否を決めるのは、正に、党員一人ひとりの国民との対話活動のみです。党員一人ひとりの奮起を期待しています。

結び

 「共産党という党名に対する忌避感の払拭」というテーマのために、「『民主統一制』と新しい7つの基準」と題する章は、実に説教臭い退屈なものとなった。そういう意味では、宣伝マンとしては失格だ。少し反省しつつ、次へ。


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党名変更に勝る改革


はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録します。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

党名変更に勝る民主統一制への移行

 幹部会を代表して、「我が党が再び躍進する時代を拓くために」打ち出した《怖い革命政党という印象を払拭するための施策》について報告します。幹部会が決めた施策について述べる前に、この件に関する前大会までの論議を振り返ってみます。

 一つ目の怖い革命政党という印象の払拭という課題を達成するもっともインパクトある策は、党名の変更です。日本共産党から日本共同党への改名がもっとも有力視されています。しかし、党名変更と言う策は、最悪で悲劇的な結果を招くことになります。我が党に求められているのは、小手先の策ではなくて《革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てること》です。具体的には、「発言の自由と行動の統一」を核とした民主統一制へと移行することで、共同社会を目指すセンターとしての立ち位置を確かにすることが求められています。これが、怖い革命政党という印象を払拭する最善の選択です。

 ここで、「発言の自由と行動の統一」とは、一体、どのようなものかを再確認しておきます。それは、次のように要約されます。

 党員は、大会決定を討議する時も、決定の実行方針を決める時にも、自由に発言することができる。しかし、決定の実行方針を実践する特定の政治行動プロセスでは、すべての党員は、自説への拘りを捨てて行動の統一の旗の下にみんなで決めた方針の実現に最大限尽力しなければならない。また、実践に関する総括及び実行方針の見直しを行う時は、党員には、再び自由に発言することで、更なる方針の発展に寄与することが期待される。発言の自由とは、政策討論集会やSNS及び出版などによって意見を公開する自由を含む

 既に、革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てるという課題は、かかる「発言の自由と行動の統一」を不動の組織原則として確認することで達成されました。そこで、幹部会では、そのことを広報する上での3つの柱を確認しました。

  1. プレスリリースの作成。
  2. SNSを活用した広報。
  3. 国民との広い対話活動。

 「党名変更に勝る民主統一制への移行」を現実にするには、一つには、相手との関係を構築する取組み、二つには、戦略に基づいた情報発信が求められています。次に、広報の3つの柱に基づく活動の要点について述べます。

結び

 「日本共産党が躍進する時代を拓くために」(2)は、既に、日本共産党が民主集中制から民主統一制への移行を完了させたという前提の一文。どういう風に移行したのかは、2023/4/8付けの「規約に関する報告(宮本哲三)」を参照して欲しい。そういう前提のために、共産党という党名に対する忌避感の払拭は、民主統一制の広報活動の問題として語られる。同時に、それは、対米従属的な反共攻撃を打ち破る戦いとして位置付けられることを述べて終わる。自分で言うのもなんだが、「よっしゃ、反共攻撃になんて負けないぞ!」という気にさせる話だ。是非、若い方には、そんな日を迎えて欲しい。そんな思いを呟いて結びとする。


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2023/04/22

24世紀を見据えた綱領

 

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。

  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領

24世紀を見据えた綱領

 以上のような慎重な検討を踏まえ、民主主義革命後については、引き続き資本主義の枠内での漸次的進化の為の諸課題に取組み、社会全体の相転移を目指すこと。相転移で出現したポスト資本主義時代においては、連続的に生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服する具体的な改革に着手することを簡潔に述べるに留めることとしました。生産手段の社会的領有に関する予測的な具体策を述べることはしないで、生産の社会化という表現に留めました。

 民主主義革命が達成された後、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化の取組みが行われます。この資本主義の枠内で改革が蓄積された結果、社会は全体として、自由で平等な共同社会を目指す新しい段階を迎えます。この段階に到達した社会では、生産の社会化という社会主義的な改革が中心課題となります。我が党は、これらの取組みを牽引することで、生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服した搾取も抑圧もない共同社会の建設の先頭に立つ。

 この新しい綱領で、我が党は、暴力革命によってプロレタリア独裁政権を樹立して社会主義国家を建設するというトップダウン型の革命を完全に否定しました。これで、我々が目指すのは、国民各階層と共に歩む社会変革であることが誤解の余地なく明らかになりました。

量から質への転化に確信をもって

 かって、車椅子の物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、日本講演で次のような主旨のことを言っています。

  山を500m登っても、辺りの景色は麓のそれと同じです。1000m地点まで登っても、それに大きな変化は起こりません。やっぱり、見るのは山地帯のそれです。しかし、1500mまで登りきると、景色は一変します。目の前に広がるのは、山地帯とはまったく異なる亜高山帯の植相です。これが、量から質への転化です。漸次的な進化による飛躍、すなわち一歩高いステージへの移行による相転移の出現です。

 「えっ、これからは、社会主義革命は目指さないの!」とガッカリしないで、漸次的進化の過程が引き起こす飛躍と、その後の社会主義的変革を展望した新綱領こそが、社会主義・共産主義に至る確かな道筋を示していることに確信をもって、この綱領を勇気を持って採択しようではありませんか?

 大会が終わったら、新綱領の描く未来を一人でも多くの方に届け、社会主義への強い忌避感を克服する戦いを開始しましょう。

結び

 日本共産党が躍進する時代を拓くために(3)のテーマは、旧ソ連型の社会主義革命とトップダウン型の社会主義建設の誤りと完全に袂を分かった新しい社会主義への道筋を明らかにすること。それにあたっては、スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士が日本講演で語った《量から質への転化の法則》を念頭に、日本共産党の綱領を再点検する形で進めた。その際には、1957年に刊行された「弁証法的論理学試論」のなかで寺沢恒信氏が展開された論を借用した。また、全体に《誰もが抱いているであろう疑問に、誰もが納得できる答えを探す》ことを念頭に、思い付くままに書き留めたものである。

 (2)をアップしした翌日には(3)の草稿が完成している。その3日後には、校正を終了している。僅か数日の思索が生み出した《革命なき社会主義への道》と《生産手段掌握論の再検討》が、日本共産党の綱領に幾ばくかでも反映される日が来ることを願って結びとする。


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2023/04/21

生産手段掌握論の再検討



はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。
  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領
生産手段掌握論の再検討

 次に、2023年綱領の二つ目の問題点である、生産手段の社会化に関して報告します。

 ここまでで、党員諸氏は、社会主義的変革が主要課題となるステージが出現するのは早くても24世紀になるだろうと予想されたと思います。まったく、その通りです。民主連合政府が樹立されるのは早くても23世紀、そして、市場経済を維持しつつ漸次的な改革に取り組んで社会全体に相転移が起こるのが24世紀初頭から半ば。今から200年~250年先の遠い未来です。

2023年綱領と生産手段の社会的領有

  2023年綱領では、社会主義的変革の中心である《生産手段の社会的領有》について次のように記述しています。
 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。(2023年綱領)
 さて、日本郵政やJR、NTT、電力各社はサービス業ですから、主要な生産手段とは言えません。だとすれば、仮に、トヨタ自動車株式会社が24世紀まで存続していたら、同社は、主要な生産手段の筆頭になります。では、複合企業として発達した世界に冠たるトヨタグループ全体の所有・管理・運営を、具体的には、誰がどのように担当するのでしょうか?高度に発達した生産管理ノウハウと生産技術を当たり前のように実践・駆使している同社の工場を、誰がどのように管理するのでしょうか?2023年綱領に、そのはっきりした答えを見い出すことはできません。
 「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。(2023年綱領)
と、戒めの言葉はありますが、具体的に所有権・管理権・運営権を誰の手に移すのかは、示唆すらされていません。フランス政府がルノーの筆頭株式であるスタイルをもって、所有・管理・運営を社会の手に移すとするのは、多少の無理があります。それじゃー、国による企業のMergers(合併) and Acquisitions(買収)による旧ソ連のトップダウン型の社会主義の復活に繋がりかねません。

旧い生産手段掌握論からの脱却

 このように考えると、24世紀を展望した場合には、「生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を止揚するには、生産手段の所有権・管理権・運営権を資本家から剥奪しプロレタリアートが握るべきだ」という伝統的な考えを大胆に見直す必要があります。もっと、はっきり言えば、《プロレタリアートが、生産手段を掌握するスタイルを生産の社会化とする考え》を捨てる時が来たということです。そういう方向で、先の《誰が問題》は解決されるべきです。以上のような討論を踏まえて、幹部会は、社会主義的な変革の中心課題を《生産の社会化》とすることにしました。

 そもそも社会主義革命とは、生産と取得が対立した資本主義的な秩序を壊して、生産と取得を一歩高い次元で統一した社会主義的な秩序に移行させることです。当然のことながら、一歩高い次元で統一するやり方、生産手段の社会的領有のスタイルは、資本主義の発展段階によって異なります。24世紀には、24世紀のやり方があるということです。生産の社会化を社会主義的変革の中心課題としたことは、この我が党の考えをはっきりと表明するものです。

未来のトヨタ自動車と生産の社会化

 未来のトヨタ自動車グループの経営に携わる者は、先ず第一に、同社の生産性を高め、高い利益をもたらすことを求められます。同時に、社会的な存在としての役目を果たすことも求められます。そこにおいては、日本経済や地球環境との調和を図るという高い経営判断が含まれます。そして、その任に当たるのは、共同体の神ではなくて人である点が重要なポイントです。担当者は、社会の発展段階がもたらす制約を前にして、様々な試行錯誤を余儀なくされる筈です。このことは、まったく想像に難くありません。

 このことを考えると、生産の社会化(生産手段の社会的領有)は、短期間に実現されるものではなく、相当の期間を要する漸次的な進化のプロセスとなるのは明らかです。もちろん、100年、200年を要するプロセスだとしても、人類史という視点から俯瞰すれば、それは極めて短期間に起きる革命的な進化と言えます。

トップダウン型と対極の社会主義への道

 幹部会としては、未来のトヨタ自動車グループは、24世紀の政府との連携を深めて、同社の社会的領有を実現していくという見通しを持っています。言うなれば、社会全体に共同管理を意識した変革、つまり、共同社会を目指して政府・企業及び個人が歩調を揃えて社会主義的改革に取組むことが現実に始まるという見通しです。このことが、社会全体の相転移によって出現するポスト資本主義社会の特徴だと考えています。これは、正しく、トップダウン型の旧ソ連とは対極にある社会主義への道です。

 一言付け加えておけば、幹部会は、《24世紀における生産手段の社会的領有のスタイルは、1800年代に書かれた文献から完全に自由である》ということも宣言しておきます。

結び

 生産手段掌握論の再検討は、まったく未完成に終わった。というのは、生産手段を社会化していく改革の主体は、国家なのかトヨタ自動車なのかが、まったく曖昧なのである。この曖昧さを完全に追放するには、24世紀の政府の立場を明確にすることが必要である。社会主義を目指す政府は、生産手段の社会化の主体者なのか、あるいは補助者なのか?このことを、はっきりさせる必要がある。もちろん、政府自体が、共同社会実現のために様々な政策を実行するのは当然である。しかし、そのことと生産手段の社会化にどのような立場で関与するのかは、まったく別の問題である。

 歴史の教訓は、生産手段を社会化していく主体者は政府ではないことを教えている。旧ソ連の失敗、中国の問題点から下向的な分析的検討を続けるならば、我々は、一つのシンプルな真理に辿り着く。それは、「政府は、企業を吸収してはいけない」ということだ。この真理は、「企業が、政府を吸収するべきだ」ということと同義。24世紀の社会主義的な政権には、「企業が、政府を吸収するべきだ」を実際の状況に応じて具体化した政策を実行することが求められる。この社会全体の相転移によって生産手段の社会化を実現していくスタンスに立ってこそ、社会主義的な政権は、真に生産の社会化の主体者になっていく。

 生産手段掌握論の再検討においては、《企業が、政府を吸収する》という考えを明確には述べていない。つまり、まったく曖昧なままに終わっている。こういう問題点を残しつつ、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」という文言を綱領から追放したのが新綱領である。ゆえに、新綱領の生産の社会化に関する部分は、更に検討されることが求められる。

 結びを書き終えた今は、「《政府が、企業を吸収する》から《企業が、政府を吸収する》への180度の転換こそが、生産手段掌握論の再検討の肝である」と思っている。この転換をもって《誰が問題》が解決されることを予告して結びとする。

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2023/04/20

革命なき社会主義への道

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」)が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。

  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領

革命なき社会主義への道

 2023年に採択された日本共産党の綱領は、不破哲三氏や志位和夫氏らが中心となって日本における社会主義への道を探求してきた画期的な到達点を示しています。しかし、それはなお、生産の社会化が主たるテーマになる段階に関する幾つかの認識で不明瞭な点があります。別の言い方をすれば、2023年綱領は、なお旧い社会主義革命論の影響下にあります。今大会の任務は、この問題点を正し、24世紀を見据えた新しい綱領路線を採択することです。

2023年綱領の到達点

 まず、2023年綱領の到達点を確認しておきます。それは、当面する民主主義革命を、次のように定めています。

 現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。

 また、当時の綱領は、民主主義革命が達成された次の段階について、次のように規定しています。

 日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる

  続いて、社会主義をめざす権力について、次のように述べています。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。

 2023年綱領に至るまでの綱領路線の変遷は、ウイキペディアが簡潔にまとめています。

 戦後の日本共産党は、日本の現状を、アメリカ帝国主義と日本独占資本に支配されていると規定し、この両者の支配を打ち破る人民の民主主義革命をおこない、それから連続的に社会主義革命へと至るという二段階革命論をとった。しかし日本共産党は、徐々に「人民の民主主義革命」と「社会主義革命」の連続性を強調しなくなり、ついには「民主主義革命」と「社会主義革命」は完全に分離された。(ウイキペディア)

 2023年綱領が画期的であるのは、「『民主主義革命』と『社会主義革命』を分離した」ことです。

2023年綱領の問題点

 さて、今大会決定の草案で「なお、2023年綱領は、旧い社会主義革命論の影響下にある」として問題にした一つは、「民主主義革命が達成された次の段階では、果たして、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が課題となるのか?」という点です。言い換えれば、我々は、「いくつかの移行の段階をとおって、社会主義的な変革が課題になるのではないのか?」という漠とした考えを持っていました。この疑問に対する明瞭な答えを見つけるのが、私らに課せられた宿題でした。

 ある党員から、この疑問を解く有力なヒントが寄せられていたので紹介します。

 民主主義革命が達成された後の我々の次なる任務は、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化を牽引することだ。このポスト資本主義革命とも言うべき漸次的進化は、必ずや、社会全体の相転移をもたらす。この社会全体を一歩高い次元に移行させる飛躍によってこそ、社会主義的変革が主要課題となる次なるステージ(ポスト資本主義の時代)が出現する。

 ポスト資本主義の時代では、何年かの時間を要する過程をとおり、一歩一歩と社会主義の時代に接近していく。我々が目指す社会主義革命は、幾つかの段階をとおって行われるもので、ロシア革命のように「決定的打撃の単一の行為」によって行われるものではない。そのことを知る我々は、断固として、いわゆる社会主義革命という形態による変革そのものを拒否する。

(飛躍の二つの形態 「弁証法的論理学試論」参照 寺沢恒信著)

  

 幹部会は、「民主主義革命と社会主義変革との間に連続性はなく、独立・民主・平和の日本を実現する民主主義革命が達成された後も、引き続き資本主義の枠内での改革がテーマとなる。このポスト資本主義革命では、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく改革が追及される。この漸次的進化は、やがて社会全体の相転移をもたらす。こうして、社会は、ポスト資本主義の段階を迎える。このポスト資本主義社会において初めて社会主義的な変革がテーマになる」とする提言が、まったく正しいということで意見が一致しました。

 また、幹部会は、「我々が目指す社会主義革命は、幾つかの段階をとおって行われる」と、我々が目指すべき革命の形態が「飛躍が、単一の行為で行われる第一の形態ではなく、一定の過程を経て行われる第二の形態である」ことを明確にしたことは、画期的な前進であることを確認しました。

むすび

 「革命なき社会主義への道」のタイトルを付した章では、主に二つのアプローチによって日本共産党が目指すべき社会主義革命に言及している。一つは、量的変化と質的変化を区別していることである。市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく取組みは、「量的変化であるゆえに漸次的で、比較的ゆっくりおこる」ので、ポスト資本主義を目指す漸次的進化の過程と規定。一方、(量的変化の蓄積の結果としての)「質的変化は、飛躍であるから、比較的に急激におこる」ので《社会全体の相転移》と表現し、結果として出現する一歩次元の高い社会を《ポスト資本主義社会》と定義した。

 二つは、「質的な変化が飛躍であり、飛躍は急激におこなわれる、ということを、あまりにも狭く解釈し過ぎる」誤りに対して、飛躍には二つの形態があるという観点からの批判である。その目的は、高度に発達した資本主義国にあって、決定的な打撃としての社会主義革命を目指す極左的な誤りを退け、ポスト資本主義の時代にあっても、社会主義的な変革という量的変化を蓄積し「一歩一歩と社会主義の時代に接近していく」ことが真の社会主義革命であることを明らかすることである。何十年という年月を要しようとも、人類史という視点から見れば、これもまた極めて短期間に達成される革命である。

 このことをもって、私は、2023年綱領を確かなフローチャートとして完成させる方向性を示したつもりである。それは、旧い生産手段の社会化論を乗り越えることで完成する。もちろん、僅か数日の思索の結果でしかない論は、更に厳しい検討が求められるのは当然のことである。仮に、そのような討論を呼び起こせば、願ったり叶ったりである。


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2023/04/17

躍進する時代を拓くために 3


はじめに

 日本共産党の歴史的な退潮の3大原因の2つ目である国民各階層に根強く定着している「社会主義への強い忌避感」の克服は、共産党にとって浮沈をかけた課題である。克服する策の一つは、資本主義に対する社会主義の優位性を訴え続けること。二つ目の策は、共産党が公式に(旧ソ連型の)社会主義革命と社会主義建設の放棄と否定を内外に宣言すること。本稿では、二つ目の策に従うことで、日本共産党が躍進する時代を拓く道を探る。例によって、未来の党首である宮本哲三氏に敬体(ですます調)で語ってもらう。

 なお、本稿のはっきりとした目的は、(1)現綱領に内在するフローチャートとしての不備を正し、(2)もって、現綱領を、各種のマルクス主義破綻論を乗り越えて前へ進む指針として更に進化させることにある。

24世紀を見据えた綱領路線(宮本哲三)

 2023年に採択された日本共産党の綱領は、不破哲三氏や志位和夫氏らが中心となって日本における社会主義への道を探求してきた画期的な到達点を示しています。しかし、それはなお、生産の社会化が主たるテーマになる段階に関する幾つかの認識で不明瞭な点があります。別の言い方をすれば、2023年綱領は、なお旧い社会主義革命論の影響下にあります。今大会の任務は、この問題点を正し、24世紀を見据えた新しい綱領路線を採択することです。

2023年綱領の到達点

 まず、2023年綱領の到達点を確認しておきます。それは、当面する民主主義革命を、次のように定めています。

 現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。

 また、当時の綱領は、民主主義革命が達成された次の段階について、次のように規定しています。
 日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。

  続いて、社会主義をめざす権力について、次のように述べています。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。

 2023年綱領に至るまでの綱領路線の変遷は、ウイキペディアが簡潔にまとめています。

 戦後の日本共産党は、日本の現状を、アメリカ帝国主義と日本独占資本に支配されていると規定し、この両者の支配を打ち破る人民の民主主義革命をおこない、それから連続的に社会主義革命へと至るという二段階革命論をとった。しかし日本共産党は、徐々に「人民の民主主義革命」と「社会主義革命」の連続性を強調しなくなり、ついには「民主主義革命」と「社会主義革命」は完全に分離された。(ウイキペディア)

 2023年綱領が画期的であるのは、「『民主主義革命』と『社会主義革命』を分離した」ことです。

2023年綱領の問題点

 さて、今大会決定の草案で「なお、2023年綱領は、旧い社会主義革命論の影響下にある」として問題にした一つは、「民主主義革命が達成された次の段階では、果たして、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が課題となるのか?」という点です。言い換えれば、我々は、「いくつかの移行の段階をとおって、社会主義的な変革が課題になるのではないのか?」という漠とした考えを持っていました。この疑問に対する明瞭な答えを見つけるのが、私らに課せられた宿題でした。

 ある党員から、この疑問を解く有力なヒントが寄せられていたので紹介します。

 民主主義革命が達成された後の我々の次なる任務は、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化を牽引することだ。このポスト資本主義革命とも言うべき漸次的進化は、必ずや、社会全体の相転移をもたらす。この社会全体を一歩高い次元に移行させる飛躍によってこそ、社会主義的変革が主要課題となる次なるステージ(ポスト資本主義の時代)が出現する。

 ポスト資本主義の時代では、何年かの時間を要する過程をとおり、一歩一歩と社会主義の時代に接近していく。我々が目指す社会主義革命は幾つかの段階をとおって行われるもので、ロシア革命のように「決定的打撃の単一の行為」によって行われるものではない。そのことを知る我々は、断固として、いわゆる社会主義革命という形態による変革そのものを拒否する。

(飛躍の二つの形態 「弁証法的論理学試論」参照 寺沢恒信著)

 

 幹部会は、「民主主義革命と社会主義変革との間に連続性はなく、独立・民主・平和の日本を実現する民主主義革命が達成された後も、引き続き資本主義の枠内での改革がテーマとなる。このポスト資本主義革命では、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく改革が追及される。この漸次的進化は、やがて社会全体の相転移をもたらす。こうして、社会は、ポスト資本主義の段階を迎える。このポスト資本主義社会において初めて社会主義的な変革がテーマになる」とする提言が、まったく正しいということで意見が一致しました。

 また、幹部会は、我々が目指す社会主義革命は幾つかの段階をとおって行われる」と、我々が目指すべき革命の形態が「飛躍が、単一の行為で行われる第一の形態ではなく、一定の過程を経て行われる第二の形態である」ことを明確にしたことは、画期的な前進であることを確認しました。

24世紀における生産の社会化について

 次に、2023年綱領の二つ目の問題点である、生産手段の社会化に関して報告します。

 ここまでで、党員諸氏は、社会主義的変革が主要課題となるステージが出現するのは早くても24世紀になるだろうと予想されたと思います。まったく、その通りです。民主連合政府が樹立されるのは早くても23世紀、そして、市場経済を維持しつつ漸次的な改革に取り組んで社会全体に相転移が起こるのが24世紀初頭から半ば。今から200年~250年先の遠い未来です。

    2023年綱領では、社会主義的変革の中心である《生産手段の社会的領有》について次のように記述しています。

 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。(2023年綱領)

 さて、日本郵政やJR、NTT、電力各社はサービス業ですから、主要な生産手段とは言えません。だとすれば、仮に、トヨタ自動車株式会社が24世紀まで存続していたら、同社は、主要な生産手段の筆頭になります。では、複合企業として発達した世界に冠たるトヨタグループ全体の所有・管理・運営を、具体的には、誰がどのように担当するのでしょうか?高度に発達した生産管理ノウハウと生産技術を当たり前のように実践・駆使している同社の工場を、誰がどのように管理するのでしょうか?2023年綱領に、そのはっきりした答えを見い出すことはできません。

 「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。(2023年綱領)

と、戒めの言葉はありますが、具体的に所有権・管理権・運営権を誰の手に移すのかは、示唆すらされていません。フランス政府がルノーの筆頭株式であるスタイルをもって、所有・管理・運営を社会の手に移すとするのは、多少の無理があります。それじゃー、国による企業のMergers(合併) and Acquisitions(買収)による旧ソ連のトップダウン型の社会主義の復活に繋がりかねません。

 このように考えると、24世紀を展望した場合には、「生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を止揚するには、生産手段の所有権・管理権・運営権を資本家から剥奪しプロレタリアートが握るべきだ」という伝統的な考えを大胆に見直す必要があります。もっと、はっきり言えば、《プロレタリアートが、生産手段を掌握するスタイルを生産の社会化とする考えを捨てる時が来た》ということです。そういう方向で、先の《誰が問題》は解決されるべきです。以上のような討論を踏まえて、幹部会は、社会主義的な変革の中心課題を《生産の社会化》とすることにしました。

 そもそも社会主義革命とは、生産と取得が対立した資本主義的な秩序を壊して、生産と取得を一歩高い次元で統一した社会主義的な秩序に移行させることです。当然のことながら、一歩高い次元で統一するやり方、生産手段の社会的領有のスタイルは、資本主義の発展段階によって異なります。24世紀には、24世紀のやり方があるということです。生産の社会化を社会主義的変革の中心課題としたことは、この我が党の考えをはっきりと表明するものです。

 未来のトヨタ自動車グループの経営に携わる者は、先ず第一に、同社の生産性を高め、高い利益をもたらすことを求められます。同時に、社会的な存在としての役目を果たすことも求められます。そこにおいては、日本経済や地球環境との調和を図るという高い経営判断が含まれます。そして、その任に当たるのは、共同体の神ではなくて人である点が重要なポイントです。担当者は、社会の発展段階がもたらす制約を前にして、様々な試行錯誤を余儀なくされる筈です。このことは、まったく想像に難くありません。

 このことを考えると、生産の社会化(生産手段の社会的領有)は、短期間に実現されるものではなく、相当の期間を要する漸次的な進化のプロセスとなるのは明らかです。もちろん、100年、200年を要するプロセスだとしても、人類史という視点から俯瞰すれば、それは極めて短期間に起きる革命的な進化と言えます。

 幹部会としては、未来のトヨタ自動車グループは、24世紀の政府との連携を深めて、同社の社会的領有を実現していくという見通しを持っています。言うなれば、社会全体に共同社会を目指して政府・企業及び個人が歩調を揃えて社会主義的改革に取組むことが現実に始まるという見通しです。このことが、社会全体の相転移によって出現するポスト資本主義社会の特徴だと考えています。これは、正しく、トップダウン型の旧ソ連とは対極にある社会主義への道です。

 一言付け加えておけば、幹部会は、《24世紀における生産手段の社会的領有のスタイルは、1800年代に書かれた文献から完全に自由である》ということも宣言しておきます。

新しい綱領での未来社会の記述

 以上のような慎重な検討を踏まえ、民主主義革命後については、引き続き資本主義の枠内での漸次的進化の為の諸課題に取組み、社会全体の相転移を目指すこと。相転移で出現したポスト資本主義時代においては、連続的に生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服する具体的な改革に着手することを簡潔に述べるに留めることとしました。生産手段の社会的領有に関する予測的な具体策を述べることはしないで、生産の社会化という表現に留めました。

 民主主義革命が達成された後、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化の取組みが行われます。この資本主義の枠内で改革が蓄積された結果、社会は全体として、自由で平等な共同社会を目指す新しい段階を迎えます。この段階に到達した社会では、生産の社会化という社会主義的な改革が中心課題となります。我が党は、これらの取組みを牽引することで、生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服した搾取も抑圧もない共同社会の建設の先頭に立つ。

 この新しい綱領で、我が党は、暴力革命によってプロレタリア独裁政権を樹立して社会主義国家を建設するというトップダウン型の革命を完全に否定しました。これで、我々が目指すのは、国民各階層と共に歩む社会変革であることが誤解の余地なく明らかになりました。

 かって、車椅子の物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、日本講演で次のような主旨のことを言っています。

  山を500m登っても、辺りの景色は麓のそれと同じです。1000m地点まで登っても、それに大きな変化は起こりません。やっぱり、見るのは山地帯のそれです。しかし、1500mまで登りきると、景色は一変します。目の前に広がるのは、山地帯とはまったく異なる亜高山帯の植相です。これが、量から質への転化です。漸次的な進化による飛躍、すなわち一歩高いステージへの移行による相転移の出現です。

 「えっ、これからは、社会主義革命は目指さないの!」とガッカリしないで、漸次的進化の過程が引き起こす飛躍と、その後の連続的な社会主義的変革を展望した新綱領こそが、社会主義・共産主義に至る確かな道筋を示していることに確信をもって、この綱領を勇気を持って採択しようではありませんか?

 大会が終わったら、新綱領の描く未来を一人でも多くの方に届け、社会主義への強い忌避感を克服する戦いを開始しましょう。

 次は、休憩をはさんで、三つ目の、《悪夢の民主党政権がもたらした負の遺産》を清算するための《政権を担当する能力の獲得》の問題について報告します。

結び

 この未来の党首である宮本哲三氏の大会報告を、当然に、「マルクス主義と日本共産党綱領の否定だ」とする見解もありえる。しかし、極めて現実的な綱領路線への転換として歓迎する向きもある筈だ。後者の人々にとっては、この新綱領は、国民各階層に根強く定着している「社会主義への強い忌避感」を克服する最高の武器となる。そうなれば、喜ばしい限りである。日本共産党の綱領に本稿の提言が反映されればだが・・・。「なーんとか、そういう道が拓けないだろうか」と夢想する昨日今日である。


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2023/04/18 漸次的進化過程とと社会主義変革との関連性を明確化
2023/04/18 ジョイント・マネージメント型の社会主義革命という概念を明確化
2023/04/18 ホーキング博士の講演要旨(意訳)を追加
2023/04/18 序文に「本稿のもう一つの目的」を追加
2023/04/18 民主主義革命から社会主義への過程を図式化
2023/04/19 漸次的進化による飛躍は移行の段階を経ることを明記
2023/04/20 社会主義的変革の中心課題を変更 生産手段の社会化⇒生産の社会化
2023/04/21 ポスト資本主義以前と以後の改革の質の違いを明確化
2023/04/21 飛躍の第一形態と第二形態との文言を追加