2023/04/21

生産手段掌握論の再検討



はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。
  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領
生産手段掌握論の再検討

 次に、2023年綱領の二つ目の問題点である、生産手段の社会化に関して報告します。

 ここまでで、党員諸氏は、社会主義的変革が主要課題となるステージが出現するのは早くても24世紀になるだろうと予想されたと思います。まったく、その通りです。民主連合政府が樹立されるのは早くても23世紀、そして、市場経済を維持しつつ漸次的な改革に取り組んで社会全体に相転移が起こるのが24世紀初頭から半ば。今から200年~250年先の遠い未来です。

2023年綱領と生産手段の社会的領有

  2023年綱領では、社会主義的変革の中心である《生産手段の社会的領有》について次のように記述しています。
 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。(2023年綱領)
 さて、日本郵政やJR、NTT、電力各社はサービス業ですから、主要な生産手段とは言えません。だとすれば、仮に、トヨタ自動車株式会社が24世紀まで存続していたら、同社は、主要な生産手段の筆頭になります。では、複合企業として発達した世界に冠たるトヨタグループ全体の所有・管理・運営を、具体的には、誰がどのように担当するのでしょうか?高度に発達した生産管理ノウハウと生産技術を当たり前のように実践・駆使している同社の工場を、誰がどのように管理するのでしょうか?2023年綱領に、そのはっきりした答えを見い出すことはできません。
 「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。(2023年綱領)
と、戒めの言葉はありますが、具体的に所有権・管理権・運営権を誰の手に移すのかは、示唆すらされていません。フランス政府がルノーの筆頭株式であるスタイルをもって、所有・管理・運営を社会の手に移すとするのは、多少の無理があります。それじゃー、国による企業のMergers(合併) and Acquisitions(買収)による旧ソ連のトップダウン型の社会主義の復活に繋がりかねません。

旧い生産手段掌握論からの脱却

 このように考えると、24世紀を展望した場合には、「生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を止揚するには、生産手段の所有権・管理権・運営権を資本家から剥奪しプロレタリアートが握るべきだ」という伝統的な考えを大胆に見直す必要があります。もっと、はっきり言えば、《プロレタリアートが、生産手段を掌握するスタイルを生産の社会化とする考え》を捨てる時が来たということです。そういう方向で、先の《誰が問題》は解決されるべきです。以上のような討論を踏まえて、幹部会は、社会主義的な変革の中心課題を《生産の社会化》とすることにしました。

 そもそも社会主義革命とは、生産と取得が対立した資本主義的な秩序を壊して、生産と取得を一歩高い次元で統一した社会主義的な秩序に移行させることです。当然のことながら、一歩高い次元で統一するやり方、生産手段の社会的領有のスタイルは、資本主義の発展段階によって異なります。24世紀には、24世紀のやり方があるということです。生産の社会化を社会主義的変革の中心課題としたことは、この我が党の考えをはっきりと表明するものです。

未来のトヨタ自動車と生産の社会化

 未来のトヨタ自動車グループの経営に携わる者は、先ず第一に、同社の生産性を高め、高い利益をもたらすことを求められます。同時に、社会的な存在としての役目を果たすことも求められます。そこにおいては、日本経済や地球環境との調和を図るという高い経営判断が含まれます。そして、その任に当たるのは、共同体の神ではなくて人である点が重要なポイントです。担当者は、社会の発展段階がもたらす制約を前にして、様々な試行錯誤を余儀なくされる筈です。このことは、まったく想像に難くありません。

 このことを考えると、生産の社会化(生産手段の社会的領有)は、短期間に実現されるものではなく、相当の期間を要する漸次的な進化のプロセスとなるのは明らかです。もちろん、100年、200年を要するプロセスだとしても、人類史という視点から俯瞰すれば、それは極めて短期間に起きる革命的な進化と言えます。

トップダウン型と対極の社会主義への道

 幹部会としては、未来のトヨタ自動車グループは、24世紀の政府との連携を深めて、同社の社会的領有を実現していくという見通しを持っています。言うなれば、社会全体に共同管理を意識した変革、つまり、共同社会を目指して政府・企業及び個人が歩調を揃えて社会主義的改革に取組むことが現実に始まるという見通しです。このことが、社会全体の相転移によって出現するポスト資本主義社会の特徴だと考えています。これは、正しく、トップダウン型の旧ソ連とは対極にある社会主義への道です。

 一言付け加えておけば、幹部会は、《24世紀における生産手段の社会的領有のスタイルは、1800年代に書かれた文献から完全に自由である》ということも宣言しておきます。

結び

 生産手段掌握論の再検討は、まったく未完成に終わった。というのは、生産手段を社会化していく改革の主体は、国家なのかトヨタ自動車なのかが、まったく曖昧なのである。この曖昧さを完全に追放するには、24世紀の政府の立場を明確にすることが必要である。社会主義を目指す政府は、生産手段の社会化の主体者なのか、あるいは補助者なのか?このことを、はっきりさせる必要がある。もちろん、政府自体が、共同社会実現のために様々な政策を実行するのは当然である。しかし、そのことと生産手段の社会化にどのような立場で関与するのかは、まったく別の問題である。

 歴史の教訓は、生産手段を社会化していく主体者は政府ではないことを教えている。旧ソ連の失敗、中国の問題点から下向的な分析的検討を続けるならば、我々は、一つのシンプルな真理に辿り着く。それは、「政府は、企業を吸収してはいけない」ということだ。この真理は、「企業が、政府を吸収するべきだ」ということと同義。24世紀の社会主義的な政権には、「企業が、政府を吸収するべきだ」を実際の状況に応じて具体化した政策を実行することが求められる。この社会全体の相転移によって生産手段の社会化を実現していくスタンスに立ってこそ、社会主義的な政権は、真に生産の社会化の主体者になっていく。

 生産手段掌握論の再検討においては、《企業が、政府を吸収する》という考えを明確には述べていない。つまり、まったく曖昧なままに終わっている。こういう問題点を残しつつ、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」という文言を綱領から追放したのが新綱領である。ゆえに、新綱領の生産の社会化に関する部分は、更に検討されることが求められる。

 結びを書き終えた今は、「《政府が、企業を吸収する》から《企業が、政府を吸収する》への180度の転換こそが、生産手段掌握論の再検討の肝である」と思っている。この転換をもって《誰が問題》が解決されることを予告して結びとする。

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