2023/04/30

野党共闘と3つの基準

 
はじめに

 「共産党が変われば日本の政治は変わる」との論理で、日本共産党に自己否定を迫る主張が散見される。それは、「共産党が反米、反安保、自衛隊違憲論を綱領において否定しな限り、日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障政策を掲げる立憲民主党との真の意味での野党共闘が実現せず、現行の選挙制度の下ではほとんど勝負にならないからだ」という。はっきり言って、「何のために、なぜ」を横に置いた無節操な野党共闘重視論である。

 続けて、論者は、「欧州ではコテコテの共産主義からより民主的社会主義政党へと脱皮できた共産党は、今も一定の勢力を保っているが、イデオロギーにこだわり保守的共産主義を標榜し続ける共産党はどこの国でも力を失っている」ともっとも顔で指摘する。しかし、その主張の要は、「これ以上の党勢の後退を避けたければ、立憲民主党Bを目指せ」との主張に過ぎない。

 彼らは、何のための野党共闘かをまったく分かっていない。「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配」の破滅的な進行を阻止するために、互いの違いを乗り越えて共同して闘うことこそが真の野党共闘であることは、彼らの理解能力の外にあるようだ。互いの違いを乗り越えるとは、共闘のその先にある互いの目標について寛容であることを意味している。野党共闘は、それぞれが掲げる目標を一致させることをもって成立するものではない。それぞれに違いを認め合ってこその共闘なのである。

 このまったく自明な野党共闘の初歩的な知識さえ持ち合わせていない対米従属的な野党共闘推進論は、日本の民主主義的改革と真の独立を目指す共同戦線のセンターである日本共産党に対し本来の針路や航路から外れて進むことを促す偏走の論理でしかない。

 本稿の目的は、日本共産党が偏走の論理に組しない為のはっきりとした基準を示すことである。その時々に発する言葉は、述べる者のスタンスと意識を反映する。スタンスの揺れと意識の暴走を抑えるために、未来の党首である宮本哲三氏に語ってもらう。

偏走の論理に組しない3基準

 私は、既に、2023/4/13付けの「発言の自由と3つのルール」で、偏走の論理に組しない3つの基準の雛形を示しています。

  1. 自らの主張を道理に基づいて発信する。
  2. 党員としての原則的な誤りは犯さない。
  3. 関係する組織と人々に十分に配慮する。

は、次のように言いかえることができます。

  1. 当面する目標を実現する為の有意な妥協。
  2. 守るべき原則を無視した取り引きの禁止。
  3. 関係する組織と人々に配慮した政治決断

 2023/4/10付けの「松竹氏除名問題と親亀子亀」で、「当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結、さしあたって一致できる目標の範囲での統一戦線を野合連合として一概に否定することは、誤りである」と述べています。基準1は、《当面する目標を実現する為の有意な妥協》であると判断した時は、積極的に野党連合の結成を促し、参加するということです。基準2は、有意な妥協だとしても、守るべき原則を無視した取り引きは、厳しく戒めています。例えば、日米安保を是認するという誓約書にサインするなどの取り引きです。

最初のハードルを跳び越えたら、後は比較的に容易である。

 カーニハン・リッチーが言ったように、最初の一枚にサインしたら、その後に避けるべき妥協を重ねることは比較的に容易です。我が党は、跳ぶことを許されない最初のハードルを越えることは決してしないというのが、2つ目の基準です。

 さて、最終的には、我が党は、関係する組織と人々に配慮した政治決断をする必要があります。関係する組織と人々に不和と対立とをもたらす種類の決断は、避けなければなりません。

野党共闘の弁証法

 我々が目指す共闘は、その結成の条件的不可能性の不可能性を可能性に転化する段階、抽象的な可能性を実在的な可能性に転化する段階、そして最終的には、実在的な可能性を現実性に転化することで姿を現します。

 これらの段階を通じて我々の共闘の形式も刷新され、それによって次の段階を目指す発展が促されます。これが、現実性の発展の基本的なあり方です。我々は、このような発展段階を十分に意識して、その時々に適した共闘の形式を見定める必要があります。野党共闘において、いきなり閣内協力などという内容と形式とが悖反(はいはん)する選択をすることがあってはなりません。

 共闘の古い形式のなかの優れた要素を保持しながら、新しい内容に適合した新しい共闘の形式が漸次的に形成されてゆくことを考えれば、《当面する目標を実現する為の有意な妥協》の一切を拒否することは、内容と形式の弁証法に背を向ける誤りです。同時に、いきなりの閣内協力もまた、内容と形式の弁証法を無視した誤りです。

 ところで、共闘の古い形式を壊すのは、新しい内容によって古い形式が次第に作り改められ、新しい内容に適したものになってゆくからです。つまり、PCACを核としたポスト資本主義社会を目指す共同戦線の取組みによって新しい内容が付け加えられることによってのみ、共闘の形式は発展していきます。共闘の形式は、基本的には、その発展段階に応じた内容によって決まります。《野党共闘の形式は、まったく党首間の話し合いで決まるものではない》ことを申し上げておきます。そして、その内容を刷新していくのは、我々だということです。

 最後に、野党共闘の弁証法を忘却し、形式に合わせて内容の変更を迫る《自衛隊活用論と日米安保基軸論》は、共闘の古い形式を壊す戦いを放棄するものです。それは、「形勢を見て有利な側方に追従する日和見主義である」と言明しておきます。

結び

 本稿では、主に、野党共闘で最初の一歩を跳ぶことの危険性、野党共闘の内容と形式の対立について述べた。もって、野党共闘の為に「何をなすべきか?」を述べたつもりである。「日和見主義的な道を探るよりも、PCACを核としたポスト資本主義社会を目指す運動を一歩前へ」と言うことだ。本稿が、日本共産党と野党共闘との関係の理解に役立てば幸いである。


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2023/04/29

PCACと掲げる二つの旗


 はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 4」のテーマは、「時代の追い風を帆にはらむ」。一気読みするには長文過ぎたので、「ポスト資本主義行動委員会」、「PCACと掲げる二つの旗」の二部に分けて再録する。

PCACと掲げる二つの旗

 次は、軍拡競争No、格差拡大No、環境破壊Noの旗を掲げたポスト資本主義行動委員会(PCAC)と我が党のあるべき関係について述べます。

 我々にとって明瞭なことは、我が党がPCACとの間に適切な関係を築けなければ、我が党が時代の追い風を帆にはらむことは不可能だということです。その為には、次の2つのスタンスを重視して、PCACの結成に参加し、その運動の発展に尽力する必要があります。

  1. 互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス。
  2. 大勢が纏まって一方向を向いている中の一員というスタンス。

 スタンス1を確かなものにするには、我が党の組織原則である民主集中制を民主統一制に発展させる必要があります。この発展は、我が党が、革命の前衛党として纏ってきた旧い鎧を脱ぎ去ることを意味しています。このフロントからセンターへの前進的変化こそ、《互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス》を不動のものにします。「党の組織原則と大衆組織のなかでの行動基準とは違う」などの方便で、旧い鎧に固執していては、PCACとの間に適切な関係を築くことはできません。

 スタンス2を確かなものにするには、ポスト資本主義を目指す運動の綱領上の位置付けをはっきりとさせることです。

 2023年綱領は、民主主義革命の目標を《ルールある資本主義への転換》としています。そして、「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」としています。これは、漸次的変化による社会主義への道は、幾つかの段階を通ることを見落としています。

 我々は、《ルールある資本主義》を達成した後に、更に資本主義的な旧い質を減らし、共同社会的な質を増やすという量的変化の課題に取り組む必要があります。これは、量的な変化ゆえに相当の年月を要する漸次的な進化の取組みとなります。その結果、比較的に短期な質的変化である飛躍の時を迎えます。こうして、社会全体に相転移が起こり、社会主義的変革が課題となる次のステージが始まります。

 本大会が解明した《民主主義革命を達成した後に、ポスト資本主義革命の長い時期を経て、24世紀以降に社会主義的変革の時代を迎える》という社会主義への道は、我が党が《当面は、何をなすべきか?》を教えています。それは、ポスト資本主義を求める人々への限りない連帯の意を表明し、その運動の真っ只中に身を置くことです。

 ポスト資本主義行動委員会(PCAC)は、資本主義に対して社会主義で立ち向かうのではなくて、科学で立ち向かう運動と言っても過言ではありません。そして、その一員として思う存分に力を発揮するにも、我々は、今大会で《民主統一制の旗》と《ポスト資本主義革命の旗》を掲げるものです。正に、Show the flag!です。我が党を船に例えるならば、この二つの旗をマストに掲げてこそ、我が党は、時代の追い風を帆にはらんで再び躍進の時代を迎えることができます。

 ポスト資本主義行動委員会に関する幹部会の方針をお伝えして、今大会に対する私の報告を終わります。

結び

 本稿をアップしようとしたら、ネット上に「日本共産党が変われば、日本の政治が変わる」という記事を見つけた。それは、日本共産党に「安保是認に舵を切って、野党連合政権を目指せ!」というものだった。正に、本サイトとは真逆の主張だ。安保を是認すれば、何処の誰が、戦勝国による軍事的半占領を終わらせるのだ。日本共産党には、対米従属的な野党連合論とはキッパリと距離を置いてほしい。そして、軍拡競争Noの旗を掲げ続けてもらいたい。そのことを、改めて訴えて結びとする。


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2023/04/28

ポスト資本主義行動委員会

PCAC動画より

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 4」のテーマは、「時代の追い風を帆にはらむ」。一気読みするには長文過ぎたので、「ポスト資本主義行動委員会」、「PCACと掲げる二つの旗」の二部に分けて再録する。

ポスト資本主義行動委員会

 我が党の3大退潮原因の3つ目である「時代の追い風が吹いていない!」状況を打破する件について報告します。ポイントは、時代の追い風が吹くのを待つことをせずに、新しい風を帆に受けるために、何をなすべきかです。まず、確認しなければならないのは、新しい風を見える化する為の方針です。今大会では、その具体化として新しい大衆組織の結成を提起します。

 今、目の前で起きている社会現象を分解して、歴史の発展に沿ったものを取り出して、それらの対象に共通するものを結合する手続きを行えば、そこには《ピース アンド コモン》という概念が浮上してきます。ピース(PIECE)とは、英語で「平和」を意味しています。コモン(COMMON)とは、「共に」の意です。結論を急げば、《ピース アンド コモン》の新しい風は、我々に《ポスト資本主義行動委員会(Post-Capitalist Action Committee)》略称PCACの結成を急ぐように求めています。これは、新しい風の物質化、見える化の取組みであって、「時代の追い風を帆にはらむ」ために必要不可欠な工程です。

 我が党は、綱領において、「搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう」ことを明記しています。幹部会は、その目標に接近する第一歩として、ポスト資本主義行動委員会(PCAC)の結成と行動を支援し、新しい風を共有する取組みに着手することを決めました。PCACと共に、次に述べる3つのNoの声を広げていきましょう。

(1)軍拡競争にNo!

 2023年4月26日付けの西日本新聞は、「自民、公明両党は、国内の防衛産業育成を念頭に殺傷能力のある武器輸出を解禁する協議を始めた」と報じています。また、論壇時評では、「岸田内閣による安全保障政策の大転換が、国会よりもアメリカ大統領に報告する手続きは『絶対に許されてはならない』。敵基地攻撃能力の解禁は、軍拡という負のスパイラルを引き起こしてします」と、自民党の総裁を務めた河野洋平氏の強い懸念を紹介しています。また、宏池会会長を務めた古賀誠氏の「戦争がいかに愚かで平和がいかに尊いかは、八十年以上生きてきた中での絶対に忘れられない一番大事なものである」との言葉も紹介しています。

 岸田内閣による大軍拡路線は、日本資本主義が、資本増殖の為なら対米従属をも厭わず、また戦争への加担・参加も辞さないシステムであることを示しています。これに対しては、自民党の重鎮でさえも異を唱えています。今、正に、党派の垣根を越えて、大軍拡に反対し、平和憲法を守ると同時に、資本主義という危険なシステムを乗り越えようとする新しい風が吹いています。

(2)格差拡大にNo!

 フランスの経済学者トマ・ピケティは、著書『21世紀の資本』(2013年)のなかで、膨大なデータを分析した結果、「経済成長を期待して、資本主義を放置すれば、ますます格差が拡大する」と指摘。また、「少子高齢化で国力が弱まれば、国民所得に占める資本所得の比率が上昇し、格差は、さらに拡大する」(富増章成)とも警告しています。

 野村総合研究所は、「2021年の日本の富裕層は149万世帯、その純金融資産総額は364兆円と推計」しています。さらに、「富裕層・超富裕層の世帯数はいずれも、安倍政権の経済政策(アベノミクス)が始まった2013年以降、増加を続けている」と指摘。トマ・ピケティは、正に、アベノミクスの結末を予言していたかのようです。

 「約2.5%の世帯が日本の世帯全体の20%以上の富を保有している」という現実は、日本が紛れもない格差社会であることを示しています。教育格差、所得格差、賃金格差の厳しい現実は、その解消にまったく無能な資本主義を乗り越えようとする風になって吹いています。

(3)環境破壊にNo!

 映画監督で作家の中村佑子氏は、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」を、「環境汚染も気候変動も、災害も不幸も、それを対策する効果ある商品を、消費者により多く買わせようとする。それが資本主義というものが本質的にもつ、飽くなき欲望造成装置の矛盾なのだと、本書は資本主義の空恐ろしさを鷲掴みにする書でもある」と評しています。そして、「日本は明らかにグローバルサウスに負債を押し付けている『帝国的生活様式』の当事者である。将来世代のため、他国のため、地球のために、生活を変革しなければならない側の人間だ」と指摘しています。

 「私たちは一つの手段でそれに近づける技術的な解決策を持ち合わせていない。私たちは社会を根本的に変革する必要がある。…気候や生態系の危機は真空の中で存在しているのではなく、他の危機と直接、結び付いている。ある人は他の人よりも価値があり、それゆえに他の人を盗み、他の人を搾取し、盗む権利があるという考え方に基づく危機だ。根本的な原因を解決せずに、この危機を解決できると考えるのは甘すぎる」とは、スエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリの言葉です。

 今、正に、気候変動による地球規模の危機が、「地球そのものがコモンだ」だという考えを生み出し、資本主義社会の変革を目指す新しい風となって世界中で吹き始めています。

結び

 ポスト資本主義行動委員会は、新しいスタイルの党勢拡大運動を象徴するものとして提起している。その目的は2つ。一つは、軍拡競争反対、格差拡大反対、環境破壊反対の声をバラバラではなくて統合していく受け皿を作っていくこと。二つは、若者世代に、頑張れば手が届く夢を語り合う場を提供することである。この提案が、多少なりとも、日本共産党の躍進の一助になれば幸甚の極みである。


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2023/04/27

躍進する時代を拓くために 4


 はじめに

日本共産党の党勢の推移は国内繊維産業の衰退と軌を一にしている

 本稿の副題は、「時代の追い風を帆にはらむ」である。1970年移行、右肩上がりだった国内繊維産業は、1980年を境に時代の向かい風に晒されて売り上げ数自体は減少の一途を辿った。それを、人件費の抑制と販売単価のアップでカバーして束の間の繁栄を謳歌した。しかし、1991年のバブル経済の崩壊で多くの業者が転廃業の道を歩み始めた。1998年、大阪の工業団地の一角を占めていた同業種120社の工場の99%が消えた。散り散りになった従業員を待っていたのは、非正規雇用という選択だった。この年を境に、正規の社員・従業員が減り、契約社員・派遣社員・パート従業員が増えていったことは、記憶に新しい。

 国内繊維産業を襲った悲劇は、時代の逆風に晒されることが何を意味するのかを物語っている。誤りを怖れずに断言すれば、時代の追い風を帆にはらむことなしに、日本共産党が躍進する時代を拓くことはできないということだ。もちろん、時代の追い風を帆にはらむとは、日本維新の会のように時代の逆流に乗ることではない。逆流の上に吹いている時代の風を見定め、それをはらませる帆を揚げること。一体、時代の風とは?風をはらませる帆とは?本稿では、それを解き明かす。

 例によって宮本哲三氏に語ってもらう。

ポスト資本主義行動委員会

 我が党の3大退潮原因の3つ目である「時代の追い風が吹いていない!」状況を打破する件について報告します。ポイントは、時代の追い風が吹くのを待つことをせずに、新しい風を帆に受けるために、何をなすべきかです。まず、確認しなければならないのは、新しい風を見える化する為の方針です。今大会では、その具体化として新しい大衆組織の結成を提起します。

 今、目の前で起きている社会現象を分解して、歴史の発展に沿ったものを取り出して、それらの対象に共通するものを結合する手続きを行えば、そこには《ピース アンド コモン》という概念が浮上してきます。ピース(PIECE)とは、英語で「平和」を意味しています。コモン(COMMON)とは、「共に」の意です。結論を急げば、《ピース アンド コモン》の新しい風は、我々に《ポスト資本主義行動委員会(Post-Capitalist Action Committee)》略称PCACの結成を急ぐように求めています。これは、新しい風の物質化、見える化の取組みであって、「時代の追い風を帆にはらむ」ために必要不可欠な工程です。

 我が党は、綱領において、「搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう」ことを明記しています。幹部会は、その目標に接近する第一歩として、ポスト資本主義行動委員会(PCAC)の結成と行動を支援し、新しい風を共有する取組みに着手することを決めました。PCACと共に、次に述べる3つのNoの声を広げていきましょう。

(1)軍拡競争にNo!

 2023年4月26日付けの西日本新聞は、「自民、公明両党は、国内の防衛産業育成を念頭に殺傷能力のある武器輸出を解禁する協議を始めた」と報じています。また、論壇時評では、「岸田内閣による安全保障政策の大転換が、国会よりもアメリカ大統領に報告する手続きは『絶対に許されてはならない』。敵基地攻撃能力の解禁は、軍拡という負のスパイラルを引き起こしてします」と、自民党の総裁を務めた河野洋平氏の強い懸念を紹介しています。また、宏池会会長を務めた古賀誠氏の「戦争がいかに愚かで平和がいかに尊いかは、八十年以上生きてきた中での絶対に忘れられない一番大事なものである」との言葉も紹介しています。

 岸田内閣による大軍拡路線は、日本資本主義が、資本増殖の為なら対米従属をも厭わず、また戦争への加担・参加も辞さないシステムであることを示しています。これに対しては、自民党の重鎮でさえも異を唱えています。今、正に、党派の垣根を越えて、大軍拡に反対し、平和憲法を守ると同時に、資本主義という危険なシステムを乗り越えようとする新しい風が吹いています。

(2)格差拡大にNo!

 フランスの経済学者トマ・ピケティは、著書『21世紀の資本』(2013年)のなかで、膨大なデータを分析した結果、「経済成長を期待して、資本主義を放置すれば、ますます格差が拡大する」と指摘。また、「少子高齢化で国力が弱まれば、国民所得に占める資本所得の比率が上昇し、格差は、さらに拡大する」(富増章成)とも警告しています。

 野村総合研究所は、「2021年の日本の富裕層は149万世帯、その純金融資産総額は364兆円と推計」しています。さらに、「富裕層・超富裕層の世帯数はいずれも、安倍政権の経済政策(アベノミクス)が始まった2013年以降、増加を続けている」と指摘。トマ・ピケティは、正に、アベノミクスの結末を予言していたかのようです。

 「約2.5%の世帯が日本の世帯全体の20%以上の富を保有している」という現実は、日本が紛れもない格差社会であることを示しています。教育格差、所得格差、賃金格差の厳しい現実は、その解消にまったく無能な資本主義を乗り越えようとする風になって吹いています。

(3)環境破壊にNo!

 映画監督で作家の中村佑子氏は、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」を、「環境汚染も気候変動も、災害も不幸も、それを対策する効果ある商品を、消費者により多く買わせようとする。それが資本主義というものが本質的にもつ、飽くなき欲望造成装置の矛盾なのだと、本書は資本主義の空恐ろしさを鷲掴みにする書でもある」と評しています。そして、「日本は明らかにグローバルサウスに負債を押し付けている『帝国的生活様式』の当事者である。将来世代のため、他国のため、地球のために、生活を変革しなければならない側の人間だ」と指摘しています。

 「私たちは一つの手段でそれに近づける技術的な解決策を持ち合わせていない。私たちは社会を根本的に変革する必要がある。…気候や生態系の危機は真空の中で存在しているのではなく、他の危機と直接、結び付いている。ある人は他の人よりも価値があり、それゆえに他の人を盗み、他の人を搾取し、盗む権利があるという考え方に基づく危機だ。根本的な原因を解決せずに、この危機を解決できると考えるのは甘すぎる」とは、スエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリの言葉です。

 今、正に、気候変動による地球規模の危機が、「地球そのものがコモンだ」だという考えを生み出し、資本主義社会の変革を目指す新しい風となって世界中で吹き始めています。

PCACと掲げる二つの旗

 次は、軍拡競争No、格差拡大No、環境破壊Noの旗を掲げたポスト資本主義行動委員会(PCAC)と我が党のあるべき関係について述べます。

 我々にとって明瞭なことは、我が党がPCACとの間に適切な関係を築けなければ、我が党が時代の追い風を帆にはらむことは不可能だということです。その為には、次の2つのスタンスを重視して、PCACの結成に参加し、その運動の発展に尽力する必要があります。

  1. 互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス。
  2. 大勢が纏まって一方向を向いている中の一員というスタンス。

 スタンス1を確かなものにするには、我が党の組織原則である民主集中制を民主統一制に発展させる必要があります。この発展は、我が党が、革命の前衛党として纏ってきた旧い鎧を脱ぎ去ることを意味しています。このフロントからセンターへの前進的変化こそ、《互いの多様性を認め合い、違いに寛容であるというスタンス》を不動のものにします。「党の組織原則と大衆組織のなかでの行動基準とは違う」などの方便で、旧い鎧に固執していては、PCACとの間に適切な関係を築くことはできません。

 スタンス2を確かなものにするには、ポスト資本主義を目指す運動の綱領上の位置付けをはっきりとさせることです。

 2023年綱領は、民主主義革命の目標を《ルールある資本主義への転換》としています。そして、「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」としています。これは、漸次的変化による社会主義への道は、幾つかの段階を通ることを見落としています。

 我々は、《ルールある資本主義》を達成した後に、更に資本主義的な旧い質を減らし、共同社会的な質を増やすという量的変化の課題に取り組む必要があります。これは、量的な変化ゆえに相当の年月を要する漸次的な進化の取組みとなります。その結果、比較的に短期な質的変化である飛躍の時を迎えます。こうして、社会全体に相転移が起こり、社会主義的変革が課題となる次のステージが始まります。

 本大会が解明した《民主主義革命を達成した後に、ポスト資本主義革命の長い時期を経て、24世紀以降に社会主義的変革の時代を迎える》という社会主義への道は、我が党が《当面は、何をなすべきか?》を教えています。それは、ポスト資本主義を求める人々への限りない連帯の意を表明し、その運動の真っ只中に身を置くことです。

 ポスト資本主義行動委員会(PCAC)は、資本主義に対して社会主義で立ち向かうのではなくて、科学で立ち向かう運動と言っても過言ではありません。そして、その一員として思う存分に力を発揮するにも、我々は、今大会で《民主統一制の旗》と《ポスト資本主義革命の旗》を掲げるものです。正に、Show the flag!です。我が党を船に例えるならば、この二つの旗をマストに掲げてこそ、我が党は、時代の追い風を帆にはらんで再び躍進の時代を迎えることができます。

 ポスト資本主義行動委員会に関する幹部会の方針をお伝えして、今大会に対する私の報告を終わります。

結び

 「時代の追い風を帆にはらむ」を書き始めるとすぐに、私の頭の中を《ポスト資本主義行動委員会(PCAC)という大衆組織を結成する》という夢想が駆け巡った。それは、我々団塊の世代が、1970年代初頭に民主連合政府を夢見たことを思い出させる。 青年は、未来を信じ、未来に生きる。書き終えた今、この時代を生きる若者がポスト資本主義行動委員会に結集し、資本主義を乗り越えた次なる社会への夢を語って欲しい。そして、「夢を現実に」を一歩一歩実現していって欲しい。そういう想いを込めて、本稿をアップする。


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2023/04/24

対米従属的反共攻撃

対米従属的な反共主義の裏には憲法改悪の狙いが隠れている

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録する。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

対米従属的な反共主義と戦ってこそ

 最後に、怖い革命政党という印象を払拭する取り組みは、一朝一夕に達成されるものではなくて期間を要する取組みであることに触れておきます。それは、正しく、対米従属的な反共主義との戦いによってのみ達成されます。

 中国に対する好感度は、世界的にも日本がダントツの最下位で僅かに12%未満にしか過ぎません。これは、中国政府が「国民の自由を尊重していない」という情報に身近に接している隣国ならではの事情によるものです。

 同時に、戦後、我が国が、戦勝国であるアメリカによって「反共の防波堤」として再編されたことが、「日本の政界に、侵略戦争への無反省という他国に例のない性格を刻む」ことになりました。このことが、今日の歴史修正主義の土壌を育くみました。これは、中国や韓国における反日運動もあいまって、「居直りの嫌中・嫌露・嫌韓意識」として自民党右派の岩盤支持層を中心に強く定着し、いわゆる安倍派や(より右寄りでタカ派といわれる)維新の会を勢いづかせるエネルギー源になっています。

 以上のような状況を直視すると、我が党に対する謂れのないイメージを払拭する取組みは、国際勝共連合(統一教会)と結託して進歩勢力を激しく攻撃してきた自民党右派に代表される対米従属的な反共主義勢力との真っ向勝負の戦いです。ゆえに、それは相当の期間を要する取組みになります。小冊子を配布して終わりではないことは明らかです。ですが、そういう取組みによって引き起こされる一つひとつの変化の量的な蓄積こそが国民意識に相転移を引き起こすという弁証法に確信を持って不屈の精神で取り組んでいこうではありませんか。

結び

 民主統一制への移行は、共産党という党名に対する忌避感を払拭する打ち出の小槌ではない。一見、小槌効果で薄まったかのように見えても、日米反動勢力が、日米軍事同盟の侵略的強化という「政策課題を達成するための政治的・思想的手段」としての反共攻撃を強めてくるのは必定。特に、憲法第九条改悪を合理化するために用いることは、火を見るよりも明らか。平和憲法を守ることを望む国民各階層と日本共産党を分断する最強の武器としての反共攻撃は、決して弱まることはない。正に、対米従属的な反共主義と戦ってこそ、共産党という党名に対する忌避感は払拭されていく。党員諸氏の奮闘を期待して結びとする。


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四つの変化を伝える

 


はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録する。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

四つの変化を社会に広く伝える意義

 民主統一制の移行がもたらした変化については、規約改正に関する報告(2023/04/08)で明らかにした通りです。先に述べたように、幹部会は、それを、四つの変化として広報することを確認しました。

変化1

 党員は、選挙期間中に公約と矛盾した言動を自粛する以外は、党綱領や大会決定について自由に論議し批判することできるようになったこと。行動の統一を求められる特別な場合を除いて、普段は、綱領や大会決定と矛盾した発言をすることは、発言の自由であって、決して反党行為として非難されることのない民主統一制へと移行したこと。

変化2

 すべての指導機関が投票による選挙で選ばれるようになったこと。信任投票や拍手によって指導機関が選ばれるという旧い慣習は完全に過去のものとなったこと。

変化3

 党員が、討論を目的とした集団に参加して様々に論議を交わせるようになったこと。複数名の党員が支部の垣根を越えて、XXX研究会などの集団をつくり、集団としての意見を外に向かって公表する自由があること。もって、多様性を尊重し合い、違いに寛容な党として名実ともに新しいスタートを切ったこと。

変化4

 分派の禁止を、私利私欲の実現を目的とした派閥の禁止に限定し、党員によるグループの結成が許される新時代がスタートしたこと。

 この4つの変化は、我が党がきっぱりとスターリン時代の負の遺産である集権集中制と袂を分かったことを疑いの余地なく示しています。この変化こそが、ポスト資本主義の新しい社会を目指す国民各階層のセンター、自由で平等な共同社会を目指すという取組みの中心という我が党の立ち位置を揺ぎないものにします。この点こそが、四つの変化を、マスメディア、統一戦線の仲間及び国民の皆さんに伝える意義です。

 幹部会が決定した民主統一制への移行を広報する3つのポイントに沿った活動を通じて、党も党員も「発言の自由と行動の統一」という新しい組織原則に基づいた民主統一制の諸基準を自らの血と肉にできるでしょう。皆さんの大いなる奮闘に期待します。

結び

 ここに記した4つの変化は、レーニン、スターリン時代の軍事的前衛党としての組織原則を完全に否定した変化である。それは、正に、日本共産党が、革命の前衛党として纏ってきたきた旧い鎧を脱ぎ去ることを意味している。このフロントからセンターへの前進的変化こそ、今、日本共産党に求められている。共産党という党名に対する忌避感の払拭する肝ともいえる自己改革である。是非ともに、できるだけ早い時期に実現されることを願って結びとする。


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2023/04/23

民主統一制の新基準

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録する。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

「民主統一制」と新しい7つの基準

 広報の目的は、民主統一制への移行を宣伝することです。その目標は、《我が党が厳めしい革命政党から、共同社会を目指して共に戦う仲間に名実ともに脱皮した》ことを理解・納得してもらうことです。


 民主統一制の7つの基準は、次の通りです。
  1. 党の大会決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2. 大会決定を実践する方針も、民主的な議論をつくし多数決で決める。
  3. 全党は、方針等を実現する特定の政治行動では行動を統一する。
  4. すべての指導機関は、投票による民主的な選挙によって選出される。
  5. 党員には、党の諸問題を討論する集団をつくり、参加する自由がある。
  6. 党内に、私利私欲の実現を目的とした派閥はつくらない。
  7. 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 この7つの基準こそ、民主集中制を時代に合わせて発展させた民主統一制の概念を具体化したものです。

 ですが、「どこがどう変わって、革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てたのかを俄かに理解するのは難しい」との声が寄せられています。そこで、情報発信を容易にするプレスリリース及び広報冊子を作成し、それを基にしたマスメディア宣伝を展開すると共にSNSを活用した広報活動を展開します。また、しかるべき小冊子も作成して党員の伝える活動をフォローします。

 プレスリリースは、民主統一制の移行によって起きた四つの変化について、「そうなんだ。よーく分かった」と理解と納得を得る伝え方をサポートするに十分なサンプルとなるでしょう。また、党の広報部門に《四つの変化を広報する専属チーム》を配置して、党外の反応を集約し、広報のあり方で改善すべき点があれば素早く共有するできる体制作りを進めていきます。

 「そうなんだ。よーく分かった」は、四つの変化を人々に情報として伝えるに留まらず、人々の既存の知識との矛盾を乗り越えて、いわば脳の記憶領域から納得領域にまで届けるということです。マスメディア宣伝やSNSを活用した広報活動は、もっぱら国民の脳の記憶領域に届ける活動です。その情報を、納得領域にまで届けるのが三つ目の柱です。この記憶領域から納得領域へという二つの活動の結合が、我が党の基本的な広報戦略です。

 この我が党の広報戦略の正否を決めるのは、正に、党員一人ひとりの国民との対話活動のみです。党員一人ひとりの奮起を期待しています。

結び

 「共産党という党名に対する忌避感の払拭」というテーマのために、「『民主統一制』と新しい7つの基準」と題する章は、実に説教臭い退屈なものとなった。そういう意味では、宣伝マンとしては失格だ。少し反省しつつ、次へ。


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党名変更に勝る改革


はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 2」のテーマは、共産党という党名に対する忌避感の払拭。一気読みするには長文過ぎたので、次の四部に分けて再録します。

  1. 民主統一制への移行
  2. 民主統一制の新基準
  3. 四つの変化を伝える
  4. 対米従属的反共攻撃

党名変更に勝る民主統一制への移行

 幹部会を代表して、「我が党が再び躍進する時代を拓くために」打ち出した《怖い革命政党という印象を払拭するための施策》について報告します。幹部会が決めた施策について述べる前に、この件に関する前大会までの論議を振り返ってみます。

 一つ目の怖い革命政党という印象の払拭という課題を達成するもっともインパクトある策は、党名の変更です。日本共産党から日本共同党への改名がもっとも有力視されています。しかし、党名変更と言う策は、最悪で悲劇的な結果を招くことになります。我が党に求められているのは、小手先の策ではなくて《革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てること》です。具体的には、「発言の自由と行動の統一」を核とした民主統一制へと移行することで、共同社会を目指すセンターとしての立ち位置を確かにすることが求められています。これが、怖い革命政党という印象を払拭する最善の選択です。

 ここで、「発言の自由と行動の統一」とは、一体、どのようなものかを再確認しておきます。それは、次のように要約されます。

 党員は、大会決定を討議する時も、決定の実行方針を決める時にも、自由に発言することができる。しかし、決定の実行方針を実践する特定の政治行動プロセスでは、すべての党員は、自説への拘りを捨てて行動の統一の旗の下にみんなで決めた方針の実現に最大限尽力しなければならない。また、実践に関する総括及び実行方針の見直しを行う時は、党員には、再び自由に発言することで、更なる方針の発展に寄与することが期待される。発言の自由とは、政策討論集会やSNS及び出版などによって意見を公開する自由を含む

 既に、革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てるという課題は、かかる「発言の自由と行動の統一」を不動の組織原則として確認することで達成されました。そこで、幹部会では、そのことを広報する上での3つの柱を確認しました。

  1. プレスリリースの作成。
  2. SNSを活用した広報。
  3. 国民との広い対話活動。

 「党名変更に勝る民主統一制への移行」を現実にするには、一つには、相手との関係を構築する取組み、二つには、戦略に基づいた情報発信が求められています。次に、広報の3つの柱に基づく活動の要点について述べます。

結び

 「日本共産党が躍進する時代を拓くために」(2)は、既に、日本共産党が民主集中制から民主統一制への移行を完了させたという前提の一文。どういう風に移行したのかは、2023/4/8付けの「規約に関する報告(宮本哲三)」を参照して欲しい。そういう前提のために、共産党という党名に対する忌避感の払拭は、民主統一制の広報活動の問題として語られる。同時に、それは、対米従属的な反共攻撃を打ち破る戦いとして位置付けられることを述べて終わる。自分で言うのもなんだが、「よっしゃ、反共攻撃になんて負けないぞ!」という気にさせる話だ。是非、若い方には、そんな日を迎えて欲しい。そんな思いを呟いて結びとする。


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2023/04/22

24世紀を見据えた綱領

 

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。

  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領

24世紀を見据えた綱領

 以上のような慎重な検討を踏まえ、民主主義革命後については、引き続き資本主義の枠内での漸次的進化の為の諸課題に取組み、社会全体の相転移を目指すこと。相転移で出現したポスト資本主義時代においては、連続的に生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服する具体的な改革に着手することを簡潔に述べるに留めることとしました。生産手段の社会的領有に関する予測的な具体策を述べることはしないで、生産の社会化という表現に留めました。

 民主主義革命が達成された後、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化の取組みが行われます。この資本主義の枠内で改革が蓄積された結果、社会は全体として、自由で平等な共同社会を目指す新しい段階を迎えます。この段階に到達した社会では、生産の社会化という社会主義的な改革が中心課題となります。我が党は、これらの取組みを牽引することで、生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服した搾取も抑圧もない共同社会の建設の先頭に立つ。

 この新しい綱領で、我が党は、暴力革命によってプロレタリア独裁政権を樹立して社会主義国家を建設するというトップダウン型の革命を完全に否定しました。これで、我々が目指すのは、国民各階層と共に歩む社会変革であることが誤解の余地なく明らかになりました。

量から質への転化に確信をもって

 かって、車椅子の物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、日本講演で次のような主旨のことを言っています。

  山を500m登っても、辺りの景色は麓のそれと同じです。1000m地点まで登っても、それに大きな変化は起こりません。やっぱり、見るのは山地帯のそれです。しかし、1500mまで登りきると、景色は一変します。目の前に広がるのは、山地帯とはまったく異なる亜高山帯の植相です。これが、量から質への転化です。漸次的な進化による飛躍、すなわち一歩高いステージへの移行による相転移の出現です。

 「えっ、これからは、社会主義革命は目指さないの!」とガッカリしないで、漸次的進化の過程が引き起こす飛躍と、その後の社会主義的変革を展望した新綱領こそが、社会主義・共産主義に至る確かな道筋を示していることに確信をもって、この綱領を勇気を持って採択しようではありませんか?

 大会が終わったら、新綱領の描く未来を一人でも多くの方に届け、社会主義への強い忌避感を克服する戦いを開始しましょう。

結び

 日本共産党が躍進する時代を拓くために(3)のテーマは、旧ソ連型の社会主義革命とトップダウン型の社会主義建設の誤りと完全に袂を分かった新しい社会主義への道筋を明らかにすること。それにあたっては、スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士が日本講演で語った《量から質への転化の法則》を念頭に、日本共産党の綱領を再点検する形で進めた。その際には、1957年に刊行された「弁証法的論理学試論」のなかで寺沢恒信氏が展開された論を借用した。また、全体に《誰もが抱いているであろう疑問に、誰もが納得できる答えを探す》ことを念頭に、思い付くままに書き留めたものである。

 (2)をアップしした翌日には(3)の草稿が完成している。その3日後には、校正を終了している。僅か数日の思索が生み出した《革命なき社会主義への道》と《生産手段掌握論の再検討》が、日本共産党の綱領に幾ばくかでも反映される日が来ることを願って結びとする。


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2023/04/21

生産手段掌握論の再検討



はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。
  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領
生産手段掌握論の再検討

 次に、2023年綱領の二つ目の問題点である、生産手段の社会化に関して報告します。

 ここまでで、党員諸氏は、社会主義的変革が主要課題となるステージが出現するのは早くても24世紀になるだろうと予想されたと思います。まったく、その通りです。民主連合政府が樹立されるのは早くても23世紀、そして、市場経済を維持しつつ漸次的な改革に取り組んで社会全体に相転移が起こるのが24世紀初頭から半ば。今から200年~250年先の遠い未来です。

2023年綱領と生産手段の社会的領有

  2023年綱領では、社会主義的変革の中心である《生産手段の社会的領有》について次のように記述しています。
 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。(2023年綱領)
 さて、日本郵政やJR、NTT、電力各社はサービス業ですから、主要な生産手段とは言えません。だとすれば、仮に、トヨタ自動車株式会社が24世紀まで存続していたら、同社は、主要な生産手段の筆頭になります。では、複合企業として発達した世界に冠たるトヨタグループ全体の所有・管理・運営を、具体的には、誰がどのように担当するのでしょうか?高度に発達した生産管理ノウハウと生産技術を当たり前のように実践・駆使している同社の工場を、誰がどのように管理するのでしょうか?2023年綱領に、そのはっきりした答えを見い出すことはできません。
 「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。(2023年綱領)
と、戒めの言葉はありますが、具体的に所有権・管理権・運営権を誰の手に移すのかは、示唆すらされていません。フランス政府がルノーの筆頭株式であるスタイルをもって、所有・管理・運営を社会の手に移すとするのは、多少の無理があります。それじゃー、国による企業のMergers(合併) and Acquisitions(買収)による旧ソ連のトップダウン型の社会主義の復活に繋がりかねません。

旧い生産手段掌握論からの脱却

 このように考えると、24世紀を展望した場合には、「生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を止揚するには、生産手段の所有権・管理権・運営権を資本家から剥奪しプロレタリアートが握るべきだ」という伝統的な考えを大胆に見直す必要があります。もっと、はっきり言えば、《プロレタリアートが、生産手段を掌握するスタイルを生産の社会化とする考え》を捨てる時が来たということです。そういう方向で、先の《誰が問題》は解決されるべきです。以上のような討論を踏まえて、幹部会は、社会主義的な変革の中心課題を《生産の社会化》とすることにしました。

 そもそも社会主義革命とは、生産と取得が対立した資本主義的な秩序を壊して、生産と取得を一歩高い次元で統一した社会主義的な秩序に移行させることです。当然のことながら、一歩高い次元で統一するやり方、生産手段の社会的領有のスタイルは、資本主義の発展段階によって異なります。24世紀には、24世紀のやり方があるということです。生産の社会化を社会主義的変革の中心課題としたことは、この我が党の考えをはっきりと表明するものです。

未来のトヨタ自動車と生産の社会化

 未来のトヨタ自動車グループの経営に携わる者は、先ず第一に、同社の生産性を高め、高い利益をもたらすことを求められます。同時に、社会的な存在としての役目を果たすことも求められます。そこにおいては、日本経済や地球環境との調和を図るという高い経営判断が含まれます。そして、その任に当たるのは、共同体の神ではなくて人である点が重要なポイントです。担当者は、社会の発展段階がもたらす制約を前にして、様々な試行錯誤を余儀なくされる筈です。このことは、まったく想像に難くありません。

 このことを考えると、生産の社会化(生産手段の社会的領有)は、短期間に実現されるものではなく、相当の期間を要する漸次的な進化のプロセスとなるのは明らかです。もちろん、100年、200年を要するプロセスだとしても、人類史という視点から俯瞰すれば、それは極めて短期間に起きる革命的な進化と言えます。

トップダウン型と対極の社会主義への道

 幹部会としては、未来のトヨタ自動車グループは、24世紀の政府との連携を深めて、同社の社会的領有を実現していくという見通しを持っています。言うなれば、社会全体に共同管理を意識した変革、つまり、共同社会を目指して政府・企業及び個人が歩調を揃えて社会主義的改革に取組むことが現実に始まるという見通しです。このことが、社会全体の相転移によって出現するポスト資本主義社会の特徴だと考えています。これは、正しく、トップダウン型の旧ソ連とは対極にある社会主義への道です。

 一言付け加えておけば、幹部会は、《24世紀における生産手段の社会的領有のスタイルは、1800年代に書かれた文献から完全に自由である》ということも宣言しておきます。

結び

 生産手段掌握論の再検討は、まったく未完成に終わった。というのは、生産手段を社会化していく改革の主体は、国家なのかトヨタ自動車なのかが、まったく曖昧なのである。この曖昧さを完全に追放するには、24世紀の政府の立場を明確にすることが必要である。社会主義を目指す政府は、生産手段の社会化の主体者なのか、あるいは補助者なのか?このことを、はっきりさせる必要がある。もちろん、政府自体が、共同社会実現のために様々な政策を実行するのは当然である。しかし、そのことと生産手段の社会化にどのような立場で関与するのかは、まったく別の問題である。

 歴史の教訓は、生産手段を社会化していく主体者は政府ではないことを教えている。旧ソ連の失敗、中国の問題点から下向的な分析的検討を続けるならば、我々は、一つのシンプルな真理に辿り着く。それは、「政府は、企業を吸収してはいけない」ということだ。この真理は、「企業が、政府を吸収するべきだ」ということと同義。24世紀の社会主義的な政権には、「企業が、政府を吸収するべきだ」を実際の状況に応じて具体化した政策を実行することが求められる。この社会全体の相転移によって生産手段の社会化を実現していくスタンスに立ってこそ、社会主義的な政権は、真に生産の社会化の主体者になっていく。

 生産手段掌握論の再検討においては、《企業が、政府を吸収する》という考えを明確には述べていない。つまり、まったく曖昧なままに終わっている。こういう問題点を残しつつ、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」という文言を綱領から追放したのが新綱領である。ゆえに、新綱領の生産の社会化に関する部分は、更に検討されることが求められる。

 結びを書き終えた今は、「《政府が、企業を吸収する》から《企業が、政府を吸収する》への180度の転換こそが、生産手段掌握論の再検討の肝である」と思っている。この転換をもって《誰が問題》が解決されることを予告して結びとする。

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2023/04/20

革命なき社会主義への道

はじめに

 「(日本共産党が)躍進する時代を拓くために 3」)が長文過ぎたので一部、二部、三部に分けて再録します。

  1. 革命なき社会主義への道
  2. 生産手段掌握論の再検討
  3. 24世紀を見据えた綱領

革命なき社会主義への道

 2023年に採択された日本共産党の綱領は、不破哲三氏や志位和夫氏らが中心となって日本における社会主義への道を探求してきた画期的な到達点を示しています。しかし、それはなお、生産の社会化が主たるテーマになる段階に関する幾つかの認識で不明瞭な点があります。別の言い方をすれば、2023年綱領は、なお旧い社会主義革命論の影響下にあります。今大会の任務は、この問題点を正し、24世紀を見据えた新しい綱領路線を採択することです。

2023年綱領の到達点

 まず、2023年綱領の到達点を確認しておきます。それは、当面する民主主義革命を、次のように定めています。

 現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。

 また、当時の綱領は、民主主義革命が達成された次の段階について、次のように規定しています。

 日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる

  続いて、社会主義をめざす権力について、次のように述べています。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。

 2023年綱領に至るまでの綱領路線の変遷は、ウイキペディアが簡潔にまとめています。

 戦後の日本共産党は、日本の現状を、アメリカ帝国主義と日本独占資本に支配されていると規定し、この両者の支配を打ち破る人民の民主主義革命をおこない、それから連続的に社会主義革命へと至るという二段階革命論をとった。しかし日本共産党は、徐々に「人民の民主主義革命」と「社会主義革命」の連続性を強調しなくなり、ついには「民主主義革命」と「社会主義革命」は完全に分離された。(ウイキペディア)

 2023年綱領が画期的であるのは、「『民主主義革命』と『社会主義革命』を分離した」ことです。

2023年綱領の問題点

 さて、今大会決定の草案で「なお、2023年綱領は、旧い社会主義革命論の影響下にある」として問題にした一つは、「民主主義革命が達成された次の段階では、果たして、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が課題となるのか?」という点です。言い換えれば、我々は、「いくつかの移行の段階をとおって、社会主義的な変革が課題になるのではないのか?」という漠とした考えを持っていました。この疑問に対する明瞭な答えを見つけるのが、私らに課せられた宿題でした。

 ある党員から、この疑問を解く有力なヒントが寄せられていたので紹介します。

 民主主義革命が達成された後の我々の次なる任務は、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化を牽引することだ。このポスト資本主義革命とも言うべき漸次的進化は、必ずや、社会全体の相転移をもたらす。この社会全体を一歩高い次元に移行させる飛躍によってこそ、社会主義的変革が主要課題となる次なるステージ(ポスト資本主義の時代)が出現する。

 ポスト資本主義の時代では、何年かの時間を要する過程をとおり、一歩一歩と社会主義の時代に接近していく。我々が目指す社会主義革命は、幾つかの段階をとおって行われるもので、ロシア革命のように「決定的打撃の単一の行為」によって行われるものではない。そのことを知る我々は、断固として、いわゆる社会主義革命という形態による変革そのものを拒否する。

(飛躍の二つの形態 「弁証法的論理学試論」参照 寺沢恒信著)

  

 幹部会は、「民主主義革命と社会主義変革との間に連続性はなく、独立・民主・平和の日本を実現する民主主義革命が達成された後も、引き続き資本主義の枠内での改革がテーマとなる。このポスト資本主義革命では、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく改革が追及される。この漸次的進化は、やがて社会全体の相転移をもたらす。こうして、社会は、ポスト資本主義の段階を迎える。このポスト資本主義社会において初めて社会主義的な変革がテーマになる」とする提言が、まったく正しいということで意見が一致しました。

 また、幹部会は、「我々が目指す社会主義革命は、幾つかの段階をとおって行われる」と、我々が目指すべき革命の形態が「飛躍が、単一の行為で行われる第一の形態ではなく、一定の過程を経て行われる第二の形態である」ことを明確にしたことは、画期的な前進であることを確認しました。

むすび

 「革命なき社会主義への道」のタイトルを付した章では、主に二つのアプローチによって日本共産党が目指すべき社会主義革命に言及している。一つは、量的変化と質的変化を区別していることである。市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく取組みは、「量的変化であるゆえに漸次的で、比較的ゆっくりおこる」ので、ポスト資本主義を目指す漸次的進化の過程と規定。一方、(量的変化の蓄積の結果としての)「質的変化は、飛躍であるから、比較的に急激におこる」ので《社会全体の相転移》と表現し、結果として出現する一歩次元の高い社会を《ポスト資本主義社会》と定義した。

 二つは、「質的な変化が飛躍であり、飛躍は急激におこなわれる、ということを、あまりにも狭く解釈し過ぎる」誤りに対して、飛躍には二つの形態があるという観点からの批判である。その目的は、高度に発達した資本主義国にあって、決定的な打撃としての社会主義革命を目指す極左的な誤りを退け、ポスト資本主義の時代にあっても、社会主義的な変革という量的変化を蓄積し「一歩一歩と社会主義の時代に接近していく」ことが真の社会主義革命であることを明らかすることである。何十年という年月を要しようとも、人類史という視点から見れば、これもまた極めて短期間に達成される革命である。

 このことをもって、私は、2023年綱領を確かなフローチャートとして完成させる方向性を示したつもりである。それは、旧い生産手段の社会化論を乗り越えることで完成する。もちろん、僅か数日の思索の結果でしかない論は、更に厳しい検討が求められるのは当然のことである。仮に、そのような討論を呼び起こせば、願ったり叶ったりである。


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2023/04/17

躍進する時代を拓くために 3


はじめに

 日本共産党の歴史的な退潮の3大原因の2つ目である国民各階層に根強く定着している「社会主義への強い忌避感」の克服は、共産党にとって浮沈をかけた課題である。克服する策の一つは、資本主義に対する社会主義の優位性を訴え続けること。二つ目の策は、共産党が公式に(旧ソ連型の)社会主義革命と社会主義建設の放棄と否定を内外に宣言すること。本稿では、二つ目の策に従うことで、日本共産党が躍進する時代を拓く道を探る。例によって、未来の党首である宮本哲三氏に敬体(ですます調)で語ってもらう。

 なお、本稿のはっきりとした目的は、(1)現綱領に内在するフローチャートとしての不備を正し、(2)もって、現綱領を、各種のマルクス主義破綻論を乗り越えて前へ進む指針として更に進化させることにある。

24世紀を見据えた綱領路線(宮本哲三)

 2023年に採択された日本共産党の綱領は、不破哲三氏や志位和夫氏らが中心となって日本における社会主義への道を探求してきた画期的な到達点を示しています。しかし、それはなお、生産の社会化が主たるテーマになる段階に関する幾つかの認識で不明瞭な点があります。別の言い方をすれば、2023年綱領は、なお旧い社会主義革命論の影響下にあります。今大会の任務は、この問題点を正し、24世紀を見据えた新しい綱領路線を採択することです。

2023年綱領の到達点

 まず、2023年綱領の到達点を確認しておきます。それは、当面する民主主義革命を、次のように定めています。

 現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。

 また、当時の綱領は、民主主義革命が達成された次の段階について、次のように規定しています。
 日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。

  続いて、社会主義をめざす権力について、次のように述べています。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。

 2023年綱領に至るまでの綱領路線の変遷は、ウイキペディアが簡潔にまとめています。

 戦後の日本共産党は、日本の現状を、アメリカ帝国主義と日本独占資本に支配されていると規定し、この両者の支配を打ち破る人民の民主主義革命をおこない、それから連続的に社会主義革命へと至るという二段階革命論をとった。しかし日本共産党は、徐々に「人民の民主主義革命」と「社会主義革命」の連続性を強調しなくなり、ついには「民主主義革命」と「社会主義革命」は完全に分離された。(ウイキペディア)

 2023年綱領が画期的であるのは、「『民主主義革命』と『社会主義革命』を分離した」ことです。

2023年綱領の問題点

 さて、今大会決定の草案で「なお、2023年綱領は、旧い社会主義革命論の影響下にある」として問題にした一つは、「民主主義革命が達成された次の段階では、果たして、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が課題となるのか?」という点です。言い換えれば、我々は、「いくつかの移行の段階をとおって、社会主義的な変革が課題になるのではないのか?」という漠とした考えを持っていました。この疑問に対する明瞭な答えを見つけるのが、私らに課せられた宿題でした。

 ある党員から、この疑問を解く有力なヒントが寄せられていたので紹介します。

 民主主義革命が達成された後の我々の次なる任務は、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化を牽引することだ。このポスト資本主義革命とも言うべき漸次的進化は、必ずや、社会全体の相転移をもたらす。この社会全体を一歩高い次元に移行させる飛躍によってこそ、社会主義的変革が主要課題となる次なるステージ(ポスト資本主義の時代)が出現する。

 ポスト資本主義の時代では、何年かの時間を要する過程をとおり、一歩一歩と社会主義の時代に接近していく。我々が目指す社会主義革命は幾つかの段階をとおって行われるもので、ロシア革命のように「決定的打撃の単一の行為」によって行われるものではない。そのことを知る我々は、断固として、いわゆる社会主義革命という形態による変革そのものを拒否する。

(飛躍の二つの形態 「弁証法的論理学試論」参照 寺沢恒信著)

 

 幹部会は、「民主主義革命と社会主義変革との間に連続性はなく、独立・民主・平和の日本を実現する民主主義革命が達成された後も、引き続き資本主義の枠内での改革がテーマとなる。このポスト資本主義革命では、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく改革が追及される。この漸次的進化は、やがて社会全体の相転移をもたらす。こうして、社会は、ポスト資本主義の段階を迎える。このポスト資本主義社会において初めて社会主義的な変革がテーマになる」とする提言が、まったく正しいということで意見が一致しました。

 また、幹部会は、我々が目指す社会主義革命は幾つかの段階をとおって行われる」と、我々が目指すべき革命の形態が「飛躍が、単一の行為で行われる第一の形態ではなく、一定の過程を経て行われる第二の形態である」ことを明確にしたことは、画期的な前進であることを確認しました。

24世紀における生産の社会化について

 次に、2023年綱領の二つ目の問題点である、生産手段の社会化に関して報告します。

 ここまでで、党員諸氏は、社会主義的変革が主要課題となるステージが出現するのは早くても24世紀になるだろうと予想されたと思います。まったく、その通りです。民主連合政府が樹立されるのは早くても23世紀、そして、市場経済を維持しつつ漸次的な改革に取り組んで社会全体に相転移が起こるのが24世紀初頭から半ば。今から200年~250年先の遠い未来です。

    2023年綱領では、社会主義的変革の中心である《生産手段の社会的領有》について次のように記述しています。

 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。(2023年綱領)

 さて、日本郵政やJR、NTT、電力各社はサービス業ですから、主要な生産手段とは言えません。だとすれば、仮に、トヨタ自動車株式会社が24世紀まで存続していたら、同社は、主要な生産手段の筆頭になります。では、複合企業として発達した世界に冠たるトヨタグループ全体の所有・管理・運営を、具体的には、誰がどのように担当するのでしょうか?高度に発達した生産管理ノウハウと生産技術を当たり前のように実践・駆使している同社の工場を、誰がどのように管理するのでしょうか?2023年綱領に、そのはっきりした答えを見い出すことはできません。

 「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。(2023年綱領)

と、戒めの言葉はありますが、具体的に所有権・管理権・運営権を誰の手に移すのかは、示唆すらされていません。フランス政府がルノーの筆頭株式であるスタイルをもって、所有・管理・運営を社会の手に移すとするのは、多少の無理があります。それじゃー、国による企業のMergers(合併) and Acquisitions(買収)による旧ソ連のトップダウン型の社会主義の復活に繋がりかねません。

 このように考えると、24世紀を展望した場合には、「生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を止揚するには、生産手段の所有権・管理権・運営権を資本家から剥奪しプロレタリアートが握るべきだ」という伝統的な考えを大胆に見直す必要があります。もっと、はっきり言えば、《プロレタリアートが、生産手段を掌握するスタイルを生産の社会化とする考えを捨てる時が来た》ということです。そういう方向で、先の《誰が問題》は解決されるべきです。以上のような討論を踏まえて、幹部会は、社会主義的な変革の中心課題を《生産の社会化》とすることにしました。

 そもそも社会主義革命とは、生産と取得が対立した資本主義的な秩序を壊して、生産と取得を一歩高い次元で統一した社会主義的な秩序に移行させることです。当然のことながら、一歩高い次元で統一するやり方、生産手段の社会的領有のスタイルは、資本主義の発展段階によって異なります。24世紀には、24世紀のやり方があるということです。生産の社会化を社会主義的変革の中心課題としたことは、この我が党の考えをはっきりと表明するものです。

 未来のトヨタ自動車グループの経営に携わる者は、先ず第一に、同社の生産性を高め、高い利益をもたらすことを求められます。同時に、社会的な存在としての役目を果たすことも求められます。そこにおいては、日本経済や地球環境との調和を図るという高い経営判断が含まれます。そして、その任に当たるのは、共同体の神ではなくて人である点が重要なポイントです。担当者は、社会の発展段階がもたらす制約を前にして、様々な試行錯誤を余儀なくされる筈です。このことは、まったく想像に難くありません。

 このことを考えると、生産の社会化(生産手段の社会的領有)は、短期間に実現されるものではなく、相当の期間を要する漸次的な進化のプロセスとなるのは明らかです。もちろん、100年、200年を要するプロセスだとしても、人類史という視点から俯瞰すれば、それは極めて短期間に起きる革命的な進化と言えます。

 幹部会としては、未来のトヨタ自動車グループは、24世紀の政府との連携を深めて、同社の社会的領有を実現していくという見通しを持っています。言うなれば、社会全体に共同社会を目指して政府・企業及び個人が歩調を揃えて社会主義的改革に取組むことが現実に始まるという見通しです。このことが、社会全体の相転移によって出現するポスト資本主義社会の特徴だと考えています。これは、正しく、トップダウン型の旧ソ連とは対極にある社会主義への道です。

 一言付け加えておけば、幹部会は、《24世紀における生産手段の社会的領有のスタイルは、1800年代に書かれた文献から完全に自由である》ということも宣言しておきます。

新しい綱領での未来社会の記述

 以上のような慎重な検討を踏まえ、民主主義革命後については、引き続き資本主義の枠内での漸次的進化の為の諸課題に取組み、社会全体の相転移を目指すこと。相転移で出現したポスト資本主義時代においては、連続的に生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服する具体的な改革に着手することを簡潔に述べるに留めることとしました。生産手段の社会的領有に関する予測的な具体策を述べることはしないで、生産の社会化という表現に留めました。

 民主主義革命が達成された後、市場経済を維持しつつ、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やしていく漸次的進化の取組みが行われます。この資本主義の枠内で改革が蓄積された結果、社会は全体として、自由で平等な共同社会を目指す新しい段階を迎えます。この段階に到達した社会では、生産の社会化という社会主義的な改革が中心課題となります。我が党は、これらの取組みを牽引することで、生産の社会化と取得の私的・資本家的矛盾を克服した搾取も抑圧もない共同社会の建設の先頭に立つ。

 この新しい綱領で、我が党は、暴力革命によってプロレタリア独裁政権を樹立して社会主義国家を建設するというトップダウン型の革命を完全に否定しました。これで、我々が目指すのは、国民各階層と共に歩む社会変革であることが誤解の余地なく明らかになりました。

 かって、車椅子の物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、日本講演で次のような主旨のことを言っています。

  山を500m登っても、辺りの景色は麓のそれと同じです。1000m地点まで登っても、それに大きな変化は起こりません。やっぱり、見るのは山地帯のそれです。しかし、1500mまで登りきると、景色は一変します。目の前に広がるのは、山地帯とはまったく異なる亜高山帯の植相です。これが、量から質への転化です。漸次的な進化による飛躍、すなわち一歩高いステージへの移行による相転移の出現です。

 「えっ、これからは、社会主義革命は目指さないの!」とガッカリしないで、漸次的進化の過程が引き起こす飛躍と、その後の連続的な社会主義的変革を展望した新綱領こそが、社会主義・共産主義に至る確かな道筋を示していることに確信をもって、この綱領を勇気を持って採択しようではありませんか?

 大会が終わったら、新綱領の描く未来を一人でも多くの方に届け、社会主義への強い忌避感を克服する戦いを開始しましょう。

 次は、休憩をはさんで、三つ目の、《悪夢の民主党政権がもたらした負の遺産》を清算するための《政権を担当する能力の獲得》の問題について報告します。

結び

 この未来の党首である宮本哲三氏の大会報告を、当然に、「マルクス主義と日本共産党綱領の否定だ」とする見解もありえる。しかし、極めて現実的な綱領路線への転換として歓迎する向きもある筈だ。後者の人々にとっては、この新綱領は、国民各階層に根強く定着している「社会主義への強い忌避感」を克服する最高の武器となる。そうなれば、喜ばしい限りである。日本共産党の綱領に本稿の提言が反映されればだが・・・。「なーんとか、そういう道が拓けないだろうか」と夢想する昨日今日である。


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2023/04/18 漸次的進化過程とと社会主義変革との関連性を明確化
2023/04/18 ジョイント・マネージメント型の社会主義革命という概念を明確化
2023/04/18 ホーキング博士の講演要旨(意訳)を追加
2023/04/18 序文に「本稿のもう一つの目的」を追加
2023/04/18 民主主義革命から社会主義への過程を図式化
2023/04/19 漸次的進化による飛躍は移行の段階を経ることを明記
2023/04/20 社会主義的変革の中心課題を変更 生産手段の社会化⇒生産の社会化
2023/04/21 ポスト資本主義以前と以後の改革の質の違いを明確化
2023/04/21 飛躍の第一形態と第二形態との文言を追加

2023/04/15

躍進する時代を拓くために 2

はじめに

 本稿のテーマは、日本共産党の歴史的な3大退潮原因の1である《党名に対する強い忌避感の存在》を突き崩すための策《怖い革命政党という印象の払拭》について論じることである。できるだけ、もっともらしさで装飾するために、例によって未来の党首である宮本哲三氏に語ってもらうことにする。

党名変更に勝る民主統一制への移行

 幹部会を代表して、「我が党が再び躍進する時代を拓くために」打ち出した《怖い革命政党という印象を払拭するための施策》について報告します。幹部会が決めた施策について述べる前に、この件に関する前大会までの論議を振り返ってみます。

 一つ目の怖い革命政党という印象の払拭という課題を達成するもっともインパクトある策は、党名の変更です。日本共産党から日本共同党への改名がもっとも有力視されています。しかし、党名変更と言う策は、最悪で悲劇的な結果を招くことになります。我が党に求められているのは、小手先の策ではなくて《革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てること》です。具体的には、「発言の自由と行動の統一」を核とした民主統一制へと移行することで、共同社会を目指すセンターとしての立ち位置を確かにすることが求められています。これが、怖い革命政党という印象を払拭する最善の選択です。

 ここで、「発言の自由と行動の統一」とは、一体、どのようなものかを再確認しておきます。それは、次のように要約されます。

 党員は、大会決定を討議する時も、決定の実行方針を決める時にも、自由に発言することができる。しかし、決定の実行方針を実践する特定の政治行動プロセスでは、すべての党員は、自説への拘りを捨てて行動の統一の旗の下にみんなで決めた方針の実現に最大限尽力しなければならない。また、実践に関する総括及び実行方針の見直しを行う時は、党員には、再び自由に発言することで、更なる方針の発展に寄与することが期待される。発言の自由とは、政策討論集会やSNS及び出版などによって意見を公開する自由を含む。

 既に、革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てるという課題は、かかる「発言の自由と行動の統一」を不動の組織原則として確認することで達成されました。そこで、幹部会では、そのことを広報する上での3つ柱を確認しました。広報とは、さまざまな相手との関係を構築し、戦略のもとで情報を発信する活動です。(https://prtimes.jp/magazine/mission/)

  1. プレスリリースの作成。
  2. SNSを活用した広報。
  3. 国民との広い対話活動。

 「党名変更に勝る民主統一制への移行」を現実にするには、一つには、相手との関係を構築する取組み、二つには、戦略に基づいた情報発信が求められています。次に、広報の3つの柱に基づく活動の要点について述べます。

    「民主統一制」と新しい7つの基準

     広報の目的は、民主統一制への移行を宣伝することです。その目標は、《我が党が厳めしい革命政党から、共同社会を目指して共に戦う仲間に名実ともに脱皮した》ことを理解・納得してもらうことです。

     民主統一制の7つの基準は、次の通りです。

    1. 党の大会決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
    2. 大会決定を実践する方針も、民主的な議論をつくし多数決で決める。
    3. 全党は、方針等を実現する特定の政治行動では行動を統一する。
    4. すべての指導機関は、投票による民主的な選挙によって選出される。
    5. 党員には、党の諸問題を討論する集団をつくり、参加する自由がある。
    6. 党内に、私利私欲の実現を目的とした派閥はつくらない。
    7. 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

     この7つの基準こそ、民主集中制を時代に合わせて発展させた民主統一制の概念を具体化したものです。

     ですが、「どこがどう変わって、革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てたのかを俄かに理解するのは難しい」との声が寄せられています。そこで、情報発信を容易にするプレスリリース及び広報冊子を作成し、それを基にしたマスメディア宣伝を展開すると共にSNSを活用した広報活動を展開します。また、しかるべき小冊子も作成して党員の伝える活動をフォローします。

     プレスリリースは、民主統一制の移行によって起きた四つの変化について、「そうなんだ。よーく分かった」と理解と納得を得る伝え方をサポートするに十分なサンプルとなるでしょう。また、党の広報部門に《四つの変化を広報する専属チーム》を配置して、党外の反応を集約し、広報のあり方で改善すべき点があれば素早く共有するできる体制作りを進めていきます。

     「そうなんだ。よーく分かった」は、四つの変化を人々に情報として伝えるに留まらず、人々の既存の知識との矛盾を乗り越えて、いわば脳の記憶領域から納得領域にまで届けるということです。マスメディア宣伝やSNSを活用した広報活動は、もっぱら国民の脳の記憶領域に届ける活動です。その情報を、納得領域にまで届けるのが三つ目の柱です。この記憶領域から納得領域へというのが、我が党の基本的な広報戦略です。

     この我が党の広報戦略の正否を決めるのは、正に、党員一人ひとりの国民との対話活動のみです。党員一人ひとりの奮起を期待しています。

    四つの変化を社会に広く伝える意義

     民主統一制の移行がもたらした変化については、規約改正に関する報告(2023/04/08)で明らかにした通りです。先に述べたように、幹部会は、それを、四つの変化として広報することを確認しました。

    1. 党員は、選挙期間中に公約と矛盾した言動を自粛する以外は、党綱領や大会決定について自由に論議し批判することできるようになったこと。行動の統一を求められる特別な場合を除いて、普段は、綱領や大会決定と矛盾した発言をすることは、発言の自由であって、決して反党行為として非難されることのない民主統一制へと移行したこと。
    2. すべての指導機関が投票による選挙で選ばれるようになったこと。信任投票や拍手によって指導機関が選ばれるという旧い慣習は完全に過去のものとなったこと。
    3. 党員が、討論を目的とした集団に参加して様々に論議を交わせるようになったこと。複数名の党員が支部の垣根を越えて、XXX研究会などの集団をつくり、集団としての意見を外に向かって公表する自由があること。もって、多様性を尊重し合い、違いに寛容な党として名実ともに新しいスタートを切ったこと。
    4. 分派の禁止を、私利私欲の実現を目的とした派閥の禁止に限定し、党員によるグループの結成が許される新時代がスタートしたこと。

     この4つの変化は、我が党がきっぱりとスターリン時代の負の遺産である集権集中制と袂を分かったことを疑いの余地なく示しています。この変化こそが、ポスト資本主義の新しい社会を目指す国民各階層のセンター、自由で平等な共同社会を目指すという取組みの中心という我が党の立ち位置を揺ぎないものにします。この点こそが、四つの変化を、マスメディア、統一戦線の仲間及び国民の皆さんに伝える意義です。

     幹部会が決定した民主統一制への移行を広報する3つのポイントに沿った活動を通じて、党も党員も「発言の自由と行動の統一」という新しい組織原則に基づいた民主統一制の諸基準を自らの血と肉にできるでしょう。皆さんの大いなる奮闘に期待します。

    対米従属的な反共主義と戦ってこそ

     最後に、怖い革命政党という印象を払拭する取り組みは、一朝一夕に達成されるものではなくて期間を要する取組みであることに触れておきます。それは、正しく、対米従属的な反共主義との戦いによってのみ達成されます。

     中国に対する好感度は、世界的にも日本がダントツの最下位で僅かに12%未満にしか過ぎません。これは、中国政府が「国民の自由を尊重していない」という情報に身近に接している隣国ならではの事情によるものです。

     同時に、戦後、我が国が、戦勝国であるアメリカによって「反共の防波堤」として再編されたことが、「日本の政界に、侵略戦争への無反省という他国に例のない性格を刻む」ことになりました。このことが、今日の歴史修正主義の土壌を育くみました。これは、中国や韓国における反日運動もあいまって、居直りの嫌中・露・嫌韓意識」として自民党右派の岩盤支持層を中心に強く定着し、いわゆる安倍派や(より右寄りでタカ派といわれる)維新の会を勢いづかせるエネルギー源になっています。

     以上のような状況を直視すると、我が党に対する謂れのないイメージを払拭する取組みは、国際勝共連合(統一教会)と結託して進歩勢力を激しく攻撃してきた自民党右派に代表される対米従属的な反共主義勢力との真っ向勝負の戦いです。ゆえに、それは相当の期間を要する取組みになります。小冊子を配布して終わりではないことは明らかです。ですが、そういう取組みによって引き起こされる一つひとつの変化の量的な蓄積こそが国民意識に相転移を引き起こすという弁証法に確信を持って不屈の精神で取り組んでいこうではありませんか。

     次は、休憩をはさんで、二つ目の、《社会主義への強い忌避感》を払拭するための《社会主義的政権構想の放棄》の問題について報告します。

    結び

     《発言の自由と行動の統一》についての詳細は「発言の自由と行動の統一」(2023年3月28日)を、《民主統一制の7つの基準》についての詳細は「規約改正に関する報告(宮本哲三)」を参照してもらえば有難い。確かに、本稿で紹介した宮本哲三氏の報告を聞く日を迎えるには、相当の党内論議が尽くされる必要があります。

     でも、日本共産党が、《怖い革命政党という印象を払拭するため》に安直に党名を捨てて空中分解する道を選ぶのか、それとも《発言の自由と行動の統一》という組織原則への復帰を果たし、スターリンの誤りを完全に払拭することで新たな躍進の道に踏み出すのか、二つの道の選択を迫られていることだけは確かです。もちろん、集権集中制の維持に拘って、自然消滅という第三の道もあります。是非、日本共産党が、賢い選択をもって新たなる発展の道に踏み出されんことを願って結びとします。

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    === 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます ===

    2023/04/13

    躍進する時代を拓くために 1

    はじめに

     2023年4月13日付け西日本新聞は、「共産 県議ゼロ5県に衝撃」という見出しで、次のように報じた。

     共産党が、統一地方選前半戦の41道府県議選の結果に衝撃を受けている。改選前99から75に後退、議員ゼロの議会が1県から5県に拡大し、「牙城」とされてきた京都での党勢退潮が鮮明になったためだ。党員減少や高齢化による活動量の低下に加え、党内には除名処分の影響を指摘する声がくすぶる。

     本稿では、日本共産党の歴史的な退潮傾向の原因を解明し、打開の方向性を探る。もって、党が再び躍進する時代を拓くための一助とする。

    歴史的な退潮の3大原因


    5年後、機関紙は25%以上減り、党員も30万人を下回る

     日本共産党の歴史的な退潮の主な原因は、次の2つである。

    原因1:党名に対する強い忌避感の存在

     Japan Forbes の2021年7月7日付けの記事は、ピュー・リサーチ・センターが公表した報告書について次のように伝えている。

    「中国政府が国民の自由を尊重していない」という認識の浸透で「中国の好感度は、先進国で過去最悪水準」で、なかでも「日本は88%が否定的」であった。

     日本共産党という党名は、否応なく日本共産党が中国共産党と同類という認識をもたらしている。そういう中で、中国に否定的な88%の日本国民のかなりの部分が、日本共産党と党名に強い忌避感を抱いていることは想像に難くない。

    原因2:社会主義への強い忌避感の存在

     党名に起因する忌避感を正当化しているのが、ソ連の崩壊と中国における市場経済の導入だ。これは、「ソ連型計画経済よりも資本主義が分け合うパイを大きくする」という認識を多くの人に植え付けた。未だに、ソ連型の計画経済を踏襲している北朝鮮の悲惨な実態とミサイルの連射は、社会主義に対する否定的な認識を更に強固にし、同時に日本人のナショナリズムを刺激している。中国における反日を基軸に据えた愛国教育と覇権主義的な動きは、日本国民の多くに、ナショナリズムを伴った社会主義への強い忌避感を増幅させている。

     ネット上で社会主義建設に関する情報を得ようとすれば、ほぼ100%の確率で次のような答えに辿り着く。インターネットの普及が、社会主義への忌避感を更に更に強固にしているのが、今の日本の偽らざる実情だ。

    Q、ソ連における社会主義建設は、なぜ失敗したのですか?
    A、一つは、計画経済の欠陥です。二つは、一党独裁制によって政策が偏ったことによる失敗です。
    Q、中国は、なぜ市場経済を導入したのですか?
    A、それは、国内の経済発展を促進するためです。

     チャットAIの答えは、インターネットで得られるソ連の失敗と中国の市場経済導入に関する情報が、どんなものであるかを如実に示している。

    原因3:時代の追い風が吹いていない!

     どんなに頑張っても、日本共産党という船の帆が、時代の追い風を受けていないと躍進という軌道に乗るのは難しい。1970年代の躍進も、時代の追い風が吹いたからの結果である。しかし、ソ連の崩壊、中国の官僚主義国家化によって風向きが大きく変わった。特に、北朝鮮による拉致問題、中国の覇権主義的な動きは、反共ナショナリズムを活性化させた。この逆風に抗して躍進する時代を切り拓くのは、至難の一言。だが、仮に、新しい風を掴まえて自らの帆に受けることに成功すれば、再び、日本共産党が躍進軌道に乗ることは可能だ。

    退潮傾向を打開する為の3つの課題

     日本共産党が、歴史的な退潮傾向から抜け出して、再び、国民の支持を獲得して新たな発展と躍進の軌道に乗るには、次の3つの課題を首尾よく達成しなければならない。

    1. 怖い政党という印象の払拭
    2. 旧ソ連型の社会主義の否定
    3. 時代の追い風を帆にはらむ

     ここに挙げた自己変革の課題は、いずれも日本共産党が掲げる綱領路線と矛盾しない形で達成される必要がある。果たして、それは可能なことだろうか?結論を先に述べれば、それはまったく可能であり、かつ必要なことである。

     一つ目の怖い政党という印象の払拭という課題を達成するもっともインパクトある策は、党名の変更である。日本共産党から日本共同党への改名がもっとも有力視される。しかし、党名変更と言う策は、最悪で悲劇的な結果を招くことになる。日本共産党に求められているのは、小手先の策ではなくて《革命的前衛党という厳めしい内なる鎧を脱ぎ捨てること》だ。

     二つ目の旧ソ連型の社会主義の否定という課題は、日本共産党の現綱領においても半ば達成されているが不徹底である。更に、完全な放棄に向けての検討と議論が必要である。

     三つ目の時代の追い風を帆にはらむという課題は、(予想では)日本共産党に対して現綱領の組み立てそのものの根本的な変更を迫ることになる。また、それは、時代の追い風が吹くのを待つことをせずに、新しい風を帆に受けるために必要な将来を賭けての作業である。

    結び

     本稿では、日本共産党が躍進する時代を拓くための3つの課題を列挙して紹介するに留める。各課題に関する詳細な検討は、次回以降のテーマである。


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    === 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます ===

    2023/04/25 歴史的な退潮原因の3つ目を《時代の追い風問題》に訂正。

    2023/04/12

    発言の自由と3つのルール

     


    はじめに

     発言の自由とは、政策討論集会やSNS及び出版などによって意見を公表する自由を含みます。また、党の諸原則を守る限りにおいて、党の方針を批判したり、あるいは方針と矛盾した意見を表明することも自由であるということです。また、そういう意見を掲げての煽動も自由ということです。

     発言の自由が、批判及び煽動の自由を含むのは、意見と批判、批判と煽動の境界が実に曖昧ではっきりしないからです。「批判する自由はあっても、煽動する自由はない」と発言の自由に予め枠を嵌めることは、党が党員の発言の自由を限りなく狭く解釈することに繋がります。我が党は、発言の自由に関して、そういう狭量な態度を取ることはしません。しかし、だからといって「ならば、何でも言ってやろう」が許される訳ではありません。そういった誤った傾向を生まない為に、党規約第3条第5項の運用規則に関して少し説明しておきます。

    無用なトラブルを回避するためのルール

     私から提案するのは、政策討論集会やSNS及び出版などで意見を公表する際に守るべき3つのルールです。これは、党が定める規約ではありません。お互いが、無用なトラブルを回避するための注意点を示した運用規則とも言うべきものです。

    1. 自らの主張を道理に基づいて発信する。
    2. 党員としての原則的な誤りは犯さない。
    3. 関係する組織と人々に十分に配慮する。

     ルール1は、自らの主張に寄与する発信を行うと言う点で当たり前のことです。道理に基づいてとは、《筋が通った意見》ということではなくて、《党員としての品性・品格をわきまえて》ということです。

     ルール2は、どんな発言においても、党員として守るべき諸原則を逸脱することは許されないということです。例えば、選挙期間中に党の公約と矛盾した主張を発信することは、厳しく自重しなければなりません。出版の場合は、このルールの遵守は必ずしも求められません。選挙期間中に党の公約と矛盾したパンフレットを発行し配布するということは、当然に認められません。しかし、綱領や大会決定を批判的に検討した著書を発行することは時を選ばずに許されます。

     ルール3は、配慮の大切さを述べたものです。ルール1と2を守ったら、どんな発信も許されるかというと、そうではありません。我々が意見を表明する場合には、《関係する組織や人々の人格(組織人格と個人人格)に十分に配慮しているか》をチェックすることが求められます。そうすることで、我々は、意見の違いを乗り越えて折り合いを付けることができます。

    成らぬ堪忍するが堪忍

     発言の自由と3つのルールは、規約そのものではありません。それは、文字通り《我々の言動を律する為の約束事》です。ですから、これらのルールを破っても、その党員が規約違反に問われることはありません。このことは、ここではっきりと表明しておきます。

     我々もまた一人の人間です。常に、冷静な心でパソコンのキーボードに向かっている訳ではありません。時には、ヒートアップした状態で意図しないルール違反をすることもあります。そのような時には、「ならぬ堪忍するが堪忍」という対応をするのが我々の姿勢です。でも、「仏の顔も三度撫ずれば腹を立つ」とも言われています。ルール違反を度々と繰り返さないようにしっかりと己を律しましょう。

    むすび

     私は、規約の報告で、規約第3条第5項の意義について次のように述べています。

    (規約第3条第5項)党員には、党の諸問題を討論する集団をつくり、参加する自由がある。

     党規約第3条第5項は、党綱領の批判的検討が、党指導部の専権事項ではないことを全党に示しています。私は、党員諸氏が様々な討議・討論グループを結成し、大いに議論を尽くすことを期待しています。そのことが、我が党の綱領が、全党の英知を結集して更に変化・発展していく原動力になると信じています。

     党員諸氏の英知は、様々な媒体を通じて発信されることで広く共有されます。その共有をスムーズにする潤滑油が、本日紹介した《意見を公表する際に守るべき3つのルール》です。このルールは、我が党が《多様性を認め合い、違いに寛容な党として生まれ変わる》ことを必ずや促進します。党員諸氏におかれましては、「ならぬ堪忍するが堪忍」があちこちで発生しないように、十分に本日紹介したルールを念頭に置いて意見を表明されることを期待しています。


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    === 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます ===

    2023/04/10

    「ポスト資本主義」について

    はじめに

     鈴木元氏は、2022年4月に「ソ連の崩壊、中国の資本主義導入、共産主義運動の低迷という現実をふまえ、マルクス主義の理論を根底から問い直した問題作」というキャッチコピーを持つ著書「ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える」を出版した。

     日本共産党にあって、(近年に限っては)マルクスの幾多の著作を読み下して社会主義への道を探究する作業を担ってきたのは不破哲三氏のみと言い切ってよい。当然に、マルクスを乗り越えるとは、不破哲三氏を乗り越えると同義。そういう事情もあって、鈴木氏は、「不破哲三流の未来社会論・共産主義を根本目標から外すべきところに来ています。・・・資本主義を乗り越える社会を導く方向として、不破流のマルクス解釈だけではなく多様な変革の理論があり得る」と主張。この読者の意識を氏の論に引き付ける仕掛けが、党中央の逆鱗に触れて、鈴木氏が除名される一因にもなった。

     鈴木氏が「不破哲三流の」とか「不破流の」という挑発的な表現を捨てて「未来社会論・共産主義に関する従来の解釈に拘ることなく・・・」、また「共産主義に対する従来の解釈を一旦横において考えることも・・・」などとマイルドに書いていたら、まったく避けられた事態である。

    「マルクスを乗り越える」に関する私的な考察

     ところで、鈴木氏が言うように、日本共産党の未来社会論を目標から外せるのだろうか?それは、100%無理な相談である。党は、目指している目標を綱領に僅か12文字で宣言している。この「搾取も抑圧もない共同社会」という目標は、絶対に外せない。外せば、日本共産党が日本共産党ではなくなる。

     ところで、鈴木氏は、何をもってマルクスを乗り越えると言うのか?ま、まさか、「《生産の社会的性格と取得の私的・資本主義的形態の止揚》と言う資本主義の基本矛盾を正すという目標を捨てろ!」と言うのだろうか?だとしたら、それはとんでもない方向違いである。それじゃー、ほんとうにマルクスを跳び越えて何処かへ行ってしまう。

     ところで、「ポスト資本主義」をよく読めば、鈴木氏の「マルクスを乗り越える」は、そういう意味ではない。単に、(不破氏の生産手段の社会化他の解釈に異を唱えることで)170年前のマルクスの諸文献の解釈から一旦離れて、ポスト資本主義論を探査すべしとするアンチ不破理論の色合いが濃い主張の一つのようだ。鈴木氏は、最終的には「文献解釈から導き出された方針を教条化することなく、自由で平等な共同社会の実現という一致点でポスト資本主義社会を目指そうではないか」と呼びかける。

     かなり乱暴な私流の解釈だが、このように読むこともできる。結局、「マルクスを乗り越える」では、マルクスの文献解釈に軸足をおく傾向の批判はあれど、氏独自の改革理論は完全には姿を現してはいない。「マルクスを乗り越える」は、むしろ「マルクスから一歩後退」に終わっている感さえある。

     それはさておき、不破哲三氏らが追及してきた改革路線は、《日本的構造改革路線を軸とした未来社会論》である。「当面は、資本主義の矛盾を解決する取組みを通じて自由で平等な共同社会を目指そう」と主張する鈴木氏と不破氏との間に、(当面の問題では)決定的な差異は見当たらない。共に、資本主義的な古い質を減らし、共同社会的な新しい質を増やすという漸次的な進化を目指す」という点では、まったく軌を一にしたものである。

     かって、車椅子の物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、日本講演で次のような主旨のことを言った。

      山を500m登っても、辺りの景色は麓のそれと同じです。1000m地点まで登っても、それに大きな変化は起こりません。やっぱり、見るのは山地帯のそれです。しかし、1500mまで登りきると、状況は一変します。目の前に広がるのは、亜高山帯の景色です。これが、量から質への転化です。漸次的な進化による飛躍、すなわち一歩高いステージへの移行による相転移の出現です。

     市場経済を通じて社会主義を目指す日本的構造改革は、ホーキング博士が言った《漸次的な進化による飛躍》を目指すに等しい。ならば、共同社会的な新しい質の蓄積による相転移の結果として、共同社会の建設へと進みだすステージが出現することは不可避である。

     誤りを怖れずに断言すれば、鈴木氏の「ポスト資本主義」における「マルクスを乗り越える」試みは失敗に終わっている。なぜなら、漸次的進化が量から質への転化によって社会全体の相転移をもたらすという弁証法こそマルクス主義の肝である。マルクスを乗り越えるとは、漸次的進化に関する諸問題でマルクスを現代に蘇らせてこそ達成される。特に、社会全体の相転移がもたらす可能性から目を逸らすことは、マルクスを乗り越えるのではなくて否定することを意味する。と、私は思う。

    24世紀に確定する評価を巡っての対立は愚である

     そして、ここからが大事なことだが、日本共産党の未来社会論が正しいかどうかが事実で証明されるのは、早くても300年後ということだ。

     (市場経済を通じて社会主義を目指す変革は)、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程です。人類史の新しい未来をひらく歩みですから、青写真はありません。国民が英知をもって挑戦する創造的な開拓の過程となるでしょう。(日本共産党)

     市場経済を通じて社会主義を目指す変革が始まるのは、早くても200年後の23世紀になる。それまでは、あくまでも資本主義の枠内での改革がテーマである。

    民主主義革命・・・異常な対米従属と
    ↓        大企業・財界の横暴な支配の打破
    民主連合政府の樹立
    民主連合政府・・・民主主義的変革の実行
    民主連合政府・・・資本主義の基本矛盾の止揚
    社会主義・共産主義の社会

     当面する異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破する民主主義革命が成功して民主連合政府の樹立されるのは、どんなに早くても100年後の22世紀。日本共産党の支持率が3%前後に低迷している現実は、当面する民主主義革命が遠い彼方にあることを示している。たとえ首尾よく民主連合政府が樹立されても、国民大多数の支持を得て次に進む盤石の基盤を整える迄には、相当の年月を要するだろう。民主連合政権が、様々な民主主義的な変革を達成して、資本主義社会を乗り越える取組みに着手するのは、更に100年後の23世紀になるだろう。

     資源に乏しい日本の現実を見れば、国民の欲求と生産力との乖離を解消するのは、至難の業である。国民の間に共同社会の規範が定着するのは、更に難しいテーマである。ということは、社会主義・共産主義の社会なんてのは、更に数世紀先の30世紀になるかも知れない。

     当然に、23世紀の取組みにおいては、マルクスや不破哲三氏が述べた一言一句が頼りにされることはない。23世紀においては、200年に及ぶ実践に裏打ちされた幾多の変革理論が集大成された形で応用・実践されているに違いない。それらの変革理論の幾つかは、24世紀には《これが、ポスト資本主義の時代を築く取組みを牽引している理論です》と教科書に載るかも知れない。はっきり言って、西暦2400年に生きる未来人でなければ、資本主義を乗り越える確かな理論は示せない。もちろん、学術的には不可知論を排して《あるべき未来社会への道筋を探求する》ことは、未来を拓く上では必要不可欠なことであるが・・・。

     などなどと考えると、当面する諸課題での行動の統一及び民主主義革命を目指す点で一致している鈴木元氏と不破哲三氏に代表される日本共産党が、マルクスを挟んで、24世紀に評価が確定する論を巡って激しく対立するのは愚でしかない。それも、(当面の問題では)軌を一にした論を掲げて激しく対立するのは愚でしかない。同時に、運動論の色彩が強い「ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える」を(一つの試論と断った上で)出した鈴木元氏を気色ばんで除名するのは、実に大人げない。「不破哲三流の」とか「不破流の」という挑発的な表現については、「ならぬ堪忍するが堪忍」もあったのではないか?面目を潰されたとしての除名は、日本共産党にとって不名誉な事件として記憶される対応である。

    結び

     今や、プロレタリア独裁は、レーニンによるマルクスの曲解として否定された。そして、宮本顕治氏が「日本革命の展望」で夢見た《民主主義革命を連続的に社会主義革命へと発展させる》二段階連続革命論も否定された。目の前に提案されているのは、トップダウン型の社会主義建設ではなくて社会相転移型の社会主義への道である。

     もはや、(ここ200年に限定すれば)構造改革路線と日本共産党の革命路線との違いを見出すのは難しい。そこにあるのは、「日本的構造改革路線は必ずや社会全般の相転移をもたらす」という信念のみである。この信念が全党的に薄れた時、日本共産党は日本共同党へと改名されるかも知れない。24世紀を迎えても、結党500周年という大会が日本のどこかで開催されていればと思う昨今である。


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    === 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます ===

    2023/04/12 「ポスト資本主義」が試論であること強調する記述に訂正
    2023/04/18 「ポスト資本主義」がマルクスを否定した謬論であることを示唆

    2023/04/09

    松竹氏除名問題と親亀子亀

    はじめに

    親亀が揺れたら子亀が転げ落ちた

     本稿では、日本共産党の二つの揺れが松竹伸幸氏除名問題を生んだ背景にあることを明らかにし、党指導部においては《親亀が揺れて子亀が転げ落ちた内なる原因》を十分に解明し、親亀として反省することを強く促すものである。

    第一の揺れ:非武装中立路線への転換

     2023年2月21日付けの週刊金曜日は、「共産党が除名処分 党首公選・自衛隊合憲論の波紋」という見出しで、「核抑止抜きの専守防衛論」と「自衛隊合憲論」を唱えた松竹伸幸氏の言い分を次のように報じた。

     党の政策が初期段階では安保・自衛隊堅持を認めているのだから考え方は共通している。立憲や自民・リベラルの専守防衛論も米国の核抑止の傘に頼っているから『核抑止なき』というところが異なり、私の考えで党の政策を豊かにしていくという立場だ。

     問題は、松竹氏の説明における「党の政策が初期段階では安保・自衛隊堅持を認めている」という下りである。これは、あながち嘘ではない。そのことを、日本共産党の安全保障政策の変遷を振り返りながら見てみる。

     まず、1970年代の日本共産党の安全保障政策を確認しておく。

     「(自衛権は)自国および自国民にたいする不当な侵略や権利の侵害をとりのぞくため行使する正当防衛の権利で、国際法上もひろく認められ、すべての民族と国家がもっている当然の権利である」(「日本共産党の安全保障政策」、六八年)

     「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります」(民主連合政府綱領提案、一九七三年)

     「将来日本が名実ともに独立、中立の主権国家となったときに、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約をくわえたものであり、憲法の恒久平和の原則をつらぬくうえでの制約にもなりうる」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」、七五年)

     このように、日本共産党は、1968年から1975年にかけては、確かに、

    1. 自衛権の行使は、民族と国家が持つ当然の権利である。
    2. その為、民主連合政府は憲法九条から制約を追放する。

    という明快な自衛中立路線を掲げていた。もちろん、「制約を追放する」は、《憲法九条と陸海空軍にまで成長した自衛隊との矛盾を、現実を踏まえて発展的に統一する》と理解すべきである。統一のされ方は、その時の世界情勢、国民世論の成熟度によって決まるだろうが、少なくとも、どちらかの一方が否定されることにはならないだろう。止揚という表現がぴったりの矛盾の解決の仕方になるに違いない。

     しかし、2000年に、この共産党の自衛中立路線は、非武装中立路線へと転換される。このことは、現綱領で、

     自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。(十三の3)

    と、「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」を明記していることでも確認できる。

     この共産党の自衛中立路線から非武装中立路線への転換という揺れが、松竹氏除名問題へとつながっていく。

    第二の揺れ:統一戦線から野合連合への接近

     2019年8月、日本共産党は、野合連合政権を当面する目標とすることを決めた。そして、幹部会委員長である志位和氏は、2020年3月27日付の「野党連合政権にのぞむ日本共産党の基本的立場―政治的相違点にどう対応するか」で次のように述べた。

     連合政権としての対応……現在の焦眉の課題は自衛隊の存在が合憲か違憲かでなく、憲法9条のもとで自衛隊の海外派兵を許していいのかどうかにあります。

     連合政権としての対応……安保条約については「維持・継続」する対応をとります。「維持・継続」とは、安保法制廃止を前提として、第一に、これまでの条約と法律の枠内で対応する、第二に、現状からの改悪はやらない、第三に、政権として廃棄をめざす措置はとらない、ということです。

     そして、ツイッターでは、

     日本共産党としては『自衛隊=違憲』論の立場を貫くが、党が参加する民主的政権の対応としては、自衛隊と共存する時期は『自衛隊=合憲』の立場をとることになる。その政権が自衛隊を活用することに何の矛盾もありません。
    (https://twitter.com/shiikazuo/status/1529275868585291776)

    と野合連合政権としては「自衛隊合憲論」、「安保条約是認論」の立場をとることを言明。この志位委員長のつぶやきは、非武装中立路線が如何に非現実的なものであるかを自ら認めたもので、自衛中立路線を否定したことがミスだったことを告白している。

     ところで、日本共産党の綱領は、一致点に基づく統一戦線政府について次のように定めている。

     (一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。 

    ・・・・・

     統一戦線の発展の過程では、民主的改革の内容の主要点のすべてではないが、いくつかの目標では一致し、その一致点にもとづく統一戦線の条件が生まれるという場合も起こりうる。党は、その場合でも、その共同が国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つかぎり、さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす

     もちろん。「当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結」、「さしあたって一致できる目標の範囲での統一戦線」を「野合連合」として一概に否定することは、誤りである。統一戦線から野合連合への接近を日本共産党の揺れとして批判するのは、次のような理由からである。

     国会において安定した地位(50を超える議席数)を獲得する取り組みが左の車輪ならば、国民各階層との共闘による政権交代を目指すのが右の車輪である。後者のみに傾斜した片輪走行では、決して首尾よい結果は得られない。日本共産党には、「野合連合」を真の「野党連合」にするための自力の強化が求められている。そういう意味での批判である。

    親亀揺れたら子亀が転げ落ちた

     日本共産党の二つの揺れは、「当面の目標を実現する為なら、いかなる主張もOKなのだ!」というもっともらしい理屈で、松竹氏の党綱領を完全否定する主張が誕生した。

     安保のもとでもここまではできるはずだという具体的な政策を議論する必要がある。国民の多くが「そうだ」と感じて、もし妨害されてその政策が滞るなら「安保廃棄もやむなし」と認識を変えるに値するような、そんな具体的な政策である。(かもがわ出版「編集長の冒険より」)

     しかし、松竹氏が如何に弁明しようとも、氏の「核抑止抜きの専守防衛論」は、戦勝国である米国による戦後77年に渡る軍事的半占領を是認するものであって、絶対に容認されるものではない。また、日米支配層が、自衛隊を国際紛争を解決する軍隊へと変質させつつある中での「自衛隊合憲論」もまた、彼らに手を貸す論であって、絶対に容認されるものではない。もちろん、これだけの理由で直ちに除名することは決して許されない。せいぜい可能なのは、離党勧告程度である。

     しかし、松竹氏は、前述の論を一つの提言として公表するに留まらず、某組織の一員として持論を宣伝・煽動するための実行動を展開している。かかる松竹伸幸氏の言動は、発言の自由と行動の統一の組織原則に照らしても到底に容認できるものではない。最も重い処分を検討するに値する。この点が、松竹伸幸氏と鈴木元氏との決定的な違いである。

    結び

     既に、自衛中立路線から転換した非武装中立路線が、民族と国家が持つ当然の権利としての自衛権の行使との矛盾を露呈し、党が苦しい弁明を繰り返さざる状況を生み出してきたことは明らかである。また、当面する改革課題に関して合意するに留まらず、ある程度は持続的な共闘関係を構築する互いの意思が確認しないままに、軽々に 野合連合へと傾斜していったことは、その後の党勢の凋落が示すように完全な判断ミスとして反省されるべきである。転げ落ちた子亀を批判するに留まらず、親亀としての責任を自覚した反省を強く促しておく。


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    === 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます。 ===

    2023/04/10 言葉選びの間違い、不適当な表現と言い回しの訂正。 
    2023/04/12 松竹氏の言動が除名に値することを明記。
    2023/04/14 野党連合を野合連合として安直に批判する視点を撤回。

    2023/04/07

    規約改正に関する宮本報告

     はじめに

    1. 党に対する攻撃を、党の外から行なった。
    2. 党攻撃のための分派活動の一翼を担った。
    3. 党に多様な政治グループの容認を求めた。(鈴木元氏除名理由)

     民主統一制を新たな組織原則とする新生日本共産党が誕生した場合、私利私欲の実現を目的とした派閥の結成と派閥の目的を達成するための諸活動が無条件に是認される訳ではない。本稿は、民主統一制と派閥の関係を探求する一つの試論である。同時に、本稿では、鈴木元氏除名の3つ目の理由も含めて全面的な反論を試みる。勝手ながら、ややこしい話は苦手なので、未来の日本共産党党首である宮本哲三氏のXX回党大会での報告を引用することで本文とする。

    規約第3条に関する報告宮本哲三

    はじめに

     本大会は、我が党が民主集中制を発展的に継承した民主統一制を初めて党規約に明記する点で非常に画期的なものです。規約の新しい条文をご紹介する前に、もう一度、民主統一制の概念を確認しておきます。

     党員は、大会決定を討議する時も、決定の実行方針を決める時にも、自由に発言することができる。しかし、決定の実行方針を実践する特定の政治行動プロセスでは、すべての党員は、自説への拘りを捨てて行動の統一の旗の下にみんなで決めた方針の実現に最大限尽力しなければならない。また、実践に関する総括及び実行方針の見直しを行う時は、党員には、再び自由に発言することで、更なる方針の発展に寄与することが期待される。発言の自由とは、政策討論集会やSNS及び出版などによって意見を公開する自由を含む。

     2020年代の初めは、党勢の衰退が激しく、我が党はかなり深刻な苦境に立たされていました。これに危機感を抱いた一党員が当時の党首宛てに党改革を訴える手紙を出した訳ですが、これは残念ながら無視されました。その後、その党員は、その手紙を公にして、「党に対する攻撃を、党の外から行なった」という理由で除名されるに至ります。

     当時、我が党の規約は、発言の自由を不正確に余りにも狭く規定し、行動の統一を不正確に余りにも広く規定していました。集権集中制とも呼ぶべき誤りが、我が党を支配していました。それが、除名をもって一党員の発言を封じるという悲劇的な事態を招いた訳です。先に紹介した民主統一制は、その深い反省から生まれたものです。

    民主統一制と7つの基準

     今、我が党は、ポスト資本主義の新しい社会を目指す国民各階層のセンター、国民各階層の願いをかなえる取組みの中心という立ち位置を得て、新たな発展軌道に乗っています。そのなかで、我が党の責任は、ますます重いものとなっています。その責任を果たすためには、次に示す民主統一制の諸基準をしっかりと理解して血や肉にしていく必要があります。

     民主統一制は、次の7つの基準で説明されます。

    1. 党の大会決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
    2. 大会決定を実践する方針も、民主的な議論をつくし多数決で決める。
    3. 全党は、方針等を実現する特定の政治行動では行動を統一する。
    4. すべての指導機関は、投票による民主的な選挙によって選出される。
    5. 党員には、党の諸問題を討論する集団をつくり、参加する自由がある。
    6. 党内に、私利私欲の実現を目的とした派閥はつくらない。
    7. 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

    第1項から第3項は、民主統一制の肝

     今までの規約では、1項から3項で示した基準を次のように定めていました。

    1. 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
    2. 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である

     従来の基準は、行動の統一を不正確に規定しており、そこに行動の統一を広く解釈する余地がありました。新しい規約では、全党の行動の統一は、大会決定の実行方針である各種プランを実践する特定の政治行動においてのみ求められることを誤解の余地なく明らかにしています。このことは、大会決定を討議する時も、決定を実践する方針を討議する時も、また、方針の実践を総括し、実行方針の見直しを討議する時も、その全てにおいて党員が自由に発言できることを明示したもので、民主統一制の肝というべき条項です。

    投票による選挙の実施を明記した第4項の意義

      3. すべての指導機関は、選挙によってつくられる。

     従来の規約では、「すべての指導機関は、選挙によってつくられる」と規定していました。我が党では、単一の候補者を信任するか信任しないかの選択肢しか与えられていない信任投票が一般的だったことに対する反省を込めて、規約の文言を次のように改めました。

      4.すべての指導機関は、投票による民主的な選挙によって選出される。

     もちろん、実際に複数の候補者が立候補する選挙が実施されるかどうかは、その時々の情勢が決めます。ですから、新しい条項が、信任投票という形式での選挙を一律に否定している訳ではありません。大事なことは、我が党が、複数の候補者が立候補する党首選挙を視野に入れる新しい段階を迎えているということです。この新しい段階は、我が党に幾つかの改革課題を達成することを要求しています。

     改革課題のテーマを一言で言えば「代議員制におけるプロ化の弊害を克服する」ということです。この件については、既に、党中央に様々な提言が寄せられています。そのなかには、党大会の代議員に選出される「専従」比率の適正化を求める声もあります。これらの党員諸氏の提言をどういう風に実現していくのか?プロ化の弊害克服プログラムづくりは、正に、今始まったばかりです。新規約第3条第4項の文言は、こういう党の新しいステージを目指す取り組みを反映したものです。

    討論を目的とした集団及び党員の参加を許可する第5項

     新しい規約の革新性は、党規約第3条第5項で、討論を目的とした集団及び集団への党員の参加を許可したことです。この条項を追加することについては、「派閥・分派への発展が不可避な集団の許可は、党の統一と団結を破壊しかねない」という根強い反対がありました。

     この派閥・分派不可避論は、「党員は、常に資本主義主義的な欲望の誘いに晒されている。私利私欲に走る党員の発生は避けられない。こういう現実を直視すれば、党員による集団の形成は許されない。例え、単なるディスカッショングループであっても、許可すべきではない」という党員に対する不信を背景にしたものです。この党員に対する不信感と集権集中主義が結びつくことで、我が党は、事実上、長らく全てのファンクションを禁止してきました。

     しかし、党員に対する不信に根差した派閥・分派不可避論は、自覚的な共産主義者が自主的に結びついた日本共産党としては、きっぱりと否定すべきです。私は、ここに「党員には、党の諸問題を討論する集団をつくり、参加する自由がある」ことを宣言するものです。

     党規約第3条第5項は、党綱領の批判的検討が、党指導部の専権事項ではないことを全党に示しています。私は、党員諸氏が様々な討議・討論グループを結成し、大いに議論を尽くすことを期待しています。そのことが、我が党の綱領が、全党の英知を結集して更に変化・発展していく原動力になると信じています。

    私利私欲の実現を目的とした派閥の禁止について

     党規約第3条第6項では、従来の「派閥・分派はつくらない」を「私利私欲の実現を目的とした派閥はつくらない」に改めています。これは、2020年代初頭に起きた除名事件の反省から、党内ファンクションを派閥として断罪する要件をより具体的に定めたものです。また、「派閥・分派はつくらない」を「派閥はつくらない」と「分派」という表現を省いたのは、規約の文言を現代化する試みの一つです。

     そもそも、派閥とは、3人以上の集団が次のような活動を展開することを想定しています。2名までの反党的な行動は、単に反党活動と呼ぶのが相応しいというのが我が党の見解です。

    1. 私利私欲の実現を目指す基本方針を定める。
    2. 基本方針を実行に移すプランを決める。
    3. プランを実際に実行する。
    4. プランの実行を総括する。
    5. 総括を反映して次のプランを練り上げる。

     派閥活動をこのようにばらして評価するのは、ファンクションが反党的な派閥であるのか否かを客観的に判定する上では欠かせないことです。第1と第2の段階に留まっていれば、反党的なことを企てたに過ぎません。当然に、除名処分の対象にはなりません。問題は、プランを実際に実行した場合です。第3~第5の段階まで進めば、除名処分を検討する対象になります。更に、一回目の実行の反省に基づいて練り上げた新プランを実行に移せば、除名処分の検討は必至です。

     党は、ファンクションの基本方針、実行プラン、その実践プロセスのそれぞれをばらして検討します。そして、どれが反党的な要素であって、どれが反党的でない要素かを一つひとつ吟味して結論を出します。

     「私利私欲の実現を目的とした」という文言は、このような我が党の派閥活動に向き合う基本姿勢を示しています。決して、党内ファンクションを恣意的に派閥と判断して乱暴に排除することはしません。そのことは、第3条第7項で、「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」と念を押している通りです。

    最後に

     最後に、本大会では《2020年初頭の誤りで除名された党員の名誉を回復する決議》が提案されることをお知らせしておきます。

    結び

     本稿は、正に、私の希望的な妄想の産物でしかない。しかし、本稿を妄想の産物として一蹴することは、日本共産党をして鈴木元氏除名問題の名誉ある解決から遠ざけることを強く指摘しておく。

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    === 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます。 ===

    2023/04/08 文章表現を細かく見直す。
    2023/04/09 タイトルを訂正
           民主統一制と派閥・分派問題等の考察
            ↓
           規約改正に関する報告(宮本哲三)
    2023/04/15 規約第3条第6項から、分派の文言を削除