2023/04/09

松竹氏除名問題と親亀子亀

はじめに

親亀が揺れたら子亀が転げ落ちた

 本稿では、日本共産党の二つの揺れが松竹伸幸氏除名問題を生んだ背景にあることを明らかにし、党指導部においては《親亀が揺れて子亀が転げ落ちた内なる原因》を十分に解明し、親亀として反省することを強く促すものである。

第一の揺れ:非武装中立路線への転換

 2023年2月21日付けの週刊金曜日は、「共産党が除名処分 党首公選・自衛隊合憲論の波紋」という見出しで、「核抑止抜きの専守防衛論」と「自衛隊合憲論」を唱えた松竹伸幸氏の言い分を次のように報じた。

 党の政策が初期段階では安保・自衛隊堅持を認めているのだから考え方は共通している。立憲や自民・リベラルの専守防衛論も米国の核抑止の傘に頼っているから『核抑止なき』というところが異なり、私の考えで党の政策を豊かにしていくという立場だ。

 問題は、松竹氏の説明における「党の政策が初期段階では安保・自衛隊堅持を認めている」という下りである。これは、あながち嘘ではない。そのことを、日本共産党の安全保障政策の変遷を振り返りながら見てみる。

 まず、1970年代の日本共産党の安全保障政策を確認しておく。

 「(自衛権は)自国および自国民にたいする不当な侵略や権利の侵害をとりのぞくため行使する正当防衛の権利で、国際法上もひろく認められ、すべての民族と国家がもっている当然の権利である」(「日本共産党の安全保障政策」、六八年)

 「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります」(民主連合政府綱領提案、一九七三年)

 「将来日本が名実ともに独立、中立の主権国家となったときに、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約をくわえたものであり、憲法の恒久平和の原則をつらぬくうえでの制約にもなりうる」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」、七五年)

 このように、日本共産党は、1968年から1975年にかけては、確かに、

  1. 自衛権の行使は、民族と国家が持つ当然の権利である。
  2. その為、民主連合政府は憲法九条から制約を追放する。

という明快な自衛中立路線を掲げていた。もちろん、「制約を追放する」は、《憲法九条と陸海空軍にまで成長した自衛隊との矛盾を、現実を踏まえて発展的に統一する》と理解すべきである。統一のされ方は、その時の世界情勢、国民世論の成熟度によって決まるだろうが、少なくとも、どちらかの一方が否定されることにはならないだろう。止揚という表現がぴったりの矛盾の解決の仕方になるに違いない。

 しかし、2000年に、この共産党の自衛中立路線は、非武装中立路線へと転換される。このことは、現綱領で、

 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。(十三の3)

と、「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」を明記していることでも確認できる。

 この共産党の自衛中立路線から非武装中立路線への転換という揺れが、松竹氏除名問題へとつながっていく。

第二の揺れ:統一戦線から野合連合への接近

 2019年8月、日本共産党は、野合連合政権を当面する目標とすることを決めた。そして、幹部会委員長である志位和氏は、2020年3月27日付の「野党連合政権にのぞむ日本共産党の基本的立場―政治的相違点にどう対応するか」で次のように述べた。

 連合政権としての対応……現在の焦眉の課題は自衛隊の存在が合憲か違憲かでなく、憲法9条のもとで自衛隊の海外派兵を許していいのかどうかにあります。

 連合政権としての対応……安保条約については「維持・継続」する対応をとります。「維持・継続」とは、安保法制廃止を前提として、第一に、これまでの条約と法律の枠内で対応する、第二に、現状からの改悪はやらない、第三に、政権として廃棄をめざす措置はとらない、ということです。

 そして、ツイッターでは、

 日本共産党としては『自衛隊=違憲』論の立場を貫くが、党が参加する民主的政権の対応としては、自衛隊と共存する時期は『自衛隊=合憲』の立場をとることになる。その政権が自衛隊を活用することに何の矛盾もありません。
(https://twitter.com/shiikazuo/status/1529275868585291776)

と野合連合政権としては「自衛隊合憲論」、「安保条約是認論」の立場をとることを言明。この志位委員長のつぶやきは、非武装中立路線が如何に非現実的なものであるかを自ら認めたもので、自衛中立路線を否定したことがミスだったことを告白している。

 ところで、日本共産党の綱領は、一致点に基づく統一戦線政府について次のように定めている。

 (一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。 

・・・・・

 統一戦線の発展の過程では、民主的改革の内容の主要点のすべてではないが、いくつかの目標では一致し、その一致点にもとづく統一戦線の条件が生まれるという場合も起こりうる。党は、その場合でも、その共同が国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つかぎり、さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす

 もちろん。「当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結」、「さしあたって一致できる目標の範囲での統一戦線」を「野合連合」として一概に否定することは、誤りである。統一戦線から野合連合への接近を日本共産党の揺れとして批判するのは、次のような理由からである。

 国会において安定した地位(50を超える議席数)を獲得する取り組みが左の車輪ならば、国民各階層との共闘による政権交代を目指すのが右の車輪である。後者のみに傾斜した片輪走行では、決して首尾よい結果は得られない。日本共産党には、「野合連合」を真の「野党連合」にするための自力の強化が求められている。そういう意味での批判である。

親亀揺れたら子亀が転げ落ちた

 日本共産党の二つの揺れは、「当面の目標を実現する為なら、いかなる主張もOKなのだ!」というもっともらしい理屈で、松竹氏の党綱領を完全否定する主張が誕生した。

 安保のもとでもここまではできるはずだという具体的な政策を議論する必要がある。国民の多くが「そうだ」と感じて、もし妨害されてその政策が滞るなら「安保廃棄もやむなし」と認識を変えるに値するような、そんな具体的な政策である。(かもがわ出版「編集長の冒険より」)

 しかし、松竹氏が如何に弁明しようとも、氏の「核抑止抜きの専守防衛論」は、戦勝国である米国による戦後77年に渡る軍事的半占領を是認するものであって、絶対に容認されるものではない。また、日米支配層が、自衛隊を国際紛争を解決する軍隊へと変質させつつある中での「自衛隊合憲論」もまた、彼らに手を貸す論であって、絶対に容認されるものではない。もちろん、これだけの理由で直ちに除名することは決して許されない。せいぜい可能なのは、離党勧告程度である。

 しかし、松竹氏は、前述の論を一つの提言として公表するに留まらず、某組織の一員として持論を宣伝・煽動するための実行動を展開している。かかる松竹伸幸氏の言動は、発言の自由と行動の統一の組織原則に照らしても到底に容認できるものではない。最も重い処分を検討するに値する。この点が、松竹伸幸氏と鈴木元氏との決定的な違いである。

結び

 既に、自衛中立路線から転換した非武装中立路線が、民族と国家が持つ当然の権利としての自衛権の行使との矛盾を露呈し、党が苦しい弁明を繰り返さざる状況を生み出してきたことは明らかである。また、当面する改革課題に関して合意するに留まらず、ある程度は持続的な共闘関係を構築する互いの意思が確認しないままに、軽々に 野合連合へと傾斜していったことは、その後の党勢の凋落が示すように完全な判断ミスとして反省されるべきである。転げ落ちた子亀を批判するに留まらず、親亀としての責任を自覚した反省を強く促しておく。


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=== 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます。 ===

2023/04/10 言葉選びの間違い、不適当な表現と言い回しの訂正。 
2023/04/12 松竹氏の言動が除名に値することを明記。
2023/04/14 野党連合を野合連合として安直に批判する視点を撤回。

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