2023/04/05

分派条項の是非を問う!

 はじめに

 先に述べたように、日本共産党京都府委員会が2023年3月17日付で公表した鈴木元氏除名の主たる理由は次の3つだ。

  1. 党に対する攻撃を、党の外から行なった。
  2. 党攻撃のための分派活動の一翼を担った。
  3. 党に多様な政治グループの容認を求めた。

 本サイトでは、鈴木氏除名の不当性を明らかにするために、日本共産党の集権集中制と化した民主集中制に潜む幾つかの問題点を浮き彫りにしてき。

 先ずは、「民主集中制試論-『発言の自由と行動の統一』について」で、民主集中制の5基準を示している党規約第3条は、「発言の自由を不正確に余りにも狭く規定し、行動の統一を不正確に余りにも広く規定した」非民主的で集権主義的な条項であることを示した。

 その上で、「民主集中制と出版の自由」で、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」とした(第5条5項)は、《党員の自由な発言を封じる言論統制基準》であることを、極めて丁寧に説明した。もって、《党に対する攻撃を、党の外から行なった》」という除名理由の不当性を明らかにした。

 「遺伝子操作による民主集中制から民主統一制への衣替え」では、民主集中制を集権集中制に変貌させた誤りを指摘するとともに、改革のための提言を行った。それは、「『党員は、厳格な規律をもって、中央司令部の下に結集せよ』という軍事的規範を振りかざすことを止めて、発言の自由と行動の統一を核とする民主統一制へ移行せよ」という大胆な自己改革案である。同改革案は、日本共産党をして、国民に責任を負う公党としての新たな一歩を踏み出させるに違いない。

 さて、本稿の目的は、鈴木氏除名の二つ目の理由が、まったく乱暴で不当であることを論証することにある。鈴木氏に対する除名が、「出版時期についてアドバイスを受けた」ことを理由に「松竹氏との結託だ」としての処分であったことは、周知の事実である。そして、誰もが「党攻撃のための分派活動の一翼を担った」との除名理由に納得していない。この無理が通れば道理が引っ込むがまかり通ったのは、分派禁止条項の問題点である。

 本稿では、そういう事情で、破綻が明らかな除名理由そのものについての批判に軸足をおかないで、「党規約第3条第4条が、集権的集中制と不離一体として運用されている現状が改善されない限り、その運用は停止されるべきだ」との主張に軸足を置く。これは、とっても大事な論点なので、是非、多くの方に一読をお願いしたい。

そもそも、分派活動とは?(1)

 2009年3月14日付け「しんぶん赤旗」によると、民主集中制の基準は、党規約(第3条)に明記されている。

  1. 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2. 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
  3. すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
  4. 党内に派閥・分派はつくらない。
  5. 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 党規約(第3条4項)で、「党内に派閥・分派はつくらない」と定められている。いったい、分派って何だろう?この疑問の答えを知りたくて、流行りのAIチャットで幾つかの質問をしてみた。

【問い】

分派ってどういうものですか?

【答え】

 政治的団体において、綱領や信条をめぐって対立があるとき、一部の党員がファクションを形成し、指導権を握ろうとする動き。あるいは、指導権を握るために、形成されたファクション。

 さらに、日本共産党の分派に関する考え方を問うみた。

【問い】

日本共産党は、なぜ分派活動を禁止しているのですか?

【答え】

 日本共産党は、党の組織原則である民主集中制にもとづき、「党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障」と規定し、党の統一を破り、派閥をつくるなど分派活動をおこなうことを、党を破壊する最悪の行為として厳しく戒めています。このため、日本共産党は分派活動を厳しく禁止しています。

 このAIチャットの答えは、日本共産党の分派活動に関する幾つかの見解を参照して、質問に沿っって合成している剽窃文でしかない。その意味では、まったく同党の見解そのものである。

そもそも、分派活動とは?(2)

 多分の話だが、時は1905年、メンシェヴィキ主流派が党規約に分派禁止を導入しようとしたら、レーニンは次のように激しく非難することだろう。

 党規約第3条第4項を書いた当人は、選ばれた判定人が、誰彼に気兼ねなく、党の諸原則に照らしても、まったく非難するに当たらない善玉ファンクションと党の破壊を企む悪玉ファンクションとの明確な境界線を示せると思っているのだろうか?彼は、集権集中派が党の指導部に居座り、立法、運用、裁定の3権を独占している状況下では、それはまったく不可能であるという現実を無視している。また、この状況下で「分派」を禁止することが、党内にどのような悲劇をもたらすかについてまったく想像できていない。現時点で「分派」の禁止を許せば、党指導部に党員の言動を監視・統制する強大な権限を与えることになることに気づいていない。我々は、断固として、発言の自由と行動の統一の大原則を守るために、集権集中派が画策している党規約に分派の禁止を導入する企ての真相を暴き、それを阻止しなければならない。

 まず問題なのは、どこからがファンクションであり、どこまでがファンクションでないかが実に曖昧であることだ。党中央に何某かの批判を持つ党員が、二人集まっても、それはファンクションではない。細い糸を二本撚り合わせても、そこに出現するのは、やはり糸でしかない。その糸を十分に撚り合わせることで、やっと糸は紐になる。これと同じことで、党中央に批判的な党員が十分に集まることで、党にとって危険かも知れない分派の母体が誕生する。つまり、ファンクションという概念そのものが、実に曖昧なのだ。

 次の問題として、ファンクションの善玉・悪玉を客観的に正しく評価するのが非常に困難であることだ。三角錐は、上から見れば円形、真横から見れば三角形。つまり、物事の評価は、見る者の立ち位置でまったく違う。平たく言えば、誰が評価するのかが問題だということ。集権集中制は、不可避的にファンクションを評価する者の立ち位置を指導部寄りに引き寄せる。この場合、ファンクションが善玉集団かどうかは余りにも狭く判断され、ファンクションが悪玉集団かどうかは余りにも広く判断される。結果として、ファンクションが客観的に正しく評価されることはない。

峻別不能ならば、全てのファンクションを禁止する

 ファンクションかどうかは、集まった党員の人数によっては線引き不能。ファンクションの良し悪しは、結局は力関係によって決まる。このことを、数々の分派闘争を経て十二分に学んだ日本共産党の指導部は、ついに、二人以上の全てのファンクションを、その属性の如何を問わず反党的なものとして禁止するに至ったのが、党規約第3条第4項に他ならない。少なくとも、運用の実態はそのようである。

 鈴木元氏は、松竹伸幸氏の「出版時期を一緒にした方が、宣伝効果がありますよ」との提案に応じるという許されざる分派行動をおこなった。(除名理由)

 鈴木元氏は、松竹伸幸氏と著書の出版時期について連絡を取り合っただけだ。たった二人の党員が連絡を取り合っただけで、分派行動として断罪・除名したのは、「峻別不能ならば、全てのファンクションを禁止する」という日本共産党指導部の強い意思の表れである。

 鈴木氏と松竹氏は、党規約第3条第3項「すべての指導機関は、選挙によってつくられる」に則った党首公選が一度も行われていない規約違反でしかない実態に異を唱えたに過ぎない。松竹氏は、その主旨をメディアで語ることで除名された。その後、党中央は、ネット上の「同じ主張をした鈴木元氏を除名しないのはダブルスタンダードだ!」という批判をかわすために(員数合わせで)鈴木元氏を除名した。二重の意味で、鈴木元氏の除名は、不当である。「峻別不能ならば、全てのファンクションを禁止する」を地で行った鈴木氏除名は、正に歴史に記録される愚行である。

結び

 今や、分派禁止条項は、(実態として)二人以上の党員が支部の垣根を越えて連絡を取り合うことを禁止する極めて前近代的な党員を監視する警察条項と化している。日本共産党は、直ちに、党中央による警察活動を可能にしている分派禁止条項の運用を停止して、不当な鈴木元氏に対する除名処分を撤回すべきである。

付記:

 分派禁止条項が、「党指導部の権力行使によって党員の言動を統制して指導部の保安を確保する活動全般を許可する条項」と化しているのは、それが集権集中制(民主集中制)と不離一体の原則として運用されているからに他ならない。換言すれば、分派禁止条項自体に全ての責任がある訳ではないということだ。民主統一制へ移行するにあたっては、分派禁止条項が恣意的に運用された反省を反映した分派問題への対応が求められる。

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=== 推敲と校正を継続中。本稿は、適宜に訂正されます。 ===

2023/04/06 分派禁止条項の存在自体が間違いとの誤解を招く論理と表現を訂正
2023/04/07 主張を《分派禁止条項の廃止》から《分派禁止条項の運用を停止》に修正

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